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第7話 日常と変化のはざまで

 翌朝、いつもより早く目が覚めた。鳥の声が遠くでさえずり、窓から入る光が柔らかい。眠い目をこすりながら畳の上に起き上がり、制服へ着替える。まだ夏服のままだけれど、そろそろ衣替えを意識しなきゃならない季節だ。


 階段を下りると、叔母さんが朝食の準備をしていた。トーストとベーコンエッグ、それにバナナが皿に並ぶ。洋風の朝食が嬉しく感じられるのは、たぶん気分が少し前向きになっているからだろう。


 「おはよう、遼くん。早いわね」


 「おはよう……ちょっと目が覚めちゃって」


 朝食を済ませ、家を出るころには、もう陽射しが強くなり始めていた。バス停まで歩きながら、僕は昨日の部活見学のことを振り返る。サッカーのミニゲームや吹奏楽の合奏が頭の中でリフレインして、なんだか落ち着かない。


 バス停に到着すると、既に四、五人の生徒が並んでいる。みんな同じ制服だけど、学年やクラスが違うのか、馴染みのない顔もある。僕はいつも少し距離を置いて列の後ろに並ぶ。


 「……」


 誰かと話すわけでもなく、じっとバスを待つ。だが、やはり前に立っている男子や女子同士は「宿題やった?」とか「昨日のドラマ見た?」とか、楽しげに会話している。そんな声を聞くと、胸がちょっとチクチクする。でも、今の自分には入り込む余地がなくて、気まずくうつむいてしまう。


 (クラスの奴らといるときは、わりと話せるのに、ここでは別……)


 そう考えると、ちょっと不思議だ。もう少し勇気があれば、朝から「おはよう!」と声をかけにいけるのだろうか。でも、やっぱり敷居が高い。


 やがてバスが到着し、僕らは順番に乗り込む。車内ではそれぞれが好きな席につき、ある者はイヤホンを耳にして音楽を聴き、ある者はスマホを眺め、またある者は仲間としゃべり続ける。僕はいつものように空いている席へ座り、窓の外を見る。


 「……今日もいい天気だ」


 心の中でつぶやくと同時に、少しだけ切なさを感じた。クラスでは馴染めても、まだ僕には“通学の仲間”という存在がいない。これも時間の問題なのか、それともやっぱり自分が壁を作っているのか。


 学校に着き、下足箱で靴を履き替えると、廊下のあちこちで生徒同士が談笑している光景が目に入る。二週間経ってだいぶ顔なじみになったはずなのに、まだ僕はどこか居心地の悪さを感じてしまう。


 「あ、大友、おはよー」


 声をかけてきたのは芦沢だ。いつも通り爽やかな笑みを浮かべている。僕も思わず「おはよう」と返事をする。すると、横から岸本さんも顔を出して「おはよう、大友くん」と微笑む。二人が揃うと、不思議と僕も緊張が薄れる。


 「昨日はありがとな。お前が来てくれたから、なんか盛り上がったぜ。監督にも“新しい生徒か?”って訊かれたし」


 「そ、そっか、よかった……」


 芦沢の勢いに気圧されながらも、ちょっと嬉しく思う。岸本さんも「吹奏楽のほうはどうだった? 騒がしかったでしょ?」と尋ねてくるので、「いや、みんな真剣な感じだったよ」と正直に伝えた。


 そんな何気ない会話をしながら教室に入ると、他のクラスメイトも「おはよー」と僕に声をかけてくれる。僕は恥ずかしさを抱えつつも「おはよう」と返す。いつの間にか、朝の挨拶が苦にならなくなっていることに気づいた。これは小さな進歩かもしれない。


 授業が始まると、先生の話をノートにまとめる作業に専念する。新しく転校してきたぶん、勉強で遅れを取りたくないし、親に迷惑をかけたくないという思いもある。授業がわからなくなる不安を紛らわすため、とにかく板書をしっかり写して復習する――そんなルーティンを作り始めていた。


 休み時間になると、クラスの数人が雑談に花を咲かせている。「週末、カラオケ行こうぜ」とか「今度の土曜は学校行事があるから、終わった後にみんなでご飯食べに行かない?」などなど。僕はその輪に入りきれず、ただ隣で聞いている感じだが、それでも疎外感はあまりない。


 「大友も来れば?」


 その中の一人が声をかけてくれる。


 「え……あ、そうだね、もし……時間があれば……」


 いつもながら生返事になってしまう。これも僕の悪い癖だけれど、誘いを受けていいのか、一瞬戸惑ってしまうのだ。


 すると、岸本さんが「じゃあみんなで行こうよ。大友くんも、場所がわからなかったら私が連れてくよ!」と提案してくれる。僕は内心、少しだけ救われた気持ちになり、「うん、ありがとう……」と頷く。


 みんなが当たり前のように仲良くしている中で、こうして僕を誘ってくれるのは本当にありがたい。人と関わるのが苦手な自分にとっては、彼らのさりげないフォローが大きな支えになっている。


 授業が終わり、あっという間に放課後。今日は特に部活の見学をする予定は立てていないが、芦沢が来て「どうする、来る?」と訊ねてくる。少し悩むが、さすがに毎日だと体がもたない気もするし、今日は帰って勉強しようと思って断ることにした。


 「そっか、まあムリしなくていいよ。いつでも来たくなったら来い!」


 芦沢はいつも通り爽やかに笑って、グラウンドへ向かっていった。


 僕は教室に残って明日の予習をする。すると、隣の席の女子が僕に話しかけてくる。


 「ねえ、大友くん。聞いた? うちのクラスの岸本さん、実はかなりモテるらしいよ」


 「……モテる?」


 聞き慣れない話に戸惑うと、その女子は「うん、なんか他クラスの男の子から結構ラブレター貰ってるんだって」と、どこか楽しそうに言う。


 岸本さんがモテる……まあ、想像はできる。あの朗らかで優しい性格、それでいてどこか芯の強さが垣間見えるし、吹奏楽部でも中心メンバーらしい。きっと目立つ存在なのだろう。


 「ふーん……そうなんだ」


 思わず素っ気ない返事をしてしまう。だが、胸が妙にざわつくのを感じていた。


 (そりゃあ、あんなに可愛くて、性格もいいんだから……)


 自分でそう考えて、はっとする。僕はいつから岸本さんのことをそんな目で見ているのか。単なるクラスメイトなのに、いつの間にか彼女の笑顔に癒されている自分がいる。


 「まあ、当たり前よね。あの優しさは罪だわー」


 隣の女子は軽口を叩いて笑う。その笑い声に合わせて、僕はぎこちなく微笑んでみせる。


 (たしかに、彼女にはいろんな人から好かれる要素がある……)


 それを思うと、どこか胸が重くなったような気がした。こんな僕が下手に近づいてもいいんだろうか、といった遠慮や、他の男子に比べて自分はどうなんだろうという妙な劣等感が湧き上がる。


 結局、その日はすぐに帰宅することにした。廊下で部活へ向かうクラスメイトとすれ違うなか、僕は下足箱へ向かう。外へ出ると、夕焼けが始まっており、校門から見える空が赤く染まっていた。


 「うわ……綺麗だけど、切ないな……」


 そんなことを独り言でつぶやいてしまう。この赤みが強い夕空を見ると、なんとも言えない寂しい気分になる。家に帰っても、叔父さんと叔母さんがいるとはいえ、両親は海外に行っているし、この町に幼馴染や気の置けない友人がいるわけでもない。


 (クラスメイトは優しいし、打ち解けてきた感覚はあるけれど……)


 時折、虚しさのようなものが心を掠めるのだ。例えば、さっきの「岸本さんがモテるらしい」という話題のように、クラスの誰もが彼女の魅力に気づいていて、僕だけが特別じゃない。当たり前かもしれないが、そう思うと胸に小さな棘が刺さるような気がしてならない。


 バス停に着くと、いつものメンバーが並んでいる。何人かは同じクラスの生徒だったりするけど、話しかける勇気はわかず、結局一人で後ろに立つ。せっかく学校では少し話せるようになったのに、ここではどうしても壁を感じてしまう。このギャップが自分でも不思議だった。


 そこへ一台のバスがやってきて、降りる乗客を待ってから僕らが乗車する。車内はそこそこ混雑していて、僕は運転席の近くに立つことになった。揺れる車内で吊り革を掴みながら、窓の外を眺める。


 (夕陽が眩しいな……)


 そんな他愛ないことを考える一方で、岸本さんがもし同じバス停を利用していたら、ここでも一緒におしゃべりができただろうか――なんて、あり得ない空想を巡らせてしまう。どうかしていると思う一方で、彼女の存在が僕の中で大きくなり始めているのを否定できない。


 家に帰ると、叔母さんがキッチンで夕食を作っていた。カレーのいい匂いが漂っていて、僕の食欲をそそる。


 「おかえり、遅かったね? 今日は部活見学?」


 「いや、帰る途中、ちょっと時間潰してただけ……」


 実際は学校の教室でぼんやりしていた時間が長かっただけだが、それを正直に言うのもなんだか気恥ずかしい。


 「そう。じゃあ手を洗って、できるまでちょっと待っててね」


 「うん……」


 リビングに入り、ソファに腰掛ける。テレビを点ける元気も湧かず、スマホを覗いてみると、クラスのLINEグループには今日も部活や遊びの話題がいくつも流れていた。


 「いいな……みんな仲良くやってるんだな」


 そう呟きながら画面をスクロールすると、岸本さんが「明日は1時間目から体育だから体操服忘れないようにね!」とみんなに呼びかけている投稿を見つける。自然と目が留まり、見入ってしまう。


 (彼女って、こういうちょっとした気配りも欠かさないんだな……)


 改めて感心する。そんな彼女がモテるのは当然だろう。僕の入り込む隙なんて、本当にあるのだろうか――そんな考えが頭をよぎり、急に胃がきりきり痛み出した。


 翌朝から翌々日、さらにその次の日と、学校生活は当たり前のように回っていく。朝起きて、バスで登校し、クラスで授業を受け、昼休みに笑い合い、放課後に部活見学に顔を出すかどうか悩む……。


 以前の学校では考えられなかったほど、クラスメイトと馴染んでいる感触がある。芦沢や岸本さんだけでなく、他の生徒とも廊下で軽く言葉を交わす機会が増えた。購買部で一緒にパンを選んだり、ワイワイしながらジュースを飲んだりするシーンも、少しずつだが増えている。


 その一方で、僕の心には小さな葛藤が渦巻いていた。


 (このまま、俺はただ“クラスの一人”として過ごすだけなのか? それとも、部活に入ってもっと深く仲間入りするのか?)


 部活のことを考えるたびに、昨日まで楽しかった部活見学が、急にハードル高く感じられたりもする。サッカー部に入るには体力が足りない気がするし、吹奏楽部はゼロからのスタートが怖い。


 そんなふうに逡巡しているうちに、時は刻々と過ぎる。クラスメイトは何らかの部活や委員会に所属している人が多く、放課後になると自然に各自の場所へ散っていく。それを見るたび、僕は“孤立”と“自由”の中間地点に取り残されているような感覚を覚える。


 さらに、岸本さんへの淡い恋心めいた感情も、僕の胸を複雑にさせていた。彼女に近づきたいという思いがある一方で、他の男子だって放っておくわけがない。事実、放課後には声をかけて一緒に帰ろうと誘う男子もいるようだし、彼女も普通にその誘いに応じているかもしれない。


 (あまり踏み込みすぎると、何かが壊れてしまうかもしれない……)


 そんな恐れもある。転校続きで人付き合いが苦手な僕にとっては、気軽に恋愛を楽しむことなんて想像できない。ましてや、クラスの中心的存在の子と付き合える未来なんて、夢物語だと思ってしまう。


 それでも、彼女と話しているとき、ほんの少しだけ僕は自分の殻から抜け出せる気がする。胸が温かくなるし、自分でも意外なほど素直に言葉が出てくる。


 そういう日々が続く中、やがて体育祭の準備がクラスで始まることになる。二学期最初のビッグイベント。クラス対抗のリレーやダンス、応援合戦などに向けて、放課後の時間を割いて作業や練習をする機会が増えるというわけだ。


 芦沢たちは「運動部がリレーで頑張るから、大友は他の競技で力を発揮してくれよ」と言うし、岸本さんは「ダンス係や応援の横断幕作りに一緒に参加しない?」と誘ってくれる。


 こうして“体育祭”という全校行事が近づくことで、僕は再び“みんなと何かを作り上げる”機会と直面することになった。そこには戸惑いもあるが、どこかで“自分を変えるチャンスかもしれない”という期待も膨らんでいた。


 まだ部活のことすら決めきれていないのに、新たな行事が押し寄せてくる。焦りと不安と、ほんの少しの高揚感――そうした入り混じった感情の中で、僕の日常は少しずつ動いていくのである。


 こうして、第七章は終わりを迎える。クラスの中での日常が定着しつつも、まだどこか「部活に踏み切れない」「岸本さんへの想いに揺れている」という葛藤を抱えたまま。次なるイベント“体育祭”を前に、僕がどのように動き始めるのか、まだ誰にも分からない。だが、確実に、クラスの仲間や彼女との距離が変化しつつあるのを感じている――そんな時期に差し掛かっていた。


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