表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: くろ
第1章 江戸・修行編
18/31

第18話 忍びの将棋

俺は雫に腕を引かれ、町外れの小さな木小屋へと連れていかれた。

中は薄暗く、古い畳が軋み、湿った木の匂い。

雫は何も言わず、中央に小さな将棋盤を置く。

その音が、戦いの合図のように響いた。


「振り駒は――あたしが振るよ」


そう言って、歩の駒を五枚手に取る雫。

目にもとまらぬ速さで駒を舞わせ、盤の上に落とす。

表が三枚。

駒を振った者、つまり、雫の先手。


(今の動き……見えなかった……)


雫は、空気を揺らさぬまま畳に腰を下ろした。

その瞳が、闇を裂くように光る。


「行くよ」


▲7六歩。


駒の音が鋭く跳ねた瞬間、空気が刃のように張りつめた。

そして――静寂。

まるで、盤の底で忍びが息を潜めているかのように。


「……よろしくお願いします」


△3四歩。


俺は指先の震えを押さえながら応じた。

角道が開いたその瞬間――

雫の眼光が、獲物を見定める刃のように光った。


▲2二角成。

すかさず角を取りに来る。

俺もすぐ△同銀で取り返す。


そして――


▲4五角打。


空気が、凍った。


(まさか……!)


筋違い角――。


将棋でも異端とされる、裏芸・奇襲戦法の代表格。

序盤から相手の読みを外し、戦場を乱す。

まるで――忍びが闇に紛れ、息を殺して刃を突き立てるようだった。


「ふふ……どうしたの? 怖じ気づいた?」


雫は、俺の動揺に気づいている。


(これが、雫の将棋……忍びの将棋か……)


振り駒といい、その指し手といい、圧倒されてばかりだ。

雫のペースに乗せられている。

このまま進めば危ない――そう直感した。


(ここは堅実に穴熊で……)

雫も、この囲いは見たことがないはずだ。

現代将棋が生み出した最強の守り――穴熊。

先生には禁止されているが、それがいちばん安全だろう。


――けれど、それでいいのか?


これまでの宗歩先生との修行で培ったもの。

俺の将棋――


俺は意を決して、駒に手を伸ばした。


△5二金右。

6三の地点を受けた瞬間、雫の角がすかさず俺の歩をかすめ取る。


▲3四角。


(来た……!)

一拍の間を置き、息を吸い込む。


ここだ――!


△6五角打。


盤上が、再び光を放つ。

奇襲に、奇襲で応じる。

相筋違い角。


火花のように視線がぶつかった。


一瞬の沈黙。

雫が目を細め、笑う。


「……まさか、返してくるとはねえ」

「……あなたの好きにはさせない」


俺は静かに、そして力を込めて呟いた。


呼吸が、盤と重なっていく。

一手ごとに、胸の奥が熱を帯びる。


この時代で得たものを――

今、盤の上で確かめる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ