第63話 戦の予兆
年の頃六十半ば、老人と呼べる年齢。平均寿命の短い世界においては、既に一線から身を引いて隠居していて良い年である。しかしその人物は、現騎士団長は違う。歳を重ねて皺を増やし、加齢で身体を萎ませて猶、強者犇めく聖殿騎士団において最上位の実力を持っているのだ。
騎士団長の執務室、椅子に掛ける彼の前にジョニーは立っていた。
「まずはお疲れだったね、ダルトン君」
「いえ、それほどでも。密偵の任にはもう慣れましたから」
「そうかそうか」
好々爺の様にニコニコと騎士団長は顔を綻ばせる。立場としては組織の頂点とその命令を受ける者であるが、肩書を取り払ってしまえば昔からお互いを良く知る間柄だ。
「じゃあ、報告を聞かせてもらおうか。大まかには事前の手紙で知ってはいるがね」
「はい、では―――」
聖殿騎士として身分を明かしていては得られない情報は多くある。それを入手するために自由に動ける冒険者としてジョニーは行動していた。旅人として方々を歩き、冒険者として未知の領域へ挑み、しかし同時に各国各地の状況情勢を探っていたのだ。
途中で弟子を取る羽目になったのは予想外ではあったが。
「———帝国各地で鉄鉱石や魔石、薬草類の価格が高騰、買い占めに近い動きによって庶民の生活が圧迫されています。直接的な情報は得られませんでしたが、国が関係しているのはおそらく間違いないと判断しました」
商人組合は商人の集まりだ。しかしあくまで互助組織であり、個々の商人や商会の動きを把握して強力に規制する力までは持っていない。個別に商いによって特定の地域で物品の過不足が起きるのも仕方のない事である。むしろ需要が増している情報を得た者たちがその商品を仕入れて集まり、より価格が上がっていくのだ。
「対して、東方の三王国では傭兵の雇用が進んでいます。野盗の類までもを大量に雇い入れており、短期間で軍を増強中。また、冒険者に対しても従軍依頼が出されています。通常の依頼とは比較にならない程に報酬は高額、それなりの人数が応じるかと」
傭兵も冒険者も、普通の仕事が出来ないような人間がする仕事。教育を碌に受けずに口減らしで家を追い出された者や命以外に役に立つ物を持たない貧民、家が没落して身を落とした者もいる。彼らに共通するのは、一発当てて自らの状況を変えたい、という思考をしている部分だ。今回のような国からの依頼に飛びつかない理由は無いのである。
「そして……表立っては分からないようにされていますが、両国とも部隊を動かしています。帝国は東に、三王国は西へ。当初の予想通り、かの地を挟んでの睨み合いが始まっている状況となっていました」
「……そうか」
報告を一通り聞き終えて騎士団長は一言ポツリと口に出す。彼もそうなる事を予想していたが同時にそれが外れる事を願っていた。しかし悲しいかな、彼もジョニーも優秀だったのだ。
「聖殿領を囲む山脈、その北方にあって南北に連なる大壁が交差する地。大陸北部で唯一、東西の移動が容易である要衝。どちらにとっても相手に渡すわけにはいかない場所だ。遅かれ早かれ衝突は避けられなかった」
深くため息を吐いて騎士団長は壁に掛けられた地図に目を向けた。地理を把握していれば誰であってもそこが重要な場所だと理解できる。しかし山脈が十字路を作る場所と接する国は決して手を出そうとはしなかった。理由は単純だ、そこを取るという事は他の国へ攻め込む野心があるという意思表示となるからである。
西の帝国、東の三王国、北のサフィン王国、南の聖殿。
山脈十字路を巡って緊張が高まってきたのはここ十数年の事である。四つの勢力の中でも帝国は大きな国力と野心に基づいて領土を東西に広げており、三十年ほど前に彼の国は大壁の西にあった小国群を武力を以って併合したのだ。こうして本格的な衝突が不可避となるのも避けられない未来だったのであろう。
「我々が直接的に戦に関わる事は無い。帝国にも王国同盟にも協力はしない。しかしだからといって此方に火の粉が掛からないとは言い切れない」
「……そうですね」
ジョニーもまた地図を見る。二つの国の領土から聖殿へと続く道が無いわけではない、山脈十字路と比べると遥かに細くはあるが存在するのだ。
人間の国である帝国、獣人の国である三王国。国力では帝国が圧倒的であるが、山岳地帯での戦闘では身体能力に優れる獣人に分がある。となれば戦争はいずれ膠着状態へと至るだろう。
そうなった時、はたして両国はどんな一手を打つだろうか。
中立勢力を踏み潰してでも敵国の後背を突こうとするのではないだろうか。
「今後の状況は更に緊張していく。騎士ダルトン、今後は此処に常駐するように」
「はっ」
険しい顔の団長からの命を受けて、騎士ジョニー・ダルトンは短く返事をした。それに騎士団長は一つ頷き、表情を軟化させる。
「そういえば、君の教え子たちはどうしたのかな?」
「教え子……ああ、冒険者の」
「そう。良い子たちだというのは手紙で知っているけれども」
「面白い奴らですよ」
真っ先に押しかけ弟子になった猫の獣人の少女を思い浮かべて、ジョニーは苦笑する。
「アイツらには大陸の南へ向かうように指示をしておきました。戦争云々は話してませんが、まあ何となく理解してる奴もいるでしょう」
「そうか、なら安心だ。手紙であっても知っているせいか、私としても友人の子供のような感覚だったから」
「ははは、聖殿騎士団の団長から気に掛けてもらってると知ったら、アイツら驚くでしょうね」
ひえぇ、と声を上げながら身を竦ませる少女らの姿を思い浮かべる。当然ながら密偵として動いていたジョニーは彼女達に自身が聖殿騎士である事を教えていない。まだまだ未熟な冒険者たちだ、自身の師がそんな者などとは欠片も思っていないだろう。
いつか知る日が来たら、目を見開いて驚くだろうと考えてジョニーは笑った。




