表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第1章 江戸・修行編
16/64

第16話 忍びの眼差し

町での探索を楽しんだ蓮と五平。


屋敷に戻ると、

宗歩は将軍家の用から、

すでに帰っていた。


宗歩は二人の方に視線を向け、

静かに言った。


「五平、蓮。

 来週、将軍・家慶殿に、

 お披露目の将棋を指すことになった。

 二人とも、見に来るか?」


「勿論でございます!」


五平が間髪入れずに答えた。


(あの将軍って、

 徳川家慶だったのか……?)


「将軍・家慶」という名を聞いて、

俺は一瞬だけ、胸の奥がざわついたが、


「私も行きます!」


とすぐに言った。


俺と五平の輝く瞳を見て、

宗歩は小さく笑った。


その笑みには、

戦場へ向かう武士のような――

静かな気迫が宿っていた。



---



お披露目将棋の日。


御座の間には、

張り詰めた静寂が満ちていた。


畳の上には二面の将棋盤。

宗歩はその中央に静かに座している。


その前には、

幕府が育てる若手の俊英――


御城将棋の登用を控えた、

二人の有望株が並んでいた。


その二人を相手に、

宗歩が指導として角を落とし、対局に臨む。


しかも、一人ずつではなく、

二人を同時に相手にする、二面指し。


俺がやったら、きっと盤面が混ざって、

頭がぐちゃぐちゃになる。


(ハンデまであげて、

 二人同時に相手だなんて……

 いくら先生でも大丈夫なのか?)


俺は少し不安だったが、

それは杞憂に終わった。


広間に、静かな駒音が響く。


それはまるで呼吸そのもののように、

一定の間を刻んでいた。


有望株の二人の仕掛けに、

宗歩は淀みなく静かに応じていく。


その差し手には、一切の迷いがない。


まるで盤上すべての手を、

すでに見通しているかのようだった。


(凄い……!!!)


有望株の二人の指を止める時間が、

次第に長くなっていく。


宗歩の一手を目にするたびに、

力の差を実感しているのだろう。


この二人が宗歩に圧倒されながらも、

必死に喰らいつこうとしている――


その様子を、

将軍・家慶は実に満足そうに眺めている。


そして、俺と五平は息を飲み、

ただただ盤に釘付けになっていた。


(……ん?)


一瞬、空気が震えた。


冷たい針のような気配が、

全身をかすめる。


それは――視線。


盤に注がれる、鋭く、

熱を帯びた視線。


俺や五平のものよりも、

はるかに熱い。


誰かが、息をひそめ、

この勝負を見つめている。


(……この視線、どこからだ?)


思わず辺りを見回す。


しかし、

礼儀正しく座している家臣たちからは、

その気配を感じない。


(気のせいかな?

 でも待てよ……

 この感じ、最近どこかで――)


俺がそんなことを思った、その瞬間。


「――曲者だっ!!」


鋭い叫び声が、御座の間を裂く。


廊下の方から、

刃を抜いた一人の男が飛び出してきた。


そのまま、

将軍・家慶を目がけて一直線に、

矢のような速さで迫ってくる。


「上様をお守りせよっ!」


家臣の武士たちが、一斉に立ち上がる。


刀が抜かれ、畳が軋む音。

空気が、一瞬で戦場のものに変わった。


そのとき――


俺の頭上の天井が、

バリッと音を立てて割れた。


破片が舞う中、黒装束の影が、

音もなく舞い降りる。


(えっ……忍者!?)


目で追う暇もなく、

その影――いや、忍者は、

稲妻のような速さで曲者に飛びかかった。


刃を交わし、払う、打つ。


わずか数呼吸のうちに、

男は床に押さえつけられていた。


「うわ……速っ!……凄い!」


俺は思わず声を漏らす。


暴れる男を押さえつけるその腕が、

一瞬わずかに緩む。


男が抵抗して体をねじる。


その瞬間――

覆面がずれ、忍者の右横顔がのぞいた。


真っ白な肌。

凛とした目元。その下に――

小さなホクロ。


(……え?女の人?)


忍者はすぐに覆面を直し、

男に一撃を加える。


男が気を失うのを見届けると、

忍者は何事もなかったかのように、

天井裏へと消えていった。


---


曲者の男は家臣たちによって捕らえられ、

連れていかれた。


誰の命で将軍・家慶を襲ったのか。

これから、厳しい尋問が待っているだろう。


お披露目将棋は、また日を改めて、

後日に行われることとなり、

俺と五平は城を後にし、帰路についた。


歩きながら、

五平は目を輝かせて言った。


「いやー。

 あの忍者、惚れ惚れしたなあ!」


「……そうだね」


俺は五平に、あの忍者は女の人だった、

と言おうか悩んだ。


けれど、

五平が信じてくれる気がしなかったから――

言葉を飲み込んだ。


「多分……

 将軍の護衛の伊賀の忍者だな、あれは」


「護衛の忍者なんているの?」


「そうだな、蓮も見ただろ?

 あの忍者が将軍を守ったところ」


俺も確かに見た。

曲者をあっという間に退治してしまったあの手際、見事だった。


ただ、俺は別のことを考えていた。


盤を見つめていた視線――

あの視線は、

天井にいた忍者のものだったのでは?


覆面の奥で光った瞳。

その目元のホクロ。

それが、どうしても頭から離れなかった。


まるで――


あの眼差しが、

今もどこかで、俺を見ているような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ