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8 校長室での話し合い

 私の手の傷は大したことなく、何箇所か絆創膏を貼るだけで済んだ。

「どうしたの、高野さん。あなたがこんな騒ぎを起こすなんて」

 保健室に来てせっかちに事情を問おうとする担任教師に、話す気にはなれなかった。事態を説明するためには多くの事を語らなければならないし、仮に語ろうとしても私の気持ちを寸分たがわず説明できる言葉も見つけられそうもなかった。

 しばらくして、学年主任の教師が保健室にやって来た。私の喧嘩相手の子たちから事の経緯を聞いたらしく、担任に説明しつつ私に事実かどうか確認する。学年主任が彼女達から聞いた話では私が一方的に絡んだ挙げ句にいきなりキレた事になっていた。

 肯定できる内容ではなかったが、否定するのも馬鹿馬鹿しかった。相手は三人、こちらは一人。三人の方の話に矛盾や綻びがなければ、対する一人の主張など信用性が低いに決まっている。私の反論を真摯に教師が受け止めてくれるとは思えず、私は学年主任の問いを黙殺した。

 返事も返さない私に学年主任はため息をつき、担任へ向き直った。

「保護者の方には連絡つきましたか」

「はい。高野さんの伯母さんが来てくださると」

 担任の答えに学年主任は顔をしかめた。

「伯母さん? どうして伯母さんなんですか。連絡するなら両親、まず母親でしょう」

「そうなんですが……高野さんのお母さんは今病気で入院中だそうで」

 前回休んだ日に「父親は仕事で忙しいから何かあったら自分の所へ連絡を」と伯母に強く申し入れられていたからと言い訳する担任に、学年主任はますます眉根を寄せた。

「そうは言っても、この場合はやはり父親に連絡するべきじゃないですか。父親を差し置いて同居してもいない親族の方へ連絡するなんて」

 学年主任に叱られた担任は早速父に連絡を取り、どう説得したのか今すぐ学校に来る約束を取り付けてきた。

「父親なんか呼んでも無駄ですよ。あの人は家族を大事にする気なんてないんだから」

 先に学校に着ついた伯母が教頭も交えての話し合いに応接室へ場所を移して事情を説明された後、担任から父にも連絡したことを知らされると吐き捨てるように言った。

「この子だって父親のせいで今すごく傷ついてるんです。顔合わせもしたくないはずだわ」

「それはどういった理由で?」

 学年主任に問われ、伯母は私の方を振り返った。正直に家庭の事情を語っていいものか迷っている様子だったが、私の沈黙を了承と取ったのか、私が今置かれている状況を教師たちに説明した。

「家庭が荒れて、精神状態が悪かったんだと思います。そうじゃなきゃ、この子はこんな馬鹿な騒ぎを起こすような子じゃありません」

「それはそうなんでしょうけど、家庭環境が良くないなら、今後もまたこんな騒ぎを起こすことも考えられますよね。たださえ受験生は些細な事で動揺しやすいですし、現に今回喧嘩になった相手の子たちも少しパニックになっていて」

「待ってください。じゃあ今回の事は全部この子が悪いって言うんですか? この子だって同じ受験生ですよ。喧嘩なら両成敗でしょう。なんでこの子だけが悪いように言われなきゃならないんですか」

「そうは言ってません。しかし、相手の子たちは暴力をふるったわけではないし、鏡を割って死ぬと脅して恐がらせたのは高野さんの方で」

「三対一だったのは問題じゃないんですか? 一人相手に多人数なんて、喧嘩じゃなくてイジメだったんじゃ」

「イジメではありません。単なる口喧嘩ですよ」

「そうだったとしても、この子が反撃しなかったら、その三人はきっとこれからも同じようにこの子に嫌がらせしたかもしれないでしょう」

「憶測で話をするのはやめてください。学校としては事実に基づいた冷静な話し合いを行いたいわけで」

 不機嫌に学年主任が反論しかけた時、ドアをノックする音が聞こえた。

 教頭がどうぞと応えると、ドアが開き父が入って来た。

 父は担任が勧めた私の横には座らず、隣の一人掛けのソファーに座った。

 久しぶりにあった父はやつれて見えた。父は私と目を合わそうとせず、担任から私の起こした騒ぎを聞いても無言だった。

「そちらの家庭の事情は伯母樣の方からさっきお聞きしました」

 俯いたままだった父は担任の言葉に顔を上げ、伯母の方を見た。が、伯母に睨みつけられると視線を逸らして再び俯いた。

「私たちは高野さんの家の事情に無神経に介入しようというのではありません。ただ、美咲さんの将来を考えて、今どうするのが美咲さんにとって一番いいのか相談したいのです。お父さんの方にも一言では語れない気持ちや事情があると思いますが、美咲さんの高校受験は待ってくれません。時間がないんです。一日も早く平常心を取り戻して勉強できる環境を整えてあげたいのです」

 担任が柔らかに提案し、もう少し早く帰宅できないか、家事の分担は不可能か問うたが、やはり父は黙したままだった。見かねた教頭や学年主任が発言を促したが、父の態度は変わらなかった。

 父は強い怒りを抱いたり責められて不利になったりした時は黙り込んでしまう癖があった。多分自分の中で考えを整理し、感情を昇華させてから言葉にしたいのだろうが、その間待たされる相手にしてみればその沈黙は不満と不快でしかない事に父は気付かない。

「何も言わないってことは自分の事しか考えられなくて、娘に言える事がないんでしょう」

 伯母が冷たく言い捨てた。

「その人は若い愛人と自分が幸せなら、自殺しかけた妻や受験生の子供なんてどうでもいいんですよ」

 父は顔を上げ険悪な目で伯母を睨んだが、結局一言も反論せずまた顔を伏せた。

 私は父にその場しのぎの嘘でもいい、「努力します」と言って欲しかった。それさえできないほど、したくないほど、父の心は母と私から離れてしまったかと思うと悲しかった。

「お子さんはしっかりしているように見えても、まだ親御さんの保護がいる年頃なんです。それに受験をひかえて気持ちが不安定な時なんですから」

 返事さえろくに返らない父に苛々しながら、学年主任は何とか一応の約束めいた言葉を引きだそうと言葉を重ねる。私の将来を人質に家庭の安定を促す学年主任の説得は、家庭不和を学校にまで持ち込むなという苦言に聞こえた。

 万が一父が心を入れ替え、愛人と別れて家庭に戻って来たとしても、それで万事うまく行くとは私には到底思えなかった。

 落ち着いてみれば、私が起こした騒ぎはこの先学校生活を続けていく上で致命的に取り返しのつかない事だった。騒ぎを知る同級生達には、私は『キレると何をするか分からない危ない人間』としてこれから警戒され、腫れものを触るような態度を取られて孤立するだろう。教師からも情緒不安定な要注意人物として、今までとは違う目で見られる。

 自分の短慮が招いた事態とはいえ、修復できる見込みのないこれからの学校生活を思うと暗澹たる気分になり、思考がついそのまま口に出てしまった。

「もう、いいです。私、明日から学校には来ませんから」

「高野さん、何を」

 投げやりな事を言い出すんだと責めるような視線を向ける教師たちの視線を受けても、私の口は止まらなかった。

「受験勉強は家でします。そうすれば、先生も問題のある生徒に神経を尖らせなくて済むし、クラスのみんなも余計な気を遣わなくていい。私も周りに変に避けられたり、からかわれたりするのは嫌です。だから、もう学校に来ません」

 自分でも実現化の薄い言葉だとは分かっていた。それでも親しい友人も居場所もない学校でのこれからの自分の孤独さが容易く想像でき、涙がこぼれた。

「何を馬鹿な事を。そんな我儘な話が通るとでも思っているのかね」

 案の定、学年主任が私を叱りつけ、ため息をついて私の父に視線を向けた。自分の娘の事であるのに黙したままの父に、私に対する以上に厄介さを感じているようだった。

「高野さん、三人に謝って、仲直りしたら?」

 行き詰った話し合いの場の空気を変えるように、担任が声を上げた。

「何か誤解があって喧嘩になったんだったら、高野さんが謝るのを切っ掛けにして話し合えば、また元通り仲良くなれるわよ、きっと。あんなに仲が良かったんだから」

 宥めるように背中を擦って言い諭す担任に、私は心底呆れた。

 分かってない。この人は何も分かっていない。

 私は彼女達との交友関係の修復を望んでいないし、おそらく彼女達も同じだろう。

 そもそも彼女達と私の間には深い所で理解し合おうという意思がなかった。ただ表向きの意見が合って、他のクラスメートといるより摩擦が少なくて済む、それだけの理由で一緒にいた間柄で、お互い傷を負った今、言葉を尽して取り戻したいと思うような絆は存在しないのだ。

 いつも一緒にいるから強い友情が育まれているなんて、幻想にすぎない。

 この人は教師として知識教育に関しては有能なのかもしれないが、この無神経に近い察しの悪さと楽天的思考は、中学生の教師には不向きだ。今までも至る所で悪気なく無自覚に人を傷つけて来ただろう。三十歳を過ぎてまだ独身なのは、教師の仕事に身を入れ過ぎているからではなく、この鈍感さの所以ではないのだろうか。

 自分の提案に何の反応を返さない私に困惑して、担任は助けを求めるように学年主任と教頭を見た。

 学年主任は深々とため息をつき、父に問いかけた。

「お父さん、学校内でのことなら私たち教師がフォローできますが、基本はまず家庭です。これからどうするのか、いい加減あなたのお考えを聞かせていただきたいのですが」

 黙っていられては話し合いにならない、と学年主任は苛立ちを隠そうともしないで父に発言を求めたが、父は俯いたままだった。

「あー、もういい。もういいわ」

 伯母が顔をしかめて声を上げ、私の方へ身体ごと顔を向けた。

「美咲ちゃん、伯母さんの家に来なさい」

 思ってもみない申し出だった。

「この学校に通うのがもう嫌なら、伯母さんの家から行ける中学校に行けばいいわ。無責任な父親が帰って来ない家に一人でいるより、その方がずっといい」

 突然の伯母の提案に一同が驚きのあまり沈黙した一拍の空白な時を置いて、

「そうですね、お父さんが生活を変えるのが難しいのであれば、違う環境に高野さんが移るという選択はありですね」

 最初に同意したのは教頭だった。

「このままお父さんと二人で家にいてもあまり良い状況とは言えませんし、騒ぎを起こした後では確かに高野さんも学校に通いづらいでしょう。転校して、気分を一新させる方が良いかもしれません」

 何か言いかけた担任教師を視線で押さえ、

「高野さんがまた夏ごろの成績を維持できるようになるのであれば、転校自体は受験には関係なく、不利益にもなりません。家庭の事情で引越しするのはよくある話ですから」

 伯母の提案を全面的に推した。

「ええ、あなた方にも、色々都合がいいことでしょうよ」

 伯母は見透かすような冷たい目で教師たちを一瞥し、私へ視線を戻した。

「美咲ちゃん、伯母さんの所に来なさい。何もずっとうちで暮らせと言ってるんじゃないのよ。喜美子が退院して、高校に合格したら、またあの家に戻ればいいじゃない。大事な時期なんだから自分の事を一番に考えて」

 父を除いたみんなの視線が私に集中した。

 私にはどうするのが最良なのか分からなかった。この時期の転校には不安があったし、親戚の家とはいえ住むとなればやはり気兼ねもするだろう。けれど、あの家で父とろくに顔合わせしないまま暮らすのも限界で、この学校に通うのも本当に嫌だった。

 両方を天秤にかけて考える。考える私の天秤を傾けさせたのは、

「お父さんはどうお考えですか? 美咲さんが伯母さんの家に行かれるのは反対ですか?」

 教頭の問いに対する父の答えだった。

「美咲がそれでいいなら……」

 父は反対しなかった。何も語らない父に葛藤があったのかどうかは知らない。けれど、その一言が私に心を決めさせた。

「私……伯母さんの所に行きます」

 教頭は私の返事に満足げに頷き、早速転校について打ち合わせを始めた。

 父は俯いて、その後も何も言わなかった。

 私は翌日から二学期の終業式までの数日を休んだ。心身共に限界だったのか起きる気力もなく、ほとんど一日中寝てばかりだった。いつもよりは早く仕事から帰って来てくれた父が家事をしてくれたが、父と私の間に会話はなかっ た。

 終業式当日、ホームルームで転校の挨拶を一言しただけで式には参加せず、引越し準備を理由に早退した。帰った後訪ねてきた担任から、私の転校に対してのクラスメートによる寄せ書きだという色紙を渡された。

 ピンクの包装紙包まれた色紙を、私は開いて見ることなくゴミ箱に捨てた。

 捨てた事に一片の後悔も罪悪感もなかった。

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