第7話 息吹
教室の昼休みは、笑い声と話し声であふれていた。夏の陽射しが窓から差し込み、光に包まれるみたいに、どこか胸が軽くなる。
金曜日だからか、週末の予定を話す声が飛び交っていて、教室はちょっと浮かれた空気。僕は小さく笑いながら、パソコンを開いた。
――今日は、少しだけ空気が違う気がする。いつもの毎日に、まだ見ぬ“何か”の気配が混ざっていた。
窓の外では風が木の葉を優しく揺らし、空には雲ひとつない青が広がっている。そのとき、廊下からふと誰かの声が聞こえた。
「なあ、最近さ、なんかワクワクすることない?」
その声に、周りの笑顔がふわっと弾けるのが見えた。僕は思った。
――ああ、何かが始まるんだ。まだ何かはわからないけど、たしかに風向きが変わってきている。
でも、その風がどこへ向かうのか。
そのときの僕には、まだわからなかった。
パソコンを開いて、Mmailを確認すると、彼女からメールが届いていた。
『おっはよ〜! 学校楽しんでる?
こっちはね、ずっと動画見て時間溶かしてた〜笑
あのさ、この前の熱海旅行なんだけど……その日、病院の検診入っちゃってさ……
もしかしたら手術するかも?って言われた!
でも大丈夫だと思うから、旅行ちょっとだけ延期でもいい?
君の都合に合わせるから!私はいつでもヒマだし〜!
1泊2日、楽しみだなぁ〜♪ よろしく頼んだよーっ』
手術――その言葉に、胸がざわついた。もちろん彼女が病気と向き合っていることは知っていた。でも、あんなに元気だったから……現実感がなかった。
でも、彼女の言葉には不安よりも、軽やかな前向きさがあった。
だから、僕は迷わず返信した。
『大丈夫。君が元気でいてくれることが一番だから。
手術、うまくいくって信じてる。
僕らの思いは、きっと負けないよ。』
日曜日は地域の偏差値を測るテストだった。元々旅行で行く予定はなかったが、急遽予定を合わせた。仲の良い柴山と会場に向かい、終わってから数人の友達と昼ご飯を食べる。その途中で、スマホが震えた。彼女からだった。
『ねぇ〜明日手術なんだけど、元気チャージしたいからパフェおごって!!笑』
まったく、どんなタイミングで送ってくるんだよ、と思いながら自然と笑ってしまう自分がいた。もちろん即答で「いいよ」と送る。すると、すぐに追い打ちがくる。
『あ、あとね。制服のまま来て!
君の制服姿、せっかくだから見たいなって思ってたの〜♡』
……もう、ずるい。
帰り道、柴山と指頭と歩いていて、なぜかふと心が動いた。指頭に、彼女のことを話したほうがいい気がしたのだ。きっと彼なら真剣に相談相手になってくれる。なぜかはわからないけど、そんな気がした。
「指頭……話したいことがあるんだけど、あとでメールしてもいい?」
「え、うん。 いいよ?」
彼の返事は、変わらず優しかった。僕は彼女に一応話していいかをメールしたが、彼女は
「それは会った時に話そう!」
とだけ返した。
カフェには彼女が先に着いていて、僕を見るなりニコッと笑う。
「やっほー! 制服、似合ってるじゃん!」
「……照れるからやめて。」
「え〜見たかったんだもん。ほらほら、座って〜」
大きなパフェが届き、彼女がスプーンで一口食べながら、言った。
「で、指頭くんに話すって件、どうなったの?」
「君がここで話そうって言ったんじゃないか」
「あ、そっかそっか。でも、君が信じる人なら、私はそれで大丈夫だよ」
「……ありがとう」
「よし、じゃあ今、ここで送ってみて!反応気になる〜」
「……それが目的ってことね?」
「まぁまぁお気になさらず!」
僕はスマホを開き、指頭に今までのようにメッセージを送った。するとしばらくして、返信が来た。
『もちろん秘密にするよ。親友だろ。』
画面を見た瞬間、胸にじんわりあたたかいものが広がって、思わず涙が頬を伝う。
「……泣くほどか〜?」
彼女が苦笑しながら、僕の頭を優しく撫でてくれる。
「でも、いい子だね。その指頭くんって子」
「うん……話してよかった」
「こんなことで泣いてたら、私が死んだら君、大変じゃない?」
「……それは冗談でもやめて」
「ごめんごめん。でも……笑っててほしいな。ほら、これ食べて!あーんっ」
差し出されたスプーンにはマスカット。僕はちょっと照れながら口を開けた。
「うん。……おいしい」
「でしょ〜?ずっとこれ食べたかったんだ〜♪」
彼女は、僕が口をつけたスプーンでそのままマスカットをぱくり。
……あれ?これって……
気づいて彼女の顔を見る。彼女の顔は少し赤かった。
……やっぱり気づいてたんだ。
スマホが震えた。彼女が画面を見ると、少しだけ顔を曇らせた。
「……ごめん、もう帰らなきゃ」
「あ、そっか……」
「今日はありがとう。すっごく嬉しかったよ。」
「僕も、来てよかった」
「じゃあ……またね!」
「うん。またね。手術、頑張って」
「うんっ!」
彼女は手を振って、店を出ていった。
テーブルに残ったパフェの残りを、新しいスプーンですくいながら、僕は思った。
――この時間が、いつまでも続けばいいのに。
そして、月曜日の昼休み。僕は真っ先にMmailを開いた。
そしてやはり、彼女から、メールが届いていた。
『やほやほ〜! 元気〜?
手術、無事に終わったよー!!
なんかね、がんの塊がうまいこと取れたみたいで、
余命が11月ぐらいまでに延びたんだって!やったー!
熱海旅行も行けるし、これからまだまだ楽しめる!!
ほんとに嬉しい〜!テスト頑張って!その後は青春全開だからね!
あと君にいろいろお礼したくて、友達に頼んでるものもあるんだ〜お楽しみに♪
テスト終わったら、たっくさん構ってもらうから覚悟してねっ!』
僕はパソコンを見つめたまま、声にならない笑みをこぼした。
すぐに彼女に会いたくなって、放課後、僕はすぐに病院へ向かった。
勢いよく病室のドアを開けると、彼女がビクッと驚いた。
「きゃあ!?……びっくりしたぁ!」
「あ……ごめん。嬉しくて、つい……」
「……なんかさ、その顔、すっごく幸せそう」
「そりゃそうだよ。だって、手術成功して、余命が伸びたんだよ?」
「うん、ほんとに。夢みたいだよね」
彼女がそっと隣の椅子をポンポンと叩く。
「座って。いっぱい話そうよ」
「……いいの?」
「もちろん!」
僕は腰を下ろし、彼女の隣で時間を忘れるように笑い合った。
「すごいじゃん……ほんとに、すごいよ」
そう言って彼女の頭を撫でると、彼女は「んぅ」と可愛い声を出したあと、前のように笑顔で僕の肩に頬を擦り寄せてきた。やっぱり可愛い。
「うん!だから、熱海、ちゃんと行けるよ。海!思い出!青春!」
「……海って、僕も入らなきゃいけないの?」
「当たり前でしょ〜!男子だって海に入るのっ!」
彼女が頬を膨らませるふりをする。その表情がかわいくて、僕は自然と笑ってしまった。
「じゃあその日は部活があるから、集合は12時半に川口駅ね。君は大丈夫だろうけど、僕が遅れたら?」
「パフェおごってもらうから!」
「やっぱりそれか〜」
2人で笑い合ったその時間が、まるで世界の中心みたいに感じられた。
しばらくすると外が茜色に染まり、スマホに母からの連絡が届いた。
「そろそろ帰らないと。心配されちゃうから」
「うん……気をつけてね」
「期末テスト、頑張るよ。だって終わったら、君と過ごす“これから”が待ってるから。」
「うん……楽しみにしてる」
「じゃあ、またね」
「うん!またね!」
病室の扉を閉めたあとも、彼女の声が耳に残っていた。
期限があることは、わかってる。でも、それでも僕は今を信じていた。
青春って、もしかするとこんな風に、“期限付きの永遠”を信じることなのかもしれない。
だから僕は、歩き出す。
彼女との“次の未来”を、楽しみにしながら。