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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: くろ
【江戸・修行編】
12/30

第12話 時を越える将棋盤

江戸の朝――鳥の声で目が覚めた。


障子の隙間から差し込む光が、やわらかく畳の上に広がっている。

風の音も、人の話し声も、どこか遠くで控えめだ。


(……やっぱり、昨日のことは夢じゃなかったんだな)


昨夜の将棋。

城の情景。

宗歩の言葉。

ひとつひとつが現実感を伴って、頭の中に残っている。


布団から起き上がり、用意されていた着物に袖を通す。

少し大きめだけど、思ったより軽い。

布の肌触りに、思わずつぶやいた。


「これが……江戸の服か」


廊下に出ると、ちょうど五平が箒を持って庭に出ていくところだった。

朝日を受けた顔が、やけに眩しい。


「お、起きたか」

「……うん。おはようございます」

「おはよう。確か蓮って言ったな。弟子になったからには、掃除からだぞ」


にやりと笑って、箒を一本渡される。


「え、俺も?」

「当然!心を磨く前に、廊下を磨けってね」


冗談めかしたことを言いながらも、五平の手はよく動いている。

俺も、五平の見よう見まねで畳を掃き始めた。


「ほら、もう少し力抜け。畳を痛めるな」

「そ、そんなことまで……」

「細かいんだよ、先生は」


笑いながらも、五平の声には愛情がこもっていた。

この屋敷を、そして宗歩を大切に思っているのが分かる。


「ちゃんと言われたとおりやってるな!偉いじゃねえか」

「まあ、これからお世話になるわけだし……」

「お前はやっぱり思ったとおり悪いヤツじゃなさそうだ。仲良くしようぜ」


五平は箒をくるくる回しながら、目を細めた。


「……ただ、将棋は負けねえ!一番の弟子は俺だからな!」

その言葉に、俺は何も言い返せなかった。

五平の中にある誇りと、積み重ねてきた時間の重さが伝わってきた。


「じゃあ、俺は庭を掃除してくるから、ここは任せたぞ」

そういって五平は庭の方へ向かっていった。


---


俺は一人になった後、静寂の中、畳の上を掃いていた。


箒の音だけが、静かに響く。

外の光が障子越しに滲み、空気が白く揺らめく。

その静けさの中に、自分の心臓の鼓動だけが浮かび上がっていた。


ふと、箒の動きを止める。

胸の奥に、重く沈んでいた疑問が浮かび上がった。


(俺は……何で、この時代に来たんだろうか)


俺は、将棋をなぜ忘れていたのか。

その答えが知りたくて、おばあちゃんの家に行った。

おじいちゃんの部屋に入って、将棋盤を見つけた。

あの盤の傷に触れた瞬間、光があふれて――


気づけば、江戸にいた。

なんで、あの傷に触れたら江戸に?

意味が分からなかった。


まさか、この時代に答えがある?

いや、そんなことある訳ないし――


「俺、元の時代に戻れるのかな……」

思わず、呟いていた。

お母さん、おばあちゃん、サッカー部の仲間、学校のクラスメート。

現代の記憶が一気に押し寄せ、胸が締めつけられた。


宗歩は、俺を弟子と認めてくれたみたいだ。

でも――こんな気持ちのままで、将棋の修行なんてできるのか?

いや、それ以前に……俺は本当に、将棋をやりたいのか?


心は宙をさまよっていた。


---


昼になると、宗歩が現れた。


白い着物姿のまま、静かに盤の前に座る。

その瞬間、部屋の空気が静かに引き締まった。


「では、蓮。いざ、其方の修行の刻といたそう。」

「……はい」


宗歩は、俺の返事を聞くなり、静かに言った。


「蓮よ、迷いがあるようじゃな」

「……え?」


心を見透かされたようで、息が詰まった。

宗歩はしばらく俺を見つめたあと、立ち上がった。


「蓮。私についてこい。見せたいものがある」


その声には、鋭さと同時に、不思議な温かさがあった。

俺は言葉もなく、ただうなずいた。


そして宗歩のあとをついて歩く。

廊下を抜け、奥の一室に入ったその瞬間――


息が止まった。


その部屋の中央に置かれていたのは、一つの将棋盤。

右の角に、見覚えのある傷。

それは――

祖父の部屋で見たあの将棋盤と、まったく同じものであった。

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