第43話 薬士ちゃん家のティータイム
室内へ一歩踏み入れたミケーネがまず感じたのは匂いだ。
知らない、だがどこかで嗅いだ事のあるような不思議な香り。嫌悪するようなものではなく、嗅いでいるだけで心が落ち着くような、そんな匂いである。
続いて目に付いたのは、室内奥にある大きな棚。格子状に区切られた小さな引き出しで一杯のそれは、普段見る箪笥などの家具とは一目で違うと分かる。リーシャの生業に関連する物だとすぐに理解出来た。
部屋の中はよく掃除されており、床には埃一つ無いと言って良い程に綺麗だ。
「おおー、まるで建てたばっかりみたいに綺麗だ~」
感嘆の声を上げつつ、ミケーネは持ってきた木箱を部屋の端に置く。荷物が雑然と積まれていて碌に掃除なんてしていない自分の借り住まいとはまるで違う。歩いて鳴る板張りの床の音でさえ、何かが違う気がする。
「そこまでじゃないですよ。仕事柄、普段から掃除をする習慣になってるだけです」
「仕事柄って?」
「お薬作りに影響が出ちゃうんです、ゴミが入ったりすると」
ミケーネの疑問に答えながらリーシャは台所へと向かう。陶器のティーポットに水を溜め、そこに乾燥ハーブを数種類投入した。それを弱火に掛け、ゆっくりと時間を掛けて成分を煮出していく。
ふわりふわりと湯の中でハーブが踊り、水を吸って元の緑が蘇る。それと同時に湯が茶に変わっていく。十分に煮出し終わった所でリーシャは鍋を火から下ろした。
質素な陶器のカップ二つに、茶を注ぐ。その際に僅かに空気を孕んだ液体は香りを増し、爽やかでありながら仄かに甘い香りがふわっと周囲に広がった。
「はい、どうぞ」
椅子に掛けた客人に、リーシャは出来上がったお茶を差し出す。
「いい匂い~」
カップを手にするとより一層爽やかな香りが強く感じられる。狩猟で身体に溜まった疲れが、それだけで薄らいでいくかのようだ。
ミケーネは茶をひと口啜る。
「にぎゃいっ」
想像以上の苦さが口の中に広がった。
甘みを持った香りとはまるで違う、まさに薬品のような渋みである。が、しかし、リーシャは特に気にする事無く平然とそれを飲んでいた。
「リーシャちゃん、苦みに強いねぇ」
「え、そうですか? ……って、お手当しなきゃ!」
友人を招いたのだからお茶を出す。出したのだからのんびりする。ある種当然の流れではあるのだが、今日に限ってはそれではダメなのだ。そもそもが家に招いた理由が別に一つあるのだから。
トタトタと少し急ぎ足で薬棚へ向かったリーシャは、並んでいる物の中から少し深みのある円形の木製容器を手にしてミケーネの下へと戻ってきた。その蓋を開けると何とも独特な、ほんの少し鼻にツンと来る匂いが漂う。
その中身は粘り気のある乳白色の軟膏だった。リーシャはそれを人差し指で一掬いして、ミケーネの額の赤くなってしまっている所に塗り付けた。
「おふゎっ、ちょい滲みるぅ」
「少し我慢してくださいね」
肌になじませ、その奥の負傷部位に効果を届ける。そのためにリーシャは、ミケーネの額に円を描くように指を動かす。それをくすぐったいと感じて、猫の耳が少しばかり垂れた。
「よし、後は……」
軟膏の蓋を閉じて机に置いて、リーシャはミケーネの額の赤くなっている所に人差し指を押し付ける。目を閉じ、そして魔力を指先に集中させた。
「癒しを」
ぼやっと僅かに、彼女の指先が光る。
生じていた身体の傷が修復され、瞬く間に額に生じていた赤が消え失せた。
「終わりましたよ」
「お、ありがとー」
治った自分の額を擦り、痛みも何も無い事をミケーネは確認する。
「リーシャちゃん、治癒魔法も使えるんだね~……あれ?初めから魔法で治してくれれば良かったんじゃ?」
彼女はふと生じた疑問をそのまま口に出した。
「そうですね、この位の傷なら治癒魔法でも問題は起きません。でも薬士としては、それで良し、とはあまり言えませんね」
「???」
何を言われているのかよく分からず、ミケーネは首を傾げる。そんな彼女の様子を見てハッと気付き、ごめんなさいと一言謝ってからリーシャは説明を始めた。
「お茶を飲みながらお話しましょう。あ、お茶菓子代わりに干し木苺どうぞ」
「お、ありがとー」
木のボウルに山盛りにされて出されたのは、濃い赤色が鮮やかな自然の恵み。下処理がちゃんと施された上で乾燥されたそれは、口に含むと濃縮された甘さと程よい酸味が広がった。苦いお茶のお供として丁度良い、ミケーネは交互に味わいながらリーシャの話を聞く。
「それじゃあ、まず……治癒魔法ってどういうものか知ってますか?」
「むー、アタシだってその位は知ってるよ~。傷をパッと治すのが治癒魔法でしょ!」
あまりにも初歩的な事を聞かれてミケーネは憤慨する。その程度の事も分からないような人間と馬鹿にされたと感じたのだ。
「ああっ、すみません、馬鹿にするつもりじゃなくて……。一般的にはそういう感じで認識されていますよね、って確認のために」
「なんだ、そっかぁ。じゃあ許す!」
「ふふ、ありがとうございます。続けますね」
許しを得て、リーシャは話を続ける。
「治癒魔法は即効性があります。ですがそれは、人間の身体の力を無理やり呼び覚ましているんです」
「ずずず……身体の力?」
茶を啜りながら、ミケーネは再び首を傾げた。
「そうですね……ミケーネさんは風邪を引いた事がありますか?」
「むむむっ、ナントカは風邪引かないって事ぉ?」
「あああっ、違います違います!」
「あはははは、分かってるって~。ちょーっとイジワルしてみただけー」
「もう……」
焦る少女の姿が可愛らしく感じられるのか、ミケーネはニシシと笑う。そんな彼女に対して、リーシャは少し不満げに頬を膨らませた。今度はミケーネの番だ、ごめんごめんと謝罪して少女に機嫌を直してもらって説明を続けさせる。
「風邪を引いてもちゃんと療養していれば治ります、怪我をしてもしっかり手当てをすれば治ります。それは身体に病や怪我を治す力があるから。治癒魔法はそうした『治す力』を強くさせるものなんです」
「はぇー、初めて知った~」
あまり理解していない顔でミケーネは感心した。
「でもその効果は身体の本来の能力じゃありません。そうなれば当然、副作用があります」
「え、初耳」
「すぐに何か起きる、って話じゃないので当然ですよ」
まさかの事実。衝撃に固まる猫獣人の友人を、リーシャは微笑んで安心させる。
「これは昔の人が調べた事ですが……日常的に治癒魔法を受ける環境にあった人の中で、魔法だけを受けていた人と薬を併用していた人だと、前者の方が寿命が短い事が分かったんです」
「にゃんとぉ!?」
驚きのあまりミケーネは立ち上がった。
まあまあ落ち着いて、とリーシャは彼女を座らせる。
「それを調べた人もどこまで正確かは分からない、って本に記してます。なので悩む程に気にする必要は無いけど、急ぎでなければ薬を使った方が良いとは思います。これはまあ、薬士の私の立場からの意見ですけどね」
リーシャはまだ十六歳。薬士としては駆け出しも良い所であり、知識も経験もまだまだこれから。あくまで限られた範囲のそれらに基づく助言である事は、彼女自身が一番理解している。
「薬に即効性はありません、しかし魔法と併用する事で身体の負担を減らす事が出来るんです。簡単に言えば寿命の減少を押さえる事が出来る……はず、という事です」
「こ、これからは薬も使う事にするよ……」
怪我をしたら治癒術を得意とする者に頼んで治してもらう、冒険者にとってそれは日常である。だがそれが寿命を縮める可能性のある行為だとするならば、より良い将来の為に何かするべきなのは明らかだ。その対策が、そこまで高価ではない傷薬の利用であると言うならば意識しておいても損はないだろう。
「むーん、勉強になるなぁ。普通に冒険者してるだけだったら絶対に知らなかった知識だよ」
「あはは。冒険者の方が薬士と直接話す事は無いでしょうから、当然と言えば当然ですね。でも私としては、魔物と積極的に戦うお仕事をしている冒険者の皆さんの方が驚きですけれど」
「逆も同じ、って事かー」
知らない事や経験の無い事ばかり。生業が違うとここまで知識や経験が異なるというのは、考えてみれば当然なのだが実に驚きである。
「あ、そうだ。薬士リーシャちゃんに一つ、しつもーん!」
「はい、何でしょうか?」
突然挙手したミケーネに驚きつつ、リーシャは発言を促した。
「毒キノコ食べて大変な時に仲間に治癒魔法掛けてもらったら、もっともっと大変になりました。なぜでしょうか!」
「お腹が減って減ってどうしようもない時でも、キノコだけは食べちゃダメですよ。九割がた毒キノコですから」
「はーい。で、なんでなんで~?」
目の前の猫獣人の女性が今も生きている事に安堵しながら、薬士の少女は疑問に答える。
「さっき治癒魔法は身体の力を強くする、って言いましたよね」
「うんうん、治す力が強くなるんだよね。でも酷くなったよ?」
「正確には『治す力を得るために身体を活性化させる』なんです」
「…………何がどう違うの???」
意味が分からず、目をぱちくりさせてミケーネは首を傾げた。今日は首を傾げる事ばかりである。
「うぅん、なんて説明すれば良いかな……。血の巡りが良くなる、という感じが分かりやすいですかね」
「あー、温泉入ると身体の疲れが抜ける感じ?」
「そうそう、それです」
適切な例を提示されて、リーシャは同意した。
「毒というのは身体の外から入ってきた有害なものです。ですが治癒魔法はそれを消すのではなく、身体の治す力を強めようとして血の巡りを良くする。すると―――」
「あ、分かった! 治るよりも先に毒が身体中に回る!」
「正解です」
察しの良い生徒の解答に教師は微笑んで頷く。花丸満点を貰ったミケーネもまたニコニコ笑顔で喜んだ。
「なので治癒魔法を掛けると悪化します。でも治癒魔法を長時間ずーっと掛け続けるなら話は別、身体にはとーっても良くないですが。という事なので、毒には対応した薬を使うのが一番なんですよ」
「一晩魔法掛けてもらったら楽になったのはそういう事か~」
「その治癒術師の方、大変でしたね……」
一晩中、大変な状態のミケーネ相手に魔力を使い続ける羽目になった人物にリーシャは同情した。猫獣人のお世話は実に苦労した事だろう。
「そうそう。ちなみに風邪とかの病気は治癒魔法じゃ治りませんからね」
「あ、それずっと不思議だったんだよね。何で?」
「身体の中に入った悪い物も一緒に活性化しちゃうからですよ。身体も悪い物もどっちも強くなっちゃったら、治るものも治りません」
「なるほどー」
「なので、薬士は病に対する特効薬なんです」
リーシャは胸を張る。
病から人々を救う薬士という仕事に彼女は誇りを持っているのだ。そも、そうでなければ世界を渡り歩く旅薬士などという、薬士の中でも一番辛いであろう役割を担ったりはしないのである。
己よりも四つも若い少女が強い信念を持っている。ミケーネはそれに感心しながら、残り少なくなった茶をひと口啜る。そして。
「あ」
ミケーネが小さく声を上げた。
彼女が伸ばす手の先、そこには干し木苺が山盛りのボウルがある。いや、あった。既にボウルは空になってしまっていたのだ。勿論、話の間にミケーネが食べ尽くしたのである。
「ごめん」
「あはは、構いませんよ。また探索の時にでも摘んでこれば―――」
リーシャはそこまで言って、何かに気付いたようにハッとする。
「どしたの?」
彼女の様子を見て、またまたミケーネは首を傾げた。
「ふふふ。次の配信のお料理、思い付きました」
薬士の少女は微笑んで、視聴者たちが期待しているであろう事を思い浮かべる。
楽しんでくれるだろうか。
そんな思いを胸に、リーシャは次なる探索に向けて準備を始めたのだった。




