表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: くろ
第1章 江戸・修行編
16/32

第16話 忍の眼差し

町での探索を楽しんだ蓮と五平が屋敷に戻ると、宗歩は将軍家の用からすでに帰っていた。


宗歩は二人の方に視線を向け、静かに言った。


「五平、蓮。

 来週、将軍・家慶殿にお披露目の将棋を指すことになった。二人とも、見に来るか?」


「勿論でございます!」

五平が間髪入れずに答えた。


俺は、「将軍家慶」という名を聞いて、

(徳川家慶……?)

と一瞬はっとしたが、すぐに「私も行きます!」と言った。


俺と五平の輝く瞳を見て、宗歩は小さく笑った。

その笑みには、戦場へ向かう武士のような静かな気迫が宿っていた。


---


お披露目将棋の日。

御座の間には、張り詰めた静寂が満ちていた。


畳の上には二面の将棋盤。

宗歩はその中央に静かに座している。

その前には、幕府が育てる若手の俊英――

御城将棋の登用を控えた二人の有望株が並んでいた。


その二人を相手に、宗歩が指導として角を落とし、対局に臨む。


しかも、一人ずつではなく、二人を同時に相手にする、二面指し。

俺がやったら、きっと盤面が混ざって頭がぐちゃぐちゃになる。


(ハンデまであげて、二人同時に相手だなんて……

 いくら先生でも大丈夫なのか?)


俺は少し不安だったが、それは杞憂に終わった。


広間に、静かな駒音が響く。

それはまるで呼吸そのもののように、一定の間を刻んでいた。

有望株の二人の仕掛けに、宗歩は淀みなく静かに応じていく。

その差し手には、一切の迷いがない。

まるで盤上すべての手を、すでに見通しているかのようだった。


(凄い……!!!)

有望株の二人の指を止める時間が、次第に長くなっていく。

宗歩の一手を目にするたびに、力の差を実感しているのだろう。


この二人が宗歩に圧倒されながらも、必死に喰らいつこうとしている――

その様子を、将軍・家慶は実に満足そうに眺めている。

そして、俺と五平は息を飲み、ただただ盤に釘付けになっていた。


(……ん?)

一瞬、空気が震えた。

冷たい針のような気配が、全身をかすめる。

それは――視線。

盤に注がれる、鋭く、熱を帯びた視線。

俺や五平のものよりも、はるかに熱い。

誰かが、息をひそめ、この勝負を見つめている。


(……この視線、どこからだ?)

思わず辺りを見回す。

しかし、礼儀正しく座している家臣たちからは、その気配を感じない。


(気のせいかな?

 でも待てよ……この感じ、最近どこかで――)


俺がそんなことを思った、その瞬間。


「――曲者だっ!!」


鋭い叫び声が、御座の間を裂く。

廊下の方から、刃を抜いた一人の男が飛び出してきた。

そのまま、将軍・家慶を目がけて一直線に、矢のような速さで迫ってくる。


「上様をお守りせよっ!」

家臣の武士たちが、一斉に立ち上がる。


刀が抜かれ、畳が軋む音。

空気が、一瞬で戦場のものに変わった。


そのとき――

俺の頭上の天井が、バリッと音を立てて割れた。

破片が舞う中、黒装束の影が音もなく舞い降りる。


(えっ……忍者!?)


目で追う暇もなく、

その影――いや、忍者は、稲妻のような速さで曲者に飛びかかった。

刃を交わし、払う、打つ。

わずか数呼吸のうちに、男は床に押さえつけられていた。


「うわ……速っ!……すげえ!!」

五平が思わず声を漏らす。


暴れる男を押さえつけるその腕が、一瞬わずかに緩む。

男が抵抗して体をねじる。

その瞬間――覆面がずれ、忍者の右横顔がのぞいた。


真っ白な肌。

凛とした目元。その下に――小さなホクロ。


(……え?女の人?)


忍者はすぐに覆面を直し、男に一撃を加える。

気を失うのを見届けると、何事もなかったかのように天井裏へと消えていった。


---


曲者の男は家臣たちによって捕らえられ、連れていかれた。

誰の命で将軍・家慶を襲ったのか。

これから、厳しい尋問が待っているだろう。


お披露目将棋は、また日を改めて後日行われることとなり、俺と五平は城を後にし、帰路についた。


歩きながら、五平は目を輝かせて言った。

「いやー、あの忍者、惚れ惚れしたなあ!」

「……そうだね」


俺は五平に、あの忍者は女の人だった、と言おうか悩んだ。

けれど、五平が信じてくれる気がしなかったから――

言葉を飲み込んだ。


「多分、将軍の護衛の伊賀の忍者だな、あれは」

「護衛の忍者なんているの?」

「そうだな、蓮も見ただろ?あの忍者が将軍を守ったところ」

俺も確かに見た。

曲者をあっという間に退治してしまったあの手際、見事だった。


ただ、俺は別のことを考えていた。

盤を見つめていた視線――

あの視線は、天井にいた忍者のものだったのでは?


覆面の奥で光った瞳。

その目元のホクロ。

それが、どうしても頭から離れなかった。

まるで――

あの眼差しが、今もどこかで俺を見ているような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ