第41話 秋、追い込みの季節と二人の葛藤
夏の吹奏楽コンクールを終え、強烈な暑さが過ぎ去ると、高校三年生の僕・大友遼の日常には受験という切実な現実が本格的に重くのしかかってきた。
九月の初め、朝夕はすでに涼しさを帯びていて、校庭の木々からはセミの声が徐々に減り、代わりに虫の音が響くようになる。例年ならこの時期、二年生以下の学年は文化祭の準備で盛り上がり、秋らしい行事を楽しむ雰囲気に包まれるが、三年生はといえば模試と塾と過去問に追われる日々が始まっているのだ。
高校には恒例の文化祭があり、例年だと三年生は受験を理由に「参加は自由」というスタンスがとられる。実際、多くの受験生はクラスの出し物には軽く顔を出す程度で、ほとんどが勉強に注力するか、見に来るだけ……というのが一般的。
しかし、今年はクラスメイトの中にも「最後だし思い出に少しは関わりたい」という声があり、どうするかで意見が割れている。芦沢などは「せめて教室の装飾くらいは手伝うぜ」と言うが、他の人は「勉強しないとヤバい」と難色を示す。
僕も内心「部活引退後、最後の文化祭に何か携わりたい」と思いつつ、志望校の合格判定はまだ微妙だし、そこまで余裕はない。ちょうど休み時間にグループで話し合っていると、クラス委員が「三年生は強制参加じゃないから、最低限の装飾や出し物は二年以下が頑張るし、皆は無理しないで?」と助け船を出してくれ、微妙な空気は落ち着く。
(そうか……じゃあ俺は必要最低限だけ手伝って、勉強を優先するしかないか)
岸本亜衣は音大受験と一般大学受験のダブル準備を進めるため、さらに忙しい。彼女は「本当に申し訳ないけど、今年の文化祭はほぼ何もできないと思う」と、クラスメイトに謝っていた。
「いや、仕方ないって。そんなに受験が大変なら」とクラス委員も納得し、本人もホッとしていたが、僕はどこか寂しさを感じる。かつて一緒に劇や合奏をした青春の象徴のような文化祭だが、もう三年生としては一歩引いた立場にならざるを得ないのだ。
コンクール後、吹奏楽部の活動は「新体制(1・2年中心)」で継続しており、三年生は事実上引退扱い――だが、完全に籍を抜くかどうかは自由とされている。僕は「最小限、後輩にアドバイスできるときはしたい」と考え、形式的にはまだ部員のままだが、実際はほとんど顔を出せない状態だ。
新部長や顧問は「大友、無理しなくていいよ。受験を優先して構わない」と気遣ってくれる。後輩からも「先輩、いつか余裕ある時に聴いてくださいね」と言われる程度で、疎外感はあるが、仕方がない。
ある放課後、珍しく早めに部室へ行ってみると、後輩たちが文化祭ステージで演奏する曲を合わせていた。次の定期演奏会やコンサートを視野に入れつつ、文化祭でも軽く披露するらしい。
クラリネットの新一年生が僕を見つけ、「大友先輩、ちょっと運指のコツを教えてもらえますか?」と頼り気に声をかける。久々に楽器を手に取り、軽く吹いてみると、懐かしい感触と同時に“ブランク”を感じるが、それでも後輩の前では先輩らしく振る舞わねば……。
「ここは指を伸ばしきるんじゃなくて、少し余裕を持って……あと、息の方向も口の中でイメージして……」
丁寧に指導していると、「うわあ、ありがとうございます!」と感謝され、僕自身も「こういう時間もいいな」と胸があたたかくなる。以前は当たり前のようにやっていたことが、今は貴重な機会なのだ。
それでも長くは居られず、すぐに帰宅して勉強しないと週末の模試に間に合わない。複雑な気持ちで部室を後にするとき、新部長が「いつでも顔出せよ! 待ってるから」と声をかけてくれ、僕は苦笑いで「うん……」と応える。部活仲間との“さよなら”が進行中であるのを、ひしひしと感じる。
一方、岸本さんは相変わらず音楽の専門レッスンを受けながら、一般受験の勉強も並行してこなしている。父親の転職は本決まりになっていて、これまでよりは安定した収入が期待できないものの、今後の時間的な負担は軽くなるらしい。
つまり、父親がフルタイムで忙殺されるわけではなく、家にいる時間も増えてきた分、「娘の進路を本気で支援したい」という姿勢を示し始めたのだという。
ある日、彼女が「父が私のレッスン料を出してくれるって言ってくれた。最初は『自分でバイトして賄う』って思ってたけど、将来の投資だからって……ほんとありがたいけど、申し訳なくて」と打ち明けた。
僕は「よかったじゃん、父さんの気持ちだよ。それで亜衣が少しでも夢に近づけるなら」と喜ぶが、彼女は複雑そうに肩をすくめる。
「うん……。でも、失敗したらどうしようとか、プレッシャーは増えちゃったかも。私が音大落ちたら、お金も時間も無駄にしたみたいにならないかな、とか……」
そう言って不安を漏らす彼女の頬はやつれて見える。実技の厳しい練習や夜間の課題演奏、レッスン、さらに一般科目の勉強……想像を絶する負荷がかかっているのだ。
僕は「もしダメでも、きっとそれは無駄にはならないよ。頑張った分だけ音楽の力がつくし、その経験はきっと将来につながると思う」と伝えるが、どこまで彼女を安心させられるかは分からない。
ただ、彼女は静かに手を握ってくれて、「ありがとう」と小さく笑った。僕にできるのは励ますことだけ――歯がゆい気持ちもあるが、これが現実なのだ。
とうとう文化祭当日がやってくる。例年なら前夜から準備で大騒ぎになるが、三年生の参加は“任意”扱いであり、多くのクラスメイトが手伝いは最低限に留め、客として見に来る感じだ。僕らのクラス出し物も、ほぼ二年生主体で進行している。
それでも僕と芦沢、クラス委員ら数名は「最後だし少しは思い出に」と、朝から教室に顔を出し、ポスターを貼ったり、ちょっとしたアナウンスを手伝ったりしている。岸本さんは「ごめんね、今日はレッスンがあるから午前中だけ」と言い、ちょこっと姿を見せて差し入れを運んだりする程度。
廊下には華やかな装飾が並び、体育館ステージでは在校生有志のライブが行われ、去年までなら「おお、文化祭だ!」とワクワクしたものだが、三年生としては“遠目で眺める”に留まってしまう。
やがて午後になり、僕も課題をやらなきゃと後ろ髪を引かれる思いで帰ろうとしたところ、吹奏楽部の新入生や後輩が音楽室でミニ演奏会をすると聞き、少しだけ顔を出すことにした。
音楽室へ行くと、後輩たちがちょっとしたポップス曲を合わせており、観客はちらほら座っている程度だ。僕が入っていくと「先輩、いらっしゃい!」と手を振られ、軽く照れくさい。
彼らの演奏はまだまだ荒削りだが、楽しそうに吹いているのが伝わる。その姿に胸が締め付けられるような郷愁を感じる。“ああ、もう自分はこの世界から離れかけているんだな”と、改めて実感してしまうからだ。
(でも、離れるわけじゃない……大学に行っても音楽サークルで続けるんだから……)
そう自分に言い聞かせながら、演奏が終わったところで拍手を送り、彼らを励ます。そのまま静かに音楽室を後にし、文化祭会場を回るでもなく校門へ向かう。三年生としての文化祭は、こんなふうに終わってしまうのだという虚しさが胸に広がる。
文化祭が終われば、あとは二学期末~三学期頭にかけて入試本番が控える。ほとんどの三年生は部活動を正式に引退し、放課後すぐに塾や図書室へ向かうのが日常になる。行き交う顔はクマができていたり、青ざめていたり、悩んでいたり――学校全体が受験一色のムードに包まれる。
クラスでは教師が毎日のように「模試の結果どうだ」「願書の書き方分かるか」と声をかけ、廊下ですれ違うたびに「体調崩さないようにな!」と気遣う。もちろんありがたいが、強制されているような焦りを感じる人も多い。
僕は第一志望の私大に出願を済ませ、11月の頭に最初の試験日程が控えている。ほかにも併願を3校ほど用意し、どれかには受かるだろうという計画だが、正直なところ本命に合格できる保証はまったくない。
岸本さんも、音大の実技試験が1月にあり、そこまでに仕上げるため個人練習と大学対策講座で休む暇がなく、一般大の出願準備も並行しているため「毎日徹夜状態」と嘆いていた。
そんな二人がすれ違いざまに交わす会話は「大丈夫?」とか「頑張ろうね」の他愛ない一言でしかないが、それでもお互いを想っている気持ちは揺るがない。夜遅くに、「少しだけ電話しよう?」と誘い合うときもあるが、勉強で疲れ果てて五分ほど話して切るのがせいぜい。
それでも、彼女の声を聞くだけで翌日の活力になるから不思議なものだ。




