第74話 騎士団長リベル
自らが流した真っ赤な血で顔を染めたまま、リベルはリューネを見る。その目は普段の眠たげなそれではなく、戦いを楽しんで見開いたものでもなく、鋭い目付きであった。
「ちがう」
再び彼女は確かめるようにその言葉を口に出す。
次の瞬間。
彼女はリューネの懐に入り込んでいた。
十数歩の距離を瞬き一つの間に接近したのだ。さしもの龍人もそれに対応出来ず、上半身を後ろへと引き防御の構えを取ろうとする事しか出来ない。だがそれよりも速くリベルは動く。
しかし、その前に。
「天烈掌」
そう口に出す。
右足で一歩踏み込んで右手をグッと握り、下から上へ掌底で突き上げる。相手の顎を打ち抜き、その意識を一撃で刈り取る技だ。薄紫髪の少女の力で放てば相手の顔面を吹き飛ばす威力である。
だが龍人の強靭な肉体はそれに耐えた。
大きく上半身を仰け反らせ、数歩後退りはしたものの耐え抜いた。
攻撃前からそうなる事を理解していたリベルは追撃する。
が、その前に。
「火鉄弓」
そう言った。
右手を引いて今度は左足で踏み込み、その脚へと体重移動する勢いを拳に載せて相手の胸を打つ。引かれた拳が放たれる姿はまさに、引き絞られた強弓から発射される一矢だ。
その一撃はリューネの胸の中心へと命中した。掌底で体勢が崩れていた事で一切の防御も回避も出来ない所への剛腕の一発である。ベキベキと肋骨が砕ける音が鳴り、龍人の体は吹き飛ばされた。
リューネは翼を広げて勢いを殺し、足で大地を削りながら停止する。
「やっぱり、違う」
彼女を打った右手を広げて結んでまた広げて、リベルはそれを確信した。
「今の、リューネが教えてくれた」
背丈は大して変わらないが今よりも小さかった頃。少女は騎士たちから多くの事を教えられた。元が野生児で一般常識すら理解していなかった彼女を人間にしようと、皆が尽力したのだ。基礎的な事がひと段落した頃、リベルは戦いについても教わる事となった。
彼女は強い、それは野生児の時点でもそうだった。あらゆる魔物を屠り、野盗を文字通り虐殺していた。戦いとは相手を殺す事。それがリベルの常識であり、それゆえに残虐かつ容赦なし。だがそのままではいずれ本人が望まない形で誰かを殺してしまうだろう。聖殿の皆はそう考えて、手加減を覚えさせるために武術を習わせたのだ。
その師の一人がリューネ・アルジェントである。彼女からは身体の使い方、すなわち体術を学んだ。体捌きから拳脚の技、防御術まで。リベルはあっという間にそれを吸収して彼女を驚かせたのであった。
聖殿の人々の中でも関係性の深い一人であるリューネ。彼女の実力をリベルは良く知っている。だからこそ言えるのだ、違う、と。
「死んだとしても、身体の動きが縛られていたとしても、これから打つ技を教えてあげたのに自分が教えた技を防御も回避も出来ないなんてありえない。それに、踏み潰しただけで私が死んだと思ったりしない。やっぱり違う、全然違う」
右手に大斧を出現させて、少女は片手で持ったその石突を大地に突き立てた。ズガンという大きな音と共に僅かに大地が揺れる。苛立ちからくる衝動的な感情を大地へと押し込んだのだ。
それを軽々と片手で引き抜いて、リベルは斧の先端をリューネへと向けた。
「あなたはリューネじゃない。ただ、形が同じだけの、紛い物」
そう言って彼女は斧を数度回転させて、肩に担ぐ形で構えを取る。
「だから、私が倒す。リューネのために」
総身から魔力が迸る。
魔力とは不可思議を成すための力であり、本来は目に映る姿は無い。見えぬはずのそれが、陽炎の如くリベルの身体から立ち上っていた。濃密で強烈な、人の常を遥かに超える力の発露だ。
「今は、今だけは。騎士団長に戻ってあげる」
透き通った青い斧の刃が彼女の魔力を宿して輝きを強くする。
「聖殿騎士序列一位、騎士団長」
聖殿騎士同士の試合においては名乗りを上げる、それがリベルが学んだ戦いの作法だ。相手はリューネの紛い物である、しかし形がリューネならば作法に従うのが正しい行いである。
「『四極四天』」
地水火風、四の魔の嶺をして四極。
斬打突射、四の武の頂をして四天。
僅かな時であらゆる力を得て、それを以って聖殿を守り抜いた英雄を表す二つ名だ。ただ一人で万の軍勢と戦い、そして勝利した古今無双の勇者の異名である。其れは当代並ぶ者無き人間の名であり、遠く世界の果てまで轟く雷名なのだ。
「リベル・ファリス、行くよ」
両足に力を込めて、彼女はその言葉と共に跳ぶ。
高く高く、人の背丈の十数倍以上の場所へと。
リューネもただそれを見ているだけではない。
決して覆らない、種としての力で迎え撃つ。
龍変。
体の一部などという中途半端ではなく、その全てを龍へと変じた。
翼竜や鉄鎧竜、蛇竜など世界には竜と呼ばれるものは数多くいる。しかしそれらは全て魔物であり、真なる龍ではない。本来、龍とは精霊にも近しい存在なのである。四肢を有し、背に双翼を持つ者、それが真なる龍だ。
猿から進化した只人、獣から進化または人と混ざって二足で立つようになった獣人、それらと龍人は全く違う。龍人とは龍の特徴を有した人ではなく、人の姿をした龍なのだ。
故に、人の何十倍もの体躯に変わった今の姿こそが彼女の本質なのである。
銀の龍はその全身に痛々しい傷があった。刃も魔法も通さない程に強固な白銀の鱗は剥げて千切れ、衆寡敵せず数に勝る敵兵にやられたであろう剣槍の傷が無数に開いている。そして人型だった時と同じく胴体には致命傷となった巨大な斬撃痕。そこからはドロリと臓腑が顔を出しており、その様は誇り高き龍人とは思えない腐敗した姿であった。
銀龍は咆哮する。
その口の中に猛烈な魔力が集中していく。
息吹だ。
真なる龍の吐く息吹は火炎や氷雪などではない、魔力そのものである。別の事象に変換する事無く、本来不可視の力を目視できる程に凝縮して撃ち出すのだ。その一撃は何者も抗する事が出来ない、まさに破壊の奔流なのである。
「ふぅぅ……ッ!」
しかしリベルは怯まない。自身の魔力を集め、それを斧へと注ぎ込む。刃は更に更に輝きを増し、夕暮れの朱空に青の月が昇った。
リューネは空に浮かぶ小さな月を目掛けて、破壊の息吹を撃ち放つ。周囲の大気が破裂するような轟音が響き、強烈な衝撃を受けて大地が微塵に粉砕される。凝縮圧縮された魔力は空中に真白の線を描く。
「んんんんんッッッ!!!!!」
リベルは膨大な魔力を注ぎ込んだ斧を振りかぶった。
そして小さく、呟くように言葉を発する。
「ばいばい、リューネ」
振り下ろされた刃が、夕暮れ空に青の三日月を描く。
それは全てを真っ二つにした。
放たれた破壊の奔流を。
如何なるものも通さない銀の鱗を。
強靭無比な龍の首を。
そして大地すらも。
一閃。
見える範囲の大地が叩っ斬られた。
少し遅れて破壊の衝撃が爆裂する、裂かれた大地が砕け散る。
首を落とされた龍はその身から力を失って倒れゆく。魔力の衝突によって顔を濡らしていた血が殆ど蒸発したリベルは、それを見下ろしながら大地へと降り立った。
「……」
戦いからようやく解放された銀龍はその姿を光の粒へと変えていき、空へと還っていく。龍がいるべき場所は空だ、空こそは龍の領域なのだ。そして死した龍は再び龍として生まれるという。龍人も同じであるかは分からない、しかしそうであると思いたい。
リベルはリューネを見送る。
目尻から顎まで伝う、蒸発しきらなかった赤の線を乱暴に拭って。




