第14話 修行の日々
おじいちゃんも歩んだこの時代を、俺も精一杯生きよう――
そう決意した俺の修行の日々が始まった。
宗歩は盤の前に静かに座り、俺はその向かいに正座した。
「では、始めようか。蓮」
「……はい。よろしくお願いします、先生」
俺はその時初めて、少し照れながら“先生”と呼んだ。
初めての指導は、御城将棋のときと同じく二枚落ち。
駒を並べ終えると、宗歩は一手を指す前に、ふと口を開いた。
「蓮、しばらく――あの囲い、穴熊を使うでない」
「……え?」
「お主の玉は、まだ戦場を知らぬ。
まずは鍛えねばならん。
――お主の玉を磨くのじゃ」
玉を磨く。
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
「お前の玉を鍛えるんじゃよ、蓮――」
その瞬間、おじいちゃんの声が心の奥で重なった。
穴熊に守られていない玉は、相手の攻めがすぐ届く。
攻めと守りの両方を見極めながら、駒を進めなければならない。
息をするのも忘れるような緊張の中で指す将棋は、
たしかに大変だった。
――でも、その分だけ、将棋を"指している"充実感があった。
宗歩の指導は、決して多くを語らなかった。
けれど、駒の動き一つひとつが、まるで将棋そのものが語りかけてくるようだった。
俺の指す矢倉、雁木、四間飛車、中飛車。
現代でも通じる戦法を、宗歩はすべて見通している。
その一手一手が、おじいちゃんとの対局の記憶を少しずつ呼び覚ましていった。
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修行を始めて、早くも三か月が過ぎたころ。
屋敷の庭に、わずかに梅の香りが漂いはじめていた。
凍てついていた空気も、どこかやわらかさを帯びている。
厳しい冬を越え、ようやく春の気配が訪れていた。
そんなある日の夕刻――
その日の対局が終わると、宗歩は少し空を見上げて言った。
「……うむ、蓮。もう二枚落ちは卒業じゃな。」
「え?本当ですか?」
思わず聞き返すと、宗歩は穏やかに頷いた。
「次からは飛車を落とそう。玉だけではなく“お主自身の将棋”を磨くときじゃ。」
その言葉に胸が高鳴った。
(俺の……将棋……)
三か月の修行の重みが、一瞬で報われた気がした。
宗歩は少し間を置いて、静かに続けた。
「――明日は修行を休みにするとしよう。」
「えっ?」
思わず声が漏れた。
宗歩が“休み”を口にするなんて、初めてだった。
「明日は将軍家に用がある。私は留守にするゆえな。
……五平」
「はい!」
五平が姿勢を正す。
「蓮を町にでも案内してやれ。
ずっと屋敷に籠もっておったからな。
たまには人の流れを見てこい。
将棋とは、盤上の駒だけで指すものではない。」
「……心得ました!」
五平が胸を張ると、宗歩は静かに頷いた。
「では、今日はここまでじゃ。」
そう言って、宗歩は静かに部屋を後にした。
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その夜。
蓮の部屋に突然五平が現れた。
「なあ、明日は町だな!
修行ばっかじゃ体が石になっちまうからなあ。
どこへ行きたい?
町には、団子に焼きイカに、茶屋のぜんざいもあるぞ!」
五平は目を輝かせて、明日のことで頭がいっぱいという様子だ。
そうか、色んなお店があるんだな――でも。
「……五平、でも俺、お金なんて……」
「なあに!俺に任せとけよ!」
五平は得意げに胸を張り、少し声をひそめた。
「……本当は、先生から小遣いもらったんだけどさ」
「え? そうなのか?」
その一言で、胸の中が一気に明るくなった。
そして――同時に、明日が待ち遠しくなる気持ちが芽生えてきた。
「そうだな。楽しみだなあ。行く場所は五平に任せるよ。」
「よーし、任せとけ! 朝一番で出るぞ!」
五平の笑顔が、夜明け前の灯のように明るく見えた。




