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第51話 川の戦い

 結局、探索に出るまでにリベルは戻ってこなかった。そのため今回の料理担当はミケーネである。本日の探索を終了した彼女は張り切って、今日の晩御飯のために準備をしていた。そう、今まさに草原の中を流れる川へと突撃して。


「せぇいっ!」


 愛用の槍を流れる水へと突き立てる。

 がしかし、その穂先は何者も捉える事は無かった。


「むむむ……ここの魚は中々に高レベル、やるな」


 まるで歴戦の雄との立ち合いのように、ミケーネは相手を認めて鋭い目つきで言った。しかしその相手はただ水の中を、いつも通りの自然体で泳いでいるだけである。


「どりゃぁ!」


 ざばん。


「でりゃぁ!」


 ばしゃん。


「てぇっぃうわぁっ!」


 どっぱーん。

 ミケーネは川の石に滑ってスッ転び、頭からびしょ濡れになってしまった。


「よし、獲れ……てないっ!」


 何かに掠った感覚はあったものの、残念ながら食料確保はならず。魔物で満ちる迷宮領域で生きる魚が、そう簡単に人間に捕まるわけがない。自身が生きるために常に警戒状態で、ばしゃばしゃと大騒ぎするミケーネから逃げる事など容易いのである。


「おいおい、大丈夫か?」

「怪我は無いのでだいじょーぶですっ、心配してくれるなんてジョニーせんせ優しい」

「食料確保をしくじらないかを心配してる」

「アタシの事はどーでも良いのっ!?」

「その程度で怪我しないだろ、昔から頑丈さだけは一人前だったからな」


 むすぅと唇を尖らせて髪からポタポタ水滴を滴らせながら、ミケーネは再び川と向き合う。リーシャ達に野営準備を任せて食料調達へとやって来たが、その役目を果たすまではもうしばらくかかりそうである。


「ジョニーせんせも手伝ってくださいよー」

「自分に任せておけ、ってさっき言ってただろが。リーシャ達に胸張って」

「うぐっ、それはそうですけどぉ」

「冒険者なら発言に責任を持て、周囲の警戒は俺がしてるから。ほれ、手が止まってるぞ、頑張れ頑張れ」


 笑いながら急かされて、ミケーネは渋々といった顔で槍を水面に突き立てる。やはり魚たちは手強く、槍の穂は何者も捉える事が出来ない。もし釣り糸を垂らしたとしても、この場に棲む者達には見向きもされない事だろう。


 そもそも活発なミケーネには、魚が警戒を緩めて出てくるまで待ち伏せするような戦術は向いていない。そして魚たちは暴れ回っている外敵から逃げるために更に身を隠す。悪循環である。


 あっちへ行ってこっちへ行って。ばっしゃんばっしゃんと水を跳ねさせる様は、ここが迷宮領域で食料確保という目的である事を除いてしまえば、ただの川遊びだ。今まさにミケーネは実に楽しそうに魚と戯れている、魚に遊ばれていると言った方が正しいのかもしれないが。


「ぬおおおおっ!」


 気合一声、頭上でグルリと回した槍を振り下ろす。水はしぶきを上げる事無く、スバンと切れた。同時に水中に漂っていた水草を切断し、更には水底の苔むした石をも両断する。


 がしかし、そこに魚だけはいなかった。


「くそぉぉぉ……っ!!」


 先程から何度も何度も、何度も何度も何度も何度も。素早く放った一撃も、力を込めた斬撃も、全力で繰り出した突きも。その全てが目標物を捉えられずに空振りばかり。ミケーネは癇癪を起しそうになるも、もう大人なのだからと自身を鎮める。


「もーっ、もーっ、もぉーーーっ!」


 事は出来なかった。

 駄々っ子の様にその場で地団太を踏み、川底から石を一つ拾い上げて力任せに水面に叩きつける。完全に子供である、齢二十の精神はあまりにも若かった。


「止めろ止めろ暴れるな」

「だってだぁってぇ! 今までの冒険で魚獲りしてきたのに、こんなに苦戦した事無いんですよぉー! サクッと槍で一突きしてザパッと捌いて、そんで食べるで終わってたのに~」


 ぶうぶうと文句を垂れる、しかしその相手は自然そのものであるために苛立ちをぶつける先がない。強いて言うならば捕獲技術力がない自分自身となり、よりイライラが募るだけ。それゆえにミケーネは槍をブンブン振り回して、その感情を無理やりに発散させている。はた迷惑も甚だしい猫である。


「うおっ。こら水滴が飛んでくるだろうが」

「えいえいえいっ!」


 ジョニーは苦情を口に出す。しかし不満をぶつける先を発見してしまったミケーネは、更に激しく槍を振り回した。わざと水面に穂先を掠らせて、ビッと勢いよく水滴で己の師を狙撃する。


「止めろ、この阿呆」

「ぶるるるるっ!」


 更なる文句が放たれるが、ずぶ濡れの犬がそうするように彼女はその場で全身を振って反撃の乱れ撃ちを放った。横殴りの雨のような水の攻撃に、ぐおっ、とジョニーが悲鳴を上げる。


「よっし、頑張るぞ」


 十分に鬱憤を晴らして、ミケーネは再度魚獲りに向き合おうと気合を入れた。


 しかし。


「そうだな頑張れ。ただし、その前に」


 広げた手のひらの中で、ボッと小さく炎が盛る。


「ずぶ濡れじゃぁ寒いだろ、先生が乾かしてやろう」


 球状だった炎は、木に絡みつく蔦の様にその形を変えていく。


「あ、いやぁ、そんな悪いですってぇ」

「遠慮するな」

「笑顔が怖いですよぅ」

「ははは」


 スッと、ジョニーは手のひらをミケーネに向けた。


「よく言われる」


 炎の蔦が彼女に襲い掛かる。ギュルルっと、腿に腕に胴に巻き付いた。


あちっ、あつッ!」


 ボウッと火炎がミケーネを包み、熱波が天へと立ち昇る。急速に水が水蒸気へと変わり、水蒸気がその場に濛々と生じた。風が吹き、その水煙が晴れる。そこには無傷の彼女の姿があった。


「もーっ。熱いですよ、ジョニーせんせ~」

「乾かしてやったんだ、感謝しろ」


 絶妙な魔力調節によってミケーネを燃やす事無く、身体に付き、服に滲みた水分だけを蒸発させたのだ。ジョニー、中々に器用である。


「ビックリして槍、放り投げちゃったじゃないですかー。まったく……」


 彼女の手から放られた得物は少し離れた所、背の高い草が茂る川辺に突き刺さっていた。ぶーぶー文句を垂れながら、その槍の持ち主は川の中をざぶざぶ歩いていく。


「ん……っ。げ、結構深く刺さってるな、これは」


 グッと力を込める。しかし水底に深々と突き刺さった穂先は中々抜けない。どうやら土の中に隠れた岩に直撃したようで、刃がそれに食い込んでしまっている。獣人の力をしても簡単には引き抜けず、多少面倒ではあるが川底を掘る必要がある。


「はぁ、めんど。ジョニーせんせのせいで余計な労力がー」


 しゃがみ込み、手を川の中へと差し入れる。


 その時だった。


「っ! ミケーネ下がれ!」

「へ、うおわっ!?」


 ジョニーの声に即応したミケーネは咄嗟に後ろへ跳ぶ。

 彼女の鼻先を鋭い爪が僅かに掠めた。


 川辺の背の高い草の中から、大きな魔物が姿を現す。


「げっ、血灰熊クロフィシェルフイ!?」


 灰色の巨体、四本の脚の先は赤黒い。口から側頭部、首に掛けて血飛沫のような真っ赤な斑模様があり、一見しただけで狂暴獰猛である事が分かる熊。サフィン王国から東、寒冷な地域の原野に潜む、高い身体能力を持った魔物である。


 つぅ、とミケーネの鼻先から鮮血が滴る。掠っただけ、しかしそれで人間の身体にダメージを与えるには十分なのだ。血を親指でピッと拭い、彼女は熊に対して臨戦態勢を取る。だが。


「槍ぃ……」


 ミケーネの手に得物は無い、掘り出そうとした所で襲撃を受けたのだから当然だ。獣人である彼女には爪という元々身体に備わっている武器があるが、流石に強靭な肉体を持つ血灰熊が相手では分が悪い。


「下がってろ」


 短剣を抜き、ジョニーは熊を牽制する。


 咆哮。

 熊が、吠えた。自身の縄張りを侵された事への怒りによる猛り、そして『これからお前たちを殺す』という明確な意思表示だ。


 四足で大地を蹴り、血灰熊は一直線にジョニーへと突撃する。


「流石に退かんかッ」


 牽制は全くの無意味、戦闘を回避するという望みは潰えた。元より可能性の低いそれに賭ける事などしていなかった彼は、すぐさま剣を操る。


 勢いのままに熊が立ち上がる。ジョニーよりも五割増の背丈の血灰熊は、大きく右前足を振りかぶった。狙うは相手の急所、頭部だ。あたれば馬の首を容易に飛ばす威力、人間がまともに食らえば頭がその形を維持する事など出来ない。腕で防ごうとしたならば、その腕ごと粉砕される。


「ふッ」


 熊の初撃がそう来る事をジョニーはよく知っていた。彼が気にしていたのは右か左か、それだけだ。剣を盾にして剛撃を受けると同時に熊の手をスルリと受け流す。まるで風に揺れる草を殴ったかのような抵抗の無さに、振り抜いた右前足に引っ張られて魔物の体勢が崩れた。


「らァッ!」


 受け流した威力を借りて、手の中で剣が時計の針の様に一度だけ回る。再度その柄を握り、ジョニーは渾身の力を込めて柄頭で熊の側頭部を殴りつけた。ガズンと重たい打撃音が響く。


 しかし熊の頭蓋は元来頑丈、魔物の熊ともなれば岩が直撃してもビクともしない。人間の力で殴りつけた程度では致命傷を負わせる事など不可能だ。だがジョニーにはそれを覆す術を持っている。


 遠当てだ。

 衝撃の発生点を意図的にずらす技術。それはなにも、遠くの対象に対してだけ有効な技ではない。近距離で、目の前で。非常に難しくはあるが、斬り合い殴り合いでも使う事は可能なのだ。


 衝撃は頭蓋骨を通り抜け、その内側にあるものを直接揺らす。


 ガフッと血灰熊が鳴いて、そのままうつ伏せにドズンと倒れた。

 ジョニーが打ったのは熊の脳。鍛える事など出来はしない、強靭な体など関係ない、精神と肉体の双方を司る生物の中枢である。それを揺さぶられれば、昏倒するのは当然だ。


「おおー、さっすがジョニーせんせ!」

「……ん、ああ。まあ、これ位はな」

「じゃあ、アタシがトドメを~」


 ミケーネは師匠の雄姿にパチパチと拍手を送る。良い所を全部ジョニーに持っていかれるのは、と思って彼女はいそいそと槍の下へと駆けていく。


「……待った、トドメはナシだ」

「え~、なんでですかぁ。熊に情けかけて恩返ししてもらうつもりですか~?」

「んなワケあるか」


 槍を大地から脱出させようと引っ張りながらミケーネはジョニーに問う。お伽噺のような恩返しなど期待できるはずもない、そもそも直接的に戦闘しているのだから。殴り倒しておいてお礼を期待するなど、強盗が被害者から粗品を貰おうとするような蛮行である。


「人間に倒された、それを学ばせるんだよコイツに。そうすれば此処には近寄らなくなる、血灰熊ならおそらくはこの辺りじゃ上位の魔物だろう。危険が遠ざかって、いずれここに来る他の冒険者連中の水確保が楽になる、かもしれない」

「なるほど~、そんな考えが―――」


 ジョニーは未来の事を考えていた。師匠の深謀遠慮にミケーネ脱帽である。


 しかしそれよりもずっと重要な事に彼女は気付く。


「魚、獲れてる!!!」


 突き刺さった槍の穂。

 そこには両腕で抱える程に大きな魚が大地に縫い付けられていた。


 こうして川での戦いは、ミケーネの大勝利に終わったのだった。

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