第57話 傷
アーベンの街中の長椅子に掛けて、ジョニーは道行く人をただぼんやりと眺めていた。
三年前。
あの日、あの戦場を思い出しながら。
「……」
目を瞑り、彼は首を横に振った。多くの思いはある、だが全て過ぎてしまった事だ。今更何かを出来るわけもない、思い出すだけ無駄なのだ。
そう、そうだと分かっている。
それでも忘れられないのが、過去というものだ。
「ジョニー君」
突然横から声を掛けられ、ジョニーはハッとそちらを向く。長椅子のもう一方の端に、いつの間にかアルベルが座っていた。その気配に気付く事が出来ない程に、どうやら深く思考してしまっていたようだ。
「先生、杭はどうでした?」
「結論から言うと、な~んにも分からない、かな」
はは、と笑って彼は肩をすくめる。
「材質に変化なし、使用した魔石に破損無し、組み込んだ術式もそのままだ。あれは正しく、僕が想定した通りの動きをしている」
「でも配信……異世界と繋がるような機能は無い」
「そう。何も変わらず、何も壊れず、なのに何故か僕の知らない力を得ている。それも単純に魔法を掛けられたとかじゃない、それなら僕が気付かないわけがないからね」
顎に手を当てアルベルは考えた。自身が作った物の内部構造を彼が知らないなどという事は有りえない、何処に何をどんな形で組み込んだのかは明確に覚えている。異常が無いのに異常が発生しているのだ。
「まぁ、何が何でも配信を止めたいってワケじゃないんで、元に戻らなくても別に良いんですがね」
「そっか、なら急がずゆっくりと調べていく事にするよ」
ジョニーの言葉を受けてアルベルはフフと笑い、懐からシガーボックスを取り出す。綺麗な木目のそれをパカリと開くと、中には紙巻き煙草が整然と収められていた。そのうちの一本を取り出して口に咥え、指をパチンと鳴らして魔法で着火する。
「ふぅ」
吸った白い煙を宙に吐く。少しの間そこに留まり、フッと掻き消えた。
「ソレの匂い、好きですよ俺」
「ははは。昔は自分も自分もと言って、僕から煙草を奪おうとしてたねぇ」
「む……何時の話ですか、何時の。それ多分、俺が十かそこらの時の話でしょう」
子供の頃の話を掘り返されて、おじさんは少々気恥ずかしい思いをする。自分の古い過去を良く知る人物相手では、流石のジョニーでも主導権は取れないのである。
「……で、調子はどうだい?」
アルベルは真っすぐ前を見たまま、隣に座る生徒へと問い掛けた。世間話のような内容だ、がしかし、それを聞く彼の顔は真剣である。決して軽い調子で振った話題では無い事は明白だ。
「ダメ、ですね」
ジョニーはそう答えた。彼は視線を下げ、自分の手を見る。結んで開いて、過去も今も変わらずに動く身体を確認した。しかしそれは、確実に昔とは変わっているのだ。
「……ダメですね、俺は」
「そんな事は無いよ」
落胆にも近いジョニーの言葉をアルベルがすぐさま否定する。
「僕は見てきたよ。何十何百どころじゃない、何万と。君と同じような子を沢山見てきた。だから言える、君は駄目なんかじゃない」
煙草を吸い、空に向かって彼はふぅと煙を吹いた。古き過去から今に至るまで、数多くを見てきたアルベルだからこそ、ジョニーの悩みをよく理解しているのだ。
「……ありがとうございます」
自らの恩師の言葉に彼は礼を言った。気遣われているのは良く理解している、その言葉が嘘でも気休めでも無い事もよく分かっている。しかしそれでも、ジョニーは自分の事を、駄目じゃないとは思えなかった。
「あの日から今まで、俺は……」
相手が自分の過去を良く知るアルベルだからこそ言える、その悩みを。
「俺は、命を奪えないんですよ」
そう言って、ジョニーはギュッと拳を握った。
魔物であろうが人間であろうが、そう簡単に後れを取る事など有りえない。優位を取り、追い詰め、倒す事は出来る。しかしその先、殺す事だけは本能的に出来ないのだ。出来なくなって、しまったのだ。
「少し前に縞猪相手にやってみるかと森に入った事が有ったんです」
「うん」
「ただその時、リーシャをクライヴの奴から押し付けられまして」
「うん」
「ただの薬士、でもあいつは戦えた。敵を殺す力を持っていた。いや、経験から努力してそれを得ていた」
ふぅとジョニーは息を吐く。それは溜め息とも違う、自嘲気味なものだった。
「正直に言うと、ああ助かった、と思っちまったんですよ。実際、魔物へのトドメはリーシャにさせた。縞猪の脚を斬って動きを鈍らせる事は出来ても、その先に進めなかった」
握る拳が震える。
自身の半分の歳相手に弱さなど見せられない、それゆえに彼女にはそれを作戦として伝えて実行させた。結果その経験はリーシャの成長にも繋がったのかもしれないが、反対にジョニーは逃げの経験を一つ積んでしまったのだ。
「ロイには色々と偉そうに指導してますが、蓋を開けてみればこんな奴ですからね、俺は。正直、今のアイツの方が冒険者としては正しい姿だ。真っ当に成長して、時には他の若手と一緒に仕事に出て魔物と戦ってる」
弟子が力を付けられたのはジョニーの指導あっての事だ。もしロイが彼と出会っていなければ今でも芽の出ない冒険者として燻っていたか、無謀な事をしてこの世からいなくなっていただろう。それは間違いない、しかしそうであっても己は冒険者としては正しくは無いのだ。
「リベルの奴、たぶん俺の事を全部見透かしてるんですよ。訓練で何処までやれるのか、実戦で何処までやれるように戻ったのか、そして……今の俺が命の取り合いを出来るのか。アイツはやっぱり騎士団長ですよ、何も考えて無いようで多分本能的には他人を良く見てる」
鉄鎧竜との戦いにおいて、リベルはジョニーの戦いを見ていた。ちゃんとした剣を久方ぶりに手にして、守るものの為に強者に立ち向かう姿を。竜を両断した所で精神に限界が来て息を切らした彼を見ていたのだ。異常な回復力を以って立ち上がった竜を、今のジョニーが一人で相手するのは困難と考えて助けに入ったのである。
「ミケーネは……バカなんですよ、アイツ。でも賢い、勘が鋭い。多分ですけど昔との違いというか小さな違和感を察知してる、それでいて黙ってくれている。駄目な先生なのを隠すので必死ですよ、俺」
はははとジョニーは力なく笑う。かつてはヒヨッコだった獣人の少女は数年見ない間に冒険者として十二分な成長を遂げていた。彼女よりも十以上年上な彼の目には、その姿が眩しくも映るのだ。
「愛されているね、ジョニー君は」
「そうですね、ホントあいつらは……」
二人して笑みを浮かべた。
「何の話?」
「うおっ!?」
突然アルベルのいる方向から第三者に声を掛けられてジョニーは驚く。
そこにはいつの間にか、二人に挟まれる形でリベルが座っていた。
「隠形術が上手くなったね、リベル君」
「練習した」
「えらいえらい」
アルベルに頭を撫でられて、リベルは得意げだ。
「で、何の話?」
「世間話だよ、あとはちょっと昔話、かな?」
「そうですね、そういう事だ」
「ふーん」
ピョンと長椅子から立ち上がり、彼女は二人に背を向けて歩き始める。
「何処に行くんだ?」
「お店。ミケーネが美味しい料理があるって言ってた」
「珍しいな、お前が素直に他人の勧める飯屋に行くなんて」
「……感想をずっと聞いてきて鬱陶しい」
「ははは、そりゃ大変だ。さっさと済ませてこないとな」
じゃ、と言ってリベルは去っていく。
ジョニーとアルベルは真剣な表情でその小さな背中を見る。
「俺なんぞよりも、あいつの方がとっとと救われるべきですよ」
「……そうだね」
魔物も人も関係なく叩き斬る破壊者にして殺戮者、それがリベルだ。元よりそうした気質はあった、しかし今ほど烈々とした欲求では無かった。彼女もまたジョニーと同じ、いやそれ以上に三年前の戦いで大きく歪んでしまったのだ。
「リベル君はジョニー君と正反対だよ。あの子は命を求めてる、その意味を答えを求めてる。なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか。他人も自分も全ての命にそれを問うている、だから殺す。彼女、その瞬間が命を身近に感じられるからって、聖殿からいなくなるほんの少し前、僕にそう言っていたよ」
ジョニーは戦場で失った、リベルは戦場で得てしまった。どちらも望んでいないにもかかわらず、人生を大きく狂わせる物を。
「リベルには、無理をさせ過ぎた。俺達の力不足の結果が、今のあいつです」
「そうだね。……苦しい戦局だった、大勢の騎士が倒れて何度も戦線に穴が開いた。そこを彼女が一人で埋めてくれた、数万の敵兵をたった一人で斃して血の雨を身に浴びて。あの子が居なかったら、いま聖殿は存在していなかったかもしれない」
西の帝国、東の王国同盟。二つの勢力の衝突に巻き込まれる形で聖殿は戦争の当事者となった。情勢的にほぼ完全な被害者と言って良い立場だ。しかし帝国も同盟も表には出していない理由が存在していた。
世界中を巡る聖殿騎士。それが助けるのは貧民や迫害されている者達、つまりは国の恥部である。問題があるという事を無関係の輩によって暴かれ、場合によっては自国から連れていかれてしまう。そんな存在は目障りでしかない、潰してしまえるのなら実に丁度良い機会だったのだ。
攻め落とされても降伏しても聖殿は完全に消滅していただろう。
それを防ぎ止めた最大の功労者こそが、小さな小さな女の子だったのだ。
彼女よりも年上の、生き残った聖殿騎士たちが自身を恥じないわけがない。
「でも、僕は少し安心しているんだ」
スッとアルベルは指をさす。
歩いていくリベルにリーシャとロイが寄ってきた。料理屋へ行くと話すと、どうせならと三人で一緒に向かう事となる。
「どうしても聖殿では戦争の英雄か騎士団長だからね。それが何も無い状態で彼女が、ああして友人を作れている」
「そうですね……って先生、それならこの間の配信でバラしちゃ駄目じゃないですか」
「いや~ごめんごめん。ジョニー君とリベル君と会えて、つい嬉しくなっちゃって」
あははと笑って誤魔化しつつ彼は頭を掻いたのだった。




