第61話 夢
夢。
そう、夢だ。
ジョニーはそれを明確に認識しながら、その中を歩いていた。妙に現実感がある、当然だ、何時までも忘れられない記憶なのだから。何度も何度も夢に見て、決して取り戻せない日々だと理解し続けてきたものなのだから。
三百年近く昔に設立された弱者の寄る辺、それは天然の要害たる山脈で囲まれた地に存在する。
聖殿。
神を祭らず人を慈しむ。汚さるる事なき、虐げられし民の聖域だ。
その中心には人々の心の拠り所となる建物があった。それは大きいものの豪奢さとは正反対、清貧とも言うべき質素な造りである。白の石造りに装飾は少なく、内部もまた同じだ。
その姿を言い現すならば遥か古代に建てられた、神を祭る場所であろう。崇める神無き組織の本拠がそれと似るとは、何とも不思議なものである。
ジョニーは石柱が並ぶ場所を一歩一歩進んでいた。歴史を感じる白い柱の向こう側には中庭があり、青空が見える吹き抜けから太陽がそこを照らしている。どこか幻想的にも思える情景だ。
中庭では騎士見習いの子供たちが駆け回っている。特徴的な薄紫髪の少女と褐色肌の狼獣人の少年が追いかけっこをしていて、時折取っ組み合いのじゃれ合いから殴り合いの遊びに発展しては年長者に止められていた。
今はもう見られない、記憶の中にしか存在しない。
それを認識しながらもジョニーは夢の中を現実の様に捉える。
「なんだジョニー! 戻ってたのかよっ」
「うおっ」
ぼんやりしていた所で背後から突然肩を組まれて彼は驚く。真横にいかにも軽薄そうな顔を見せたのは、短い淡褐色髪の男だった。額の両端から髪に似た色の鱗に包まれた角が生えている、明らかに只人とは異なる種族である。
「ああ、今しがたな」
「そーかそーか、外廻りお疲れさん」
彼は笑い、ジョニーも笑みを漏らす。
案外と真面目なジョニーと軽薄そうな淡褐色髪の男、二人は友人である。五歳ほどジョニーの方が年下ではあるが、他人行儀な敬語など不要の間柄と言えばどの程度の仲であるかは分かるだろう。
「で、どうだった?」
「俺がここにいる事が答えだよ」
「そっかー」
問われてジョニーは答える。思った通りの返答に淡褐色髪の男は残念そうに溜め息を吐いた。
「ま、仕方ねぇか」
「ああ、仕方ない」
お互いに、はあやれやれ、といった様子で少しばかり肩を落とす。直接的に関係するような事ではないとはいえ、情勢が緊張する事を望む人間などいないのだ。
「……はっ!」
「ん? どうした?」
何かに気付いた様子で淡褐色髪の男は顔を上げる。
「来る……っ」
「何がだ」
突然の深刻な声色にジョニーは首を傾げた。
「労働の気配だ!」
「……はぁ?」
「そういうわけで、じゃあな!」
「……はぁ」
訳の分からない事を言いながら、彼は来た道を戻るように駆け去っていく。サボり宣言を残して疾走する相変わらずなその後ろ姿にジョニーは溜め息を送った。
「やぁジョニー、おかえり」
背後から声を掛けられて彼は振り返る。
そこにいたのは肩に掛からない程度の長さのライトブロンド髪の女性だった。金の片眼鏡を付けており、知的な印象を受ける人物である。そしてその額からは先程の友人と同じく鱗に覆われた角が生えている。ただし色は異なり、輝くような銀であった。
「リューネ」
ジョニーはその名を口に出す。
リューネと呼ばれた女性は何かを探す様に辺りを見回した。
「戻った所で申し訳ない、一つ聞きたい事があるんだが」
「ああ、あっちだ」
問われるよりも先に彼は背後を指さす。彼女は先程掛け去っていた男を探していたのだ。ジョニーがそれをすぐに理解できたのはこうしたやり取りが日常だったからである。つまり彼の友人は聖殿で有名なサボり魔なのだ。
「まったく。ちゃんとすれば私よりも実力は上だというのに」
「お行儀よく仕事してるアイツなんて想像できないな」
「それは、まあ、そうか……」
そんな事は無い、と言えないのが悲しい所。リューネはジョニーの言葉に同意する。彼女は呆れつつも残念そうな表情を浮かべながら肩をすくめ、彼はハハハと笑った。
「ん?」
そんなやり取りをしているとジョニーは袖を引かれる感覚に気付く。そちらに目を向けると、何時の間にやら中庭で駆け回っていた少女と少年がやって来ていた。
「遊んで」
「今は疲れてる」
「え~、遊ぼうよー」
少女の願いを断ると褐色肌の少年が抱き着くように腕にしがみついてきた。それを真似するように少女はジョニーの脚に腕を回し、無理やりに遊びに付き合わせようとする。彼は二人を振りほどこうと腕と脚を振るが、見た目よりも遥かに腕力が強い少年少女を振り払うには至らない。
そんな三人の攻防を見てリューネは笑う。が、他国から聖殿へ戻ってきたばかりで本当に疲れているであろうジョニーが流石に不憫になってきたため、助け舟を出す事にした。
「じゃあ私と遊ぼう」
「ホント!?」
「ああ、もちろんだ」
「何する?」
「追いかけっこにしよう。ただし、追う相手は私じゃないぞ」
ニヤリとリューネは怪しい笑みを浮かべる。ジョニーは察した。
三人は彼に別れを告げ、仕事から逃げおおせようとしている不届き者の確保に向かう。無限の体力を持つ少年少女に、知性のみならず鉄拳制裁も得意なリューネ相手では友人が捕らえられるのも時間の問題だ、絶対に無事では済まないであろう。せめて攻撃を喰らうのは一発二発で済むと良いな、と叶う事の無い願いをジョニーは頭の中で唱えた。
「さてと」
彼女達を見送って、ジョニーは本来の目的地へと足を向ける。彼が向かうのは騎士団長の部屋だ。弱者救済のために各国を廻る騎士であると同時に、ジョニーは密偵として周辺国を探っていた。今回の帰還は刻々と最悪へ向かいつつある情勢の報告と今後の方針の確認の意味もあった。
聖殿が最悪に巻き込まれない事を願いつつも、同時にそれが非常に困難な望みである事を彼は知っている。今、彼の目に映る平和がどうなっていくのか。それをジョニーは憂えていた。
そんな物思いに耽りながら角を曲がる。
と。
「あっ」
「おっと」
そこには女性がいた。
ジョニーは衝突しそうになってバランスを崩した相手を咄嗟に支える。
「大丈夫か?」
「あ、あはは。はい」
ニコリと笑う彼に対して、彼女は恥ずかしそうに頬を染めた。
「えと、おかえりなさい。ジョニー」
「ああ。ただいま、フィオナ」
決して忘れる事など出来ない。
そう、彼女はジョニーにとって掛け替えの無い人なのだから。




