↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第1章 江戸・修行編
PR
1/71

第1話 プロローグ ~空の上の記憶~

[登場人物紹介]

 神矢 蓮    本作の主人公。高校一年生。

 神矢 宗一郎  プロ棋士だった蓮の祖父。

 神矢 千景   蓮の祖母。

 神矢 美月   蓮の母。夫を若くして亡くす。

 天野 宗歩   伝説の棋士。

 小野 五平   宗歩の弟子。

 徳川 家慶   江戸幕府第十四代将軍。

 雫       団子屋で働く町娘。

俺は気づくと、空の上に浮かんでいた。


何を言ってるんだ、と思うかもしれない。

でも、本当にそうだった。


周りに広がるのは、青い空と白い雲。

下を見れば、ミニチュアのような町の景色が広がっている。

思わず、背筋に冷たいものが走った。


俺はただでさえ高いところが苦手だ。

二階のベランダから下をのぞくだけでも、足がすくむ。

なのに、ここはそれどころじゃない。

足元には何もない。

ただどうやら、落ちる気配はなかった。


(……なんなんだ、これ?)


頼りない姿勢のまま、俺は必死に下を見回した。


(ここは……)


見覚えのある景色だった。

そうだ。

ここは俺の住んでいる町だ。


試しに体を前へ傾けてみると、

俺の体は、すうっと町の方へ進んだ。

まるで空を飛んでるみたいに。

なんとも不思議な感覚だった。


少しずつ高度を下げていくと、

一軒の家が目に入った。


古い瓦屋根。大きな庭。

縁側の脇に立つ柿の木の葉が、

太陽の光を受けて眩しいくらいに輝いている。


見間違えるはずがない。


これは、おじいちゃんとおばあちゃんの家だ。


もっと近づいてみると、

その縁側に一人のお年寄りと、小さな子どもが、

何かを挟んで向かい合って座っていた。


(あれは……おじいちゃん?)


そのお年寄りは、俺の祖父・宗一郎だった。


俺の胸がどくんと鳴った。


ここはおじいちゃんの家だ。

その縁側におじいちゃんが座っていたって、

全然不思議じゃない。


でも――


おじいちゃんは、もう十年以上前に亡くなっている。


呆然としながら、

俺は、おじいちゃんの向かいに座る小さな子どもへ目を向けた。


まだ幼稚園に通っているくらいの男の子。

その顔を見た瞬間、俺は息を呑んだ。


「……俺?」


そこに座っていたのは、幼い頃の俺だった。

ちびっこの俺は、二人の間に置かれた何かを真剣に見つめている。


四角い木の台。その上に置かれた小さい駒。

よく見ると、それは、足つきの立派な将棋盤だった。


(え? 俺とおじいちゃんが将棋を指してる?)


その光景に驚いた。

俺は将棋なんて、駒の動かし方を知っている程度だ。

おじいちゃんと勝負になるわけがない。


そう思ったとき、ちびっこの俺が突然叫んだ。


「ねえ! おじいちゃん! 早く指してよー!」


うわ。

声まで昔の俺だ。元気すぎる。

宗一郎は困ったように笑いながら、盤を見つめている。


「うーん、困ったわい……」


どうやら、おじいちゃんの手番らしい。

ちびっこの俺は待ちきれずに前のめりになっている。

やがておじいちゃんが、仕方なさそうに一手を指した。


その瞬間――


「よし! これで詰みだ!」


ちびっこの俺は、ほとんど間を置かずに駒を打った。

しばらく盤を見つめていたおじいちゃんが、

ゆっくりと頭を下げる。


勝負が決まったらしい。


「やったー!」


ちびっこの俺が飛び上がった。


「おじいちゃんに、二枚落ちで初めて勝ったー!」


(え……?本当に?おじいちゃんが負けた?)


あり得ない光景に息が詰まった。

いくら二枚落ちだからって、

そんなことがあるはずはなかった。


だって、おじいちゃんは――


「えっ、あなたが負けたの?」


いつの間にか縁側に出てきていたおばあちゃんも、目を丸くしている。

おじいちゃんはバツが悪そうに笑っていた。

でも、よく見ると――

すごく嬉しそうな顔をしていた。


ちびっこの俺はというと、

勝てたのがよほど嬉しいのか、

縁側でぴょんぴょん飛び跳ねている。


その姿を見ているうちに、何かが込み上げてくるのを感じた。


……あ。


なんだ……これ。


胸の奥で、ほどけていく。


ずっと忘れていたはずの温もりが、

音もなく溢れ出してきた。


ああ――そうか。

思い出した。


俺は、この頃、勝てなくて当たり前なのに、

負けるたびに悔しくて。


それでも何度も、

何度もおじいちゃんに挑戦して。


やっと勝てたことが嬉しくて。


それだけで、世界が全部輝いて見えた。


そうだ。


俺は――

将棋が好きだったんだ。


---


その瞬間、視界が、真っ暗になった。


(……え?)


さっきまで、おじいちゃんの家にいたはずなのに。

次に見えたのは、薄暗い部屋だった。


ここも見覚えがある。

俺の家の、仏壇が置いてある部屋だ。

部屋の奥には……父さんの仏壇がある。


俺の大好きだった父さん。

でも、父さんは心臓が悪くて、

俺が小さい頃に亡くなった。


その仏壇の前に、母さんが座っている。

背中を丸めて、静かに泣いていた。


俺は声をかけようとした。

でも、声が出ない。


母さんは俺に気づく様子もなく、

ただ仏壇を見つめている。

これも――昔の光景なんだろうか。


そんなことを思った時、

母さんが、小さな声で呟いた。


「あなたは……」


声が震えていた。


「ただ、将棋が好きだっただけなのにね」


(……将棋?)


その言葉に、

胸の奥がざわついた。


父さんと――将棋?


なぜか、その二つがうまく結びつかない。

父さんが将棋を指していた記憶なんてない。

……なのに。何かが引っかかる。


ずっと閉じていた扉の向こうから、

かすかな記憶が漏れてくるような――


そんな感覚。


(父さんが……将棋?)


そのとき、頭の奥に、一つの光景がちらついた。


盤の前に座る男の背中。

将棋盤へ伸びる、大きな手。

二本の指でつままれた駒。


――パチン。


駒を置く音。


(……父さん?)


さらに、別の光景が浮かんだ。


将棋盤を前にして笑っている父さん。

誰かと話している父さん。

たくさんの人に囲まれ、

真剣な顔で盤を見つめている父さん。


「……そうだ」


思わず、声が漏れた。


父さんも――

将棋を指していた。


どうして忘れてたんだ。

父さんは将棋が強かった。

ものすごく強かった。


たしか――

プロを目指していたくらいに。


なのに。


(……あれ?)


そこから先が、出てこない。


父さんがどんな将棋を指していたのか。

俺と将棋を指したことがあったのか。


思い出そうとする。

だけど――何も浮かばない。


さっきのおじいちゃんとの将棋は、

あんなにはっきり思い出せたのに。


(なんで……?)


胸が苦しい。

父さんのことなのに。

どうして俺は――


---


「――っ!」


目を開けた。

真っ白な天井が見えた。


そして俺は――

見覚えのないベッドの上にいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。