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第2話 告白

彼女と遊ぶ日々が続き、僕らは中学3年生になった。

変わったことと言えば、集合場所がカードショップではなく、あの交差点の近くにある小さな公園になったこと。それと、ゲームセンターや映画に行くことが増えたことくらいだ。カードゲームだけじゃなく、僕らは“普通の中学生”みたいに遊ぶようになった。

あとは――僕の持っていた中で一番強い「マルタNEXT」のデッキを、彼女にあげたことだ。このデッキは友達に人気なデッキだったので、友達には、カードショップで売ってなくなったとごまかした。

「え、ほんとに!?」と驚いていた彼女に、「飽きたんだ、このデッキ。強すぎてつまんないし」と言ったら、彼女は満面の笑みで「ありがとう」って言ってくれた。

……かわいい。この笑顔を見て、何度そう思っただろう。そして、そのたびに、ずっと彼女のそばにいたいと思った。

「……面白かった」


読み終わったばかりの小説『君の肝臓をたべたい』を胸に抱えたまま、僕はしばらく動けなかった。

ページをめくるたびに、主人公とヒロインの距離が少しずつ近づき、やがて互いにかけがえのない存在へと変わっていく。その結末に、僕は人生で初めて、小説で涙を流した。

感動の余韻が胸の奥にじんわりと残る中、スマホを開いて、プロフィール欄のステータスメッセージを更新した。

『物語のような青春を過ごしてみたい』

次に読む本を探そうとした瞬間、スマホが『ピロン♪』と鳴った。

彼女からだった。


『おっはよ〜!起きてる?(笑)ねぇ、今年から私たち中学3年生だよね? そろそろ受験のことも考えようかなって思って、エリオに参考書買いに行こうと思ってるの。でも私そういうの詳しくないし、君も一緒に来てくれない? 無理ならいいんだけど……よろしくね!』


エリオは町で一番大きなショッピングモールで、放課後や休日は中学生の溜まり場みたいになっている。そんな場所で、僕が彼女と一緒に参考書を選んでいたら――友達に見られたら確実に「付き合ってるの?」とからかわれる。

……でも、断る理由はなかった。彼女には“僕しかいない”と知っているから。『もちろん、いいよ』と返したあと、ふと画面の上に表示された日付を見て、気づく。

今日は――土曜日だ。

いつも日曜日しか予定を入れてこない彼女が、なぜ今日誘ってきたのか。そのことに小さく胸がざわついた。






公園のブランコに揺られながら、僕は彼女を待っていると、10分ほどして、遠くから風を切る自転車の音が聞こえてきた。


「ごめ〜ん、待った?」

「いや、僕も今来たところ」

「え、ってことは君も遅刻じゃん!もし私が時間通りに来てたらどうするの〜?」

「でも、来てなかったよね」

「……たしかに!お互い様だね!」


彼女は小さく笑い、マスクの下から漏れた声が、春の風に混ざって消えていった。


「じゃ、出発しよっか……あ、ちょっとトイレ行ってくるね!」


そう言って、公園のトイレに向かって走っていく。

最近、彼女はやけにトイレが近い。今日も、マスクをしている。時々、お腹を押さえているのも気になっていた。

でも、僕はそれについて何も言えなかった。

彼女のプライベートに踏み込むなんてことはできなかった。

「そういう日もあるよな」って、見て見ぬふりをすることで安心したかったのかもしれない。






エリオに着くと、知り合いの顔がちらほら見えた。僕は咄嗟に視線をそらす。気づかれたくなかった。


「なんか元気ない?」

「ううん、大丈夫。なんでもないよ」


彼女は心配そうに僕を見つめたけれど、僕はそれを曖昧な笑顔でやりすごした。






参考書売り場で、彼女は棚の前に立ち尽くしていた。


「うーん……どれがいいのかわかんないや」


母は僕の志望校であるW高校の教師をしている関係で、受験情報には少し詳しい。僕はおすすめの参考書を数冊手に取って説明した。彼女は真剣に聞いてくれていたけど、しばらくすると、その肩が小さく震えていた。目元も、どこかうっすら赤かった。

疲れているんだろうか――いや、違う。なんとなく、そんな気がした。僕は胸が苦しくなって、彼女に言葉をかけることができなかった。結局彼女は「こんなに高いなんて思わなかった!」と言って、参考書を買うのはまた後日、ということになった。


「ちょっと……またトイレ行ってくるね」


まただ。今日だけで何回目だろう?僕は気づかないふりをしながら、頭の中に「?」が積み上がっていくのを止められなかった。






数分後、彼女が戻ってきた。


「ちょっと待ってて!すぐ戻るから!」


そう言って走って向かったのは――100均だった。


僕はソファに座り、ただぼんやりと彼女の背中を見つめていた。そしてすぐに戻ってきた彼女は、少し息を切らしていた。


「はいっ、これ!」


手のひらに乗せられたのは、小さな黒い天使の人形。彼女のバッグについている、白い人形とおそろいの色違い。


「……え、いいの?」

「うん、おそろい。これが今日の本当の目的だったの。参考書はついで!」


僕はそっとそれを受け取り、申し訳なさそうにバッグへとしまった。


「……ありがとう。いつか、お金返すよ」


彼女は小さく笑って言った。


「バカだなあ。そういうの、返すもんじゃないんだよ。プレゼントって言葉知らないの?」


その笑顔には、ほんの少しだけ――寂しさがにじんでいた。






「じゃあ、帰ろっか」


このあとは何も予定がなく、もう帰るだけと分かっている僕はそう言うと、彼女が僕の肩を軽く叩いた。


「……ちょっと話したいことがあるの。だから、あの交差点まで、歩いて帰らない?」


少し視線を落としながら、彼女はそう言った。僕の鼓動が高鳴る。もしかして……なんて期待を抱きかけて、すぐに打ち消した。


「……うん、いいよ」


自転車を押しながら、僕たちは並んで歩き始めた。






「……私ね、昨日、余命宣告されたの」


耳を疑った。鼓動が一瞬で止まり、空気が凍りつく。展開がいくらなんでも急すぎる。


「え……?」

「実は……私、大腸の癌で、ずっと入院してるの。ほら、いつも日曜しか会えなかったでしょ? あれ、外出許可がその日しか出なかったから......」


胸が締めつけられた。

彼女の笑顔の奥に、そんな重い現実が隠されていたなんて。僕は動揺のあまり、茫然としてしまった。いや、きっと誰だってそうなるだろう。2年ほど毎週遊んでいた友達が突然、余命宣告をされたなんて言ったら誰だってパニックになってしまうはずだ。


「それで、昨日、検査があって……『余命は夏の終わりまでです』って言われた」


彼女の声は震えていなかった。でも、その静けさが、逆に胸に突き刺さった。


「……私、死ぬとき、誰かにそばにいてほしいの。家族はお母さんだけで、パートで忙しいし……だから、お願い。君に、いてほしいの。私の唯一の“友達”の君に」


彼女が振り返った。


「……わかるでしょ?」


その瞳に宿る決意に、僕は何も言えず、ただ頷くことしかできなかった。


「私、中1の頃から君のことが好きだったんだ。君のやさしさに、何度も救われた。だから、ずるいと思うんだけど……私と、付き合ってくれますか?」


彼女の眼には、涙が溢れていた。いつのまにか、ゆっくりと頬をなぞるように伝っていた。


「……もちろん。一緒にいるよ。君が死ぬ、そのときまで。ずっと」


彼女の目が見開かれ、そしてふっと、微笑んだ。

次の瞬間、自転車を離して僕にしがみつき、大きな声で泣き出した。


「うわぁぁぁん!」


マスクがすぐに涙で濡れ、その声は胸の奥から絞り出されるようだった。それでもその泣き顔は、儚くて、美しかった。僕は小さく震える彼女の肩を、そっと撫でた。言葉はなくても、その温もりだけで、すべてが伝わる気がした。

やがて、彼女の呼吸が落ち着きはじめた。そしてそっと顔を上げて、僕を見つめた。その瞳には、悲しみと希望、そして強さが混ざっていた。


「……じゃあ、約束ね。君は、私が死ぬまで、一緒にいること」

「うん。約束だ」


彼女は静かに微笑み、僕の手を包み込むように握った。僕はその温もりを、離したくなかった。


「それじゃあ、明日はもう外出できないから、次会えるのは来週だね......」

「うん、そうだね」

「来週も、ここ集合ね」

「うん……わかった」

「じゃあまたね」

「......うん、また来週」


彼女は、病院へ向かう坂道をゆっくり登っていった。

夕焼けは町を赤く染め、風はすこし肌寒く感じた。






僕は、家に帰ってベッドに倒れ込んだ。

今日の出来事が、何度も頭の中を巡った。


――何度も行っていたトイレ

――ずっと外さなかったマスク

――ときどき見せていた顔色の悪さ

――歩きながら、お腹をさする仕草

――本屋で震えていた肩

――参考書よりも急いで買いに行った人形


全部、病気のサインだったんだ。

それなのに僕は――なにも、気づけなかった。

その事実が、胸の奥を容赦なくえぐった。

涙が枕に落ちて、静かに染みこんでいった。






目を覚ますと、スマホの時計は10時を指していた。部屋の中は、まだ昨日の温度を引きずっているようだった。顔を横に向けると、枕が少しだけ湿っていた。

――夢じゃなかった。

彼女が泣いて、僕が抱きしめて、約束を交わしたあの時間は、現実だった。

トイレの回数も、震えていた肩も、マスクを外さなかった理由も。あのときは気づけなかったすべてが、今になって胸に重くのしかかってくる。

けれど。それでも、僕は前を向こうと思った。

苦しくても、不安でも、怖くても。

「君が死ぬその時まで、ずっと一緒にいる」

この約束が、僕の、いや、僕らの、これからの“物語”の始まりだった。

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