第32話 本番後の告白
送別コンサートが終了し、客席の多くは片付けに回ったり、三年生に花束を渡すためにステージ裏に回ったりと、講堂内が慌ただしくなる。僕ら二年や一年の部員は楽器の片付けや舞台撤去を分担し、それぞれ動き回っている。
僕はクラリネットをケースにしまいながら、心臓の鼓動が早まりつつあるのを感じる。曲が終わったあとの達成感がありつつ、次は「告白」という大きな山場が待っているからだ。いまこそ、迷うことなく行動に移したい。
「大友、ちょっと手伝ってくれ!」
パーカッション担当の先輩に呼ばれ、台車に積まれたドラムセットの移動を手伝う。舞台袖から楽器室までは結構距離があり、廊下を何往復もしなければならない。それでも手を抜くわけにいかない。
ようやく一段落して、廊下を見回すと、岸本さんが譜面台を抱えて歩いている姿が目に入る。ドラムセットの片付けを終わらせた僕は、すかさず彼女に駆け寄る。
「岸本さん……!」
「あ、大友くん。お疲れさま。すごく良い演奏だったね……」
少し息を切らしている彼女に、「こっちもお疲れ。あのソリストの先輩、何とか持ちこたえたな」と返すと、彼女はほっとしたように笑う。
「うん、本当にギリギリだったけど、三曲やり遂げてくれて良かった……。私も途中、かなり緊張しちゃったけど、大友くんがしっかり合わせてくれたから助かったよ」
ここだ。絶好のタイミング。舞台袖や廊下のあちこちに人はいるが、今はもう大きな荷物の移動は終わり始めており、少しだけ落ち着きが戻っている。僕は深呼吸をして、意を決する。
「えっと、その……みんなが片付け終わったら、ちょっとだけ時間いいかな。話したいことがあって……」
言葉が震えるのを感じる。彼女は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに微笑み、「うん、わかった。じゃあ、講堂の裏口あたりかな? あそこなら人も少ないし……」と提案してくれる。
すべての片付けが終わる頃には、時刻は夕方に差し掛かっていた。三月とはいえまだ寒い時期で、外はすっかり暗い。部長や先輩たちは「お疲れ、飲み物買ってくる」と遠くへ行き、三年生は写真撮影や顧問との挨拶でわいわいしている。
僕はこっそり講堂の裏口へ向かう。そこは非常口があるだけの小さなスペースで、普段はほとんど人が来ない。夜風がひんやりと襲い、わずかな外灯の明かりが地面を照らしている。
しばらくすると、岸本さんが姿を見せる。薄暗い中でも、彼女の表情が緊張しているのが分かる。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん、今来たところ」
言葉が詰まる。ここまでは勢いで来たが、いざ本人を前にすると頭が真っ白になる。彼女も同じなのか、何か言いたそうに視線を落としている。
「えっと……その……」
僕は深呼吸をして、震える声を抑えようとする。舞台が終わったばかりで、心臓がまだ高鳴っているが、ここで退けば一生後悔する気がする。
「あのさ……ずっと言えなかったんだけど、俺……岸本さんのこと、好きなんだ」
言ってしまった瞬間、顔が熱くなる。こんなにもシンプルな言葉が出てこなかったのは、自分の弱さやタイミングの問題、何より彼女を困らせたくないという気持ちのせいだった。でも、もう止められない。
彼女は息を呑んだように見え、瞳を大きく開いている。あたりの冷たい風が肌を刺すようだが、僕の体は逆に熱くなっている。
「そっか……大友くん……」
彼女の声が震え、そこから先の言葉が続かない。僕はさらに続ける。
「……転校してきて、部活やクラス行事で岸本さんと一緒に過ごすうちに、いつの間にかほんとに惹かれてた。君がいなかったら、俺、ここまで部活もクラスも楽しめなかったと思う。色々支えてくれて……ありがとう。だから、その……もし迷惑じゃなければ、俺と付き合ってほしい」
自分で言っていて恥ずかしすぎるが、後戻りはできない。冷たい空気がピリピリと頬を刺す沈黙の中で、彼女の反応を待つ。
岸本さんはしばらく無言で、その場に立ち尽くしている。遠くから講堂の笑い声がかすかに響くが、ここはほとんど人通りがないので二人だけの世界だ。
やがて、彼女はぎこちなく口を開く。
「……私も、ずっと大友くんに支えられてきた。演劇のときも、吹奏楽のときも、家の悩みを打ち明けたときも……大友くんがいてくれたから、すごく安心できたし、頑張れたんだ」
胸が痛いほど高鳴る。彼女が何を言おうとしているか、察しはつくが、怖くて仕方ない。いい答えが返ってくるかどうか、確信はない。
「だから、私も、同じ気持ちだと思う。……好き、なんだよね、大友くんのこと」
その一言に、頭が真っ白になる。背中が熱くなり、指先が震える。この瞬間、彼女の言葉がはっきりと僕の耳に届くのに、まるで夢のようだ。
「え……ほんとに……?」
思わず問い返してしまう。彼女は照れ笑いを浮かべながら小さく頷き、地面を見つめる。
「うん。……ただ、私にはまだ家のことや進路のことがあって、全部解決したわけじゃない。それでもいいの?」
その問いに、僕は即答する。
「もちろん。俺も進路とか何も決まってないし……でも、だからこそ一緒に悩んで、一緒に支え合えたらいいなって思う」
すると彼女は瞳に涙を浮かべながら微笑む。小さな声で「ありがとう、嬉しい……」と言ってくれて、僕はもう胸が苦しくなるほどの幸福感に包まれる。
「……じゃあ、これからよろしく、ってことでいいのかな?」
照れながら確認すると、彼女はしっかりと頷く。
「うん。まだ色々あるけど……今は、こんなふうに思えたの初めてだから……嬉しい」
僕は思い切って、手を伸ばす。彼女もそれを感じ取り、そっと指先を触れ合わせる。冷たいはずの指が、なぜかすごく温かく感じる。
講堂の裏手、誰も来ない夜の通路で、僕らは指を絡め合い、小さく笑い合う。正式に「付き合う」という言葉は出していないかもしれないが、気持ちは共有できた。
やがて、岸本さんが「そろそろ戻ろうか。先輩たちが探してるかも……」と囁き、僕も頷く。手を離すのが名残惜しいが、まだ学校にいる以上、人目が気になる。しかし、もう僕らの間には大きな一線が消えたのだと実感する。




