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第9話 体育祭の高揚と戸惑い

 十月に入り、いよいよ体育祭まで一週間を切った。校内はどのクラスも最後の追い込みで大忙しだ。廊下に掲示されるポスターや競技の連絡表には、「リレー選手は昼休み集まれ」「騎馬戦の要員は体育館前に集合」などの張り紙がひっきりなしに増えていく。


 僕のクラスでも、放課後はもっぱら応援合戦のダンス練習と、小道具作りで大賑わいだ。赤い法被や扇子をみんなで分担して飾り付けし、男子も女子も入り乱れて作業する。最初は気恥ずかしさが大きかったけど、今は不思議な連帯感が芽生えつつある。


 芦沢はリレーの練習だけじゃなく、クラスの道具づくりにも率先して参加しており、「ペンキ塗りは俺にまかせろ!」とハケを握っている。とにかく何でも積極的で、クラスのムードメーカーになっているのがすごい。


 岸本さんは応援合戦の振り付けや進行役のリーダーとして活躍していて、後輩や同学年の女子から「岸本先輩、ここどうすればいいですか?」と頼られっぱなしだ。彼女は一人ひとりに丁寧に応えるから、さらに忙しくなる――そんな様子を、僕は少し離れたところから羨望のまなざしで見ていた。


 「よし、次は扇子に赤と黒の模様を入れるか? 大友、一緒にやろうぜ」


 隣にいたクラスメイトが段ボール箱から扇子を取り出して、僕に手渡してくる。どうやらこれにクラスのロゴ的なものを絵の具で描くらしい。


 「お、おう……俺、絵下手だけどいいの?」


 「大丈夫大丈夫、簡単な模様だから。ほら、線は私が描くから色塗って!」


 周りがあれこれと指示してくれるおかげで、僕も何とか作業に入り込む。筆先が震えて変な形にならないか心配だったが、数回やってみると意外と楽しくて、気づけば小道具づくりに熱中していた。


 作業の合間に、クラスメイトの何人かがグラウンドで競技練習をやるというので、僕も100m走のスタート練習だけはしておこうとついていく。先週よりはマシになったとはいえ、まだまだ自信はない。


 「おっ、来たな、大友!」


 例によって芦沢が満面の笑みで迎えてくれる。彼はリレーのバトンパス練習をひと通り終えたあと、わざわざ僕のスタートをチェックしてくれた。


 「お前さ、タイム計ってみようぜ」


 そう言って、彼はストップウォッチを取り出す。まだ公式な練習というわけではないが、この学校のグラウンドにある100mの直線で試しに測定してくれるらしい。


 僕は緊張しながらスタートラインに立ち、深呼吸をして構える。号砲の代わりに芦沢が「よーい……ドン!」と叫ぶと、全力で前に飛び出した。


 腕を振れ、膝を上げろ、スタートダッシュで差をつけるんだ――自分の中で反芻していたアドバイスを思い出しながら、懸命に駆け抜ける。息が苦しいし、足がもつれそうになるが、どうにか最後までスピードを落とさずにゴールした。


 「はあ……はあ……どう……」


 息も絶え絶えで芦沢のほうを見ると、彼はストップウォッチを見つめて笑っていた。


 「おお、いいじゃん。前回より確実に縮んでるぞ」


 タイムを聞いてみると、思ったよりは悪くない数字だった。もちろん速いわけではないが、自分の過去ベストより数秒も短縮している。


 「マジか……自分でもちょっと驚き……」


 僕が呟くと、芦沢は「努力の成果だな」とポンと肩を叩く。


 「本番は緊張するだろうけど、この感じならそこそこいけるって。少なくともブービーにはならんだろ」


 「ブービーかよ」と苦笑いしつつも、僕は内心かなり嬉しかった。少しの頑張りでも、結果が出れば自信がつくものだ。


 その翌日、昼休みに教室で弁当を広げていると、岸本さんが珍しく疲れた表情をして僕の隣の席に腰を下ろした。


 「はあ……ちょっと限界かも」


 「え、どうしたの?」


 「ダンスや騎馬戦、吹奏楽部の練習もあるし、クラスの子からの相談も絶えないし……私、全部中途半端な気がしてきて……」


 いつも明るい彼女がこんなネガティブな発言をするのは珍しい。僕は戸惑いながらも、「まあ……岸本さん、いろいろ抱えすぎなんじゃない?」と返す。


 「そうかも……断ればいいんだろうけど、なんか頼まれると断れなくて……」


 そう言ってため息をつく彼女。その姿を見て、僕は心がちくりと痛む。いつも僕を含めたクラス全員に優しくしてくれる岸本さん。もしかしたら、その分だけ彼女自身が背負い込んでしまうものがあるのかもしれない。


 「……手伝えることがあれば言ってよ。俺でよければ、だけど」


 思わずそんな言葉が出た。彼女は少し目を丸くしたが、やがて安心したように笑ってくれる。


 「ありがとう、嬉しい。じゃあ、もし大縄の練習とかダンスの立ち位置調整とかで困ったら、大友くんに助けてもらおうかな……」


 「あ、うん。できることなら……」


 そう答えると、彼女は「助かるよ」と微笑んだ。柔らかな笑顔が戻ってきた気がする。


 (そっか……彼女も悩んでるんだな)


 考えてみれば、どれだけ明るい人でも、やることが多すぎれば疲れるに決まってる。そういう当たり前の事実を、僕は忘れていたかもしれない。彼女だって完璧じゃないし、苦しいときは苦しいのだ。


 「じゃあ、午後も頑張ろうか」


 僕が小さく励ますように言うと、岸本さんは「うん!」と短く返事をして、再び弁当に向き直った。昼の光が、彼女の横顔を優しく照らしている。


 体育祭の種目の一つに大縄跳びがある。クラス全員で一斉に縄を跳び、何回続けられるかを競う団体競技だ。人数が多いぶん、一人のミスが全体の失敗に繋がるため、練習が重要になる。


 放課後、校庭の隅で大縄の練習が行われることになった。クラスメイト十数人が集まり、二人が端を持って大きく縄を回す。最初は「せーの、はいはいはい……」とリズムを合わせて問題なく跳んでいたが、回数が増えると誰かが引っかかり、全体が崩れてしまう。


 「ごめん、俺だ……」


 そんなやりとりを何度も繰り返すうちに、日が傾き始める。最初は活気に満ちていたが、回数がなかなか伸びないことに苛立ちが募る生徒も出てきた。


 「ちょっと、もっと集中してよ!」


 「いや、頑張ってんだよ!」


 男子と女子の一部が口論になりかけ、雰囲気が悪くなる。岸本さんはその間に入って仲裁するが、彼女も疲れているのか声がうわずり気味だ。


 「……一回、休憩しよう。落ち着いてからやり直そうよ」


 僕は思い切って提案する。すると、「そうだね、休憩しよう」と何人かが賛同してくれて、なんとか険悪ムードを回避できた。


 (こういうとき、クラスの誰かがリーダーシップを発揮してくれればいいのに、岸本さんも芦沢も他の作業で手一杯だ……)


 ちょっと頼りないかもしれないけど、僕だって一応クラスの一員だし、黙って見ているだけじゃいられない。


 休憩中、岸本さんは縄の端を抱えて小さく息を吐いていた。僕は近づいて、水筒のお茶を差し出す。


 「……大丈夫?」


 「うん、ちょっと疲れちゃった。大縄って意外と気合い入れないと回数伸びないし……」


 そう言いながら彼女が水筒を受け取り、一口飲む。夕暮れの校庭はオレンジ色に染まっていて、背景にはグラウンドで練習している運動部の姿が小さく映る。


 「みんなも気が立ってるよね。失敗するとイラつくし……」


 「そうだね……でも、仕方ないよ。団体競技は一人のミスが責められがちになるし……」


 しばし沈黙が続く。岸本さんの横顔に、普段の明るさがないのが気がかりだ。


 (もっと何か声をかけられればいいのに……)


 そう思いつつも、言葉が見つからない。しばらくすると、別の女子が「休憩終わりにしない? 時間もないし」と声をかけてきた。みんなが気まずい空気のまま列に並ぶ。


 (どうすればいいんだ……)


 僕は何も解決策が浮かばず、ただ最後列に加わる。再び縄が回され、全員が足を揃えて跳躍する。「はい、はい、はい……」とタイミングを合わせる声が響く。


 だが、何回目かでやはり誰かが引っかかり、縄が足に絡まる。


 「ごめん!」


 失敗した男子が叫ぶが、別の女子が「また?」と眉をひそめる。空気が再びぎくしゃくしかけたそのときだった。


 「……もう一回やろう! 今度は絶対成功させよう!」


 岸本さんが大きな声を出した。先ほどまでの沈んだトーンが嘘のように、はっきりとした声だ。


 「みんな、イラついてるかもしれないけど、今は練習だから失敗してもいい。大事なのはタイミングを掴むこと。自分も失敗するときはあると思う。だから責め合うのやめて、もう一回だけ集中してやってみようよ!」


 クラスメイトたちは驚いたように彼女を見つめるが、やがて「そうだな」「悪かったな」と小さく頭を下げ合い、何となくうやむやになっていた空気が和らいだ。僕は心の中で(やっぱりすごいな……)と感嘆する。


 (自分が疲れてるはずなのに、それでも周りを鼓舞できるんだ……)


 そのまま仕切り直して大縄を回すと、不思議と今度は連続で跳べる。みんなが声を合わせ、呼吸を合わせ、気持ちも少しだけ繋がった気がする。回数がどんどん増えていき、これまでの練習の最高記録を更新。そこからさらに5回、6回。最終的にはかなりの回数を跳ぶことができ、「おおーっ!」と歓声が上がった。


 「やったね!」


 隣にいた女子が抱きついてきて、僕はたじろぐが、なんだか嬉しい混沌が広がる。疲れも吹き飛んだようだ。最後に岸本さんと目が合い、お互いに笑みを交わす。


 (これが、クラスで何かをやる楽しさなんだな……)


 僕はその瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。大縄が苦手とか、足を引っ張るとか、そんなことを気にするよりも、今みんなと一緒に成功体験を味わう喜びのほうが大きい。


 こうして大縄の雰囲気は持ち直し、クラス全体がひとつの目標に向けて動き出した気がする。岸本さんも疲れているはずなのに、いつもの笑顔が戻り、みんなに声をかけて回る。


 僕も彼女の姿を見習って、積極的に道具や荷物の後片付けを手伝い、明日の練習時間を確認したりした。クラスでの自分の立ち位置が、少しだけ“端っこ”から“内側”に移ったような感覚があって、心が弾む。


 “これなら、体育祭当日、僕も全力で楽しめるかもしれない”――そう思うと同時に、岸本さんへの思いも強くなっているのを感じた。彼女はクラスをまとめる中心人物でありながら、ときには弱音を吐き、でも最後は立ち上がってみんなを引っ張る。そんな姿をすぐ近くで見ていると、胸の奥がくすぐられるように熱くなるのだ。


 (だけど、俺はただのクラスメイトで……彼女には他にも支えてくれる人がいっぱいいて……)


 またしても、少しだけ複雑な感情が芽生える。けれど、今はそれを考えても仕方がない。大縄や100m走、そして応援合戦に全力で取り組むことが先決だ。


 (部活のことも、あとでちゃんと考えなきゃな……)


 かすかに思い出す。サッカー部に誘われ、吹奏楽部に誘われたまま、まだどちらにも所属を決めていない。体育祭が終わったら、きっと周りから「そろそろどうするの?」と聞かれるはずだ。


 そのとき、僕は何を選ぶのだろう――まだ決めきれない。でも、体育祭の準備を通して“仲間と何かをやる”楽しさを知った今、きっと前よりは怖くない。


 そう信じながら、僕は夕暮れの校庭を後にする。クラスメイトたちと笑い合い、少しずつ日が落ちる中、汗と埃まみれのまま、次第に高揚感が湧いてくる。体育祭当日まで、もうあと数日。

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