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第33話 はじめての交際

 送別コンサートの翌日。朝、教室に足を踏み入れると、いつものようにクラスメイトのざわめきが耳に入る。芦沢が「おはよー、大友!」と声をかけ、女子たちが寄ってきて「コンサートすごかったねー」と盛り上がるが、僕の心は昨夜の出来事でいっぱいだ。


 (岸本さんと“付き合う”というのが、これほど胸が昂るものだとは……)


 告白と承諾のシーンが頭から離れず、顔が緩みそうになる。だが、まだクラスメイトには内緒にしておくつもり。彼女との関係は急に公表する必要もないし、周りの冷やかしを考えると、もう少し落ち着いてからでも遅くはない。


 「大友、何か顔がにやけてね?」


 芦沢が怪しむように見てくるが、「え、そ、そうか?」とごまかす。芦沢は「ふーん……怪しいな」と笑い、どこまでバレているのかわからないが、深追いはしてこない。


 ホームルームが終わり、廊下ですれ違う岸本さんと目が合う。昨日までと同じ光景のはずが、胸の奥がじんわりと熱くなる。一瞬会釈だけ交わして通り過ぎるが、その表情は互いに恥ずかしそうだ。


 (ああ、これが“交際している”という感覚なんだ……)


 昼休み、二人きりで話すタイミングを探していると、ちょうど授業の合間に岸本さんがこっそり教室に来て、「大友くん、ちょっと廊下来て」と誘う。僕は隣席の芦沢に「ちょっと行ってくる」と言い残し、不審がられないように気をつけながら廊下へ出る。


 「どうしたの?」


 「うん、あの……部活が再開する前に、今度の日曜、出かけない? ちゃんとデートっていう形で……」


 “デート”という言葉に、僕は動悸が激しくなる。一応、先日の庭園訪問もクリスマス前の買い物も二人で出かけたが、“正式に交際”を認識したうえでのデートは初めてだ。


 「もちろん行きたい。場所はどうしよう?」


 「まだ考えてないけど、街のほうの映画とかショッピングとかでもいいし……。大友くんが好きそうなところ、ある?」


 「えっと……じゃあ、映画なんてどうかな。あまり観に行ったことないから、興味あるし」


 話がとんとん拍子に進み、次の日曜に映画館のある駅ビルへ足を運ぶことになった。昼食をどうするか、映画のジャンルは何がいいか――そんな何気ない計画にも胸が弾む。


 「じゃあ、またLINEで詳しく決めようね。 ……あ、あんまりみんなにバレないようにする?」


 「うん、そうだね。まだ色々あるし……落ち着いたら周りに言ってもいいけど」


 そういう取り決めをして、僕らは恥ずかしそうに笑い合う。ほんの短い会話なのに、体が浮き上がるような幸福感を味わう。


 放課後、部活は三年生が抜けた後の顔合わせミーティングが行われる。三年生の先輩たちは事実上引退で、受験に集中したり、卒業準備に入ったりする。今後の部活動は、実質二年と一年が中心となって回すことになるのだ。


 部長(新しい部長はおそらく現二年の誰かが引き継ぐか、あるいは続投か)から「これからは新体制で動きます」と宣言があり、練習日程や次年度の行事予定などがざっと告げられる。合宿や大会出場も検討されており、また忙しくなりそうだ。


 岸本さんと帰り際に顔を合わせると、「今年はもっと大変になるかもね。でも、大友くんと一緒ならやれる気がする」と目を輝かせる。僕は笑って「うん、そうだね。頑張ろう」と返すが、内心「彼女の進路問題がどう絡むか」は気がかりだ。音楽を続けるにしても、大学に行くのか、専門学校へ行くのか――もし遠方なら、俺との交際も距離恋愛になるのか?


 (まだ先の話だ。それまでは一緒にいる時間を大切にすればいい……)


 そう自分に言い聞かせ、彼女の手の温もりを思い出す。焦っても仕方ない。まずは、お互いに“好き”と言い合えて、こうして部活や勉強を共に頑張れるだけでも幸せだ――そう思い、心を落ち着かせる。


 そして日曜。当日は快晴。朝からそわそわと準備をし、駅ビルにある映画館で待ち合わせる。僕が先に着いて待っていると、彼女が少し早めに到着して「おはよう、待たせた?」と微笑む。


 周囲はカップルや家族連れが多く、まさにデートスポット。僕らも一応“カップル”になったわけで、この空間が以前より特別に感じられる。


 「まず映画のチケット取ろうか。何観る?」


 「えっと、このラブコメも面白そうだし、あっちのアクション大作も気になる……どっちがいいかな」


 散々悩んだ末、アクションものを選ぶことにした。恋愛映画はちょっと恥ずかしい気がして、まだそこまでの勇気はなかったのだ。彼女も「アクションいいね!」と言ってくれたので助かった。


 チケットを購入し、ポップコーンや飲み物を手にスクリーンへ入る。薄暗い客席で並んで座り、コートを脱いで隣に置くとき、自然と肩が触れそうになる。彼女も緊張しているのか、少しぎこちなく腰を下ろす。


 映画が始まると、迫力のある映像と音響に圧倒され、僕らはスクリーンへ釘付けになる。時々、岸本さんが驚いたり笑ったりするリアクションが可愛らしくて、映画そのものより彼女の反応に意識が向いてしまう。しかし、さすがに手を繋ぐには勇気が足りず、ポップコーンを分け合うだけで精一杯。


 上映が終わると、外のロビーは昼時の人混みでごった返している。僕らは「すごかったね、あのカーチェイスシーン!」と盛り上がりつつ、近くのレストランフロアに移動してランチを取ることにした。


 「ここ、イタリアンのお店みたいだけど、どうかな?」


 「いいね、パスタ好きだし」


 人気店らしく少し並んだが、ほどなくして二人掛けのテーブルに案内される。狭いテーブルで向かい合い、メニューを選ぶのもどきどき。僕はトマトソースのパスタを注文し、彼女はカルボナーラを選んだ。


 「うん、美味しい!」


 彼女は嬉しそうに頬張る。僕も負けじとパスタをすするが、途中でトマトソースが口元についていないか心配になり、落ち着かない。


 食事をしながら、普段の学校や部活では話せないようなことをゆっくり語り合う。昔の思い出や子供の頃の話、好きな音楽のジャンル、ちょっとした将来の夢――すでに色々知っているつもりでいて、まだまだ知らない一面があるのだと感じる。


 「……ほんとは私、小さいころピアノを習ってたんだけど、お母さんが亡くなってからやめちゃってね。父と二人で暮らすのに余裕がなくて。でも、吹奏楽部に入ってクラリネットやったら、また音楽が好きになったんだ」


 少し寂しそうな笑顔で語る彼女に、僕はどんな言葉をかければいいか迷う。最終的には「そっか……。でも、またこうやって音楽に触れられてよかったね」としか言えない。


 彼女は頷き、「だから、音大や専門に進む道も捨てがたいんだよね。父も転職で時間ができそうなら、少しはサポートしてくれるかもしれない。けど、お金のこととか全部解決できるかは分からないし……」


 言葉を詰まらせる彼女。僕は沈黙するしかないが、机の下でそっと手を伸ばし、彼女の手に触れてみる。すると、驚いたように目を見開きながらも、拒絶せずにそっと握り返してくれる。


 「……頑張ろう。もし俺が力になれるなら、何でも言って」


 「うん……ありがとう。大友くんと一緒なら、きっと怖くないかも」


 そう囁き合う瞬間、まさに「付き合っている」実感が湧く。隣や周りに人がいるので、大っぴらにはいちゃつけないが、この小さな繋がりで十分幸せだ。


 パスタの皿は少し残っているが、胸がいっぱいであまり食が進まないほどの充足感がそこにあった。

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