第30話 送別コンサートのステージ
三月上旬。送別コンサートの日が刻一刻と近づき、吹奏楽部は連日慌ただしく準備を進めていた。三年生の先輩たちは受験の合否が出始め、合格を喜ぶ人、悔しい思いを噛み締める人と様々だが、それでも最後のステージだけは笑顔で迎えたいという気持ちが部全体を一つにしている。
僕はクラリネットパートの一員として、三曲の合奏に参加する予定。岸本さんや先輩との練習を重ねて、「なんとかステージで演奏しても恥ずかしくないレベル」までは到達した(はず)だ。
「大友、最初の曲が肝心だから、緊張しすぎないで入れよ?」
部長がそうアドバイスする。僕は「はい、気をつけます」と返事しつつ、心臓がすでにバクバクだ。
クラスでは、三年生を送る「卒業式に向けた準備」が進められており、二年生の僕らも色々な裏方を任されている。卒業式当日は合唱をするので練習もあるし、式場の装飾を作る班に入る人もいる。
「大友は卒業式の合唱リーダー手伝ってくれない? 男子パート少なくて困ってて……」
クラス委員がそんなふうに声をかけてくるが、僕は部活の送別コンサートと日程が重なるかもしれないため、「ごめん、部活優先で微妙かも」と断らざるを得なかった。なんだか申し訳なく思いつつも、いまは吹奏楽部のステージが最優先だ。
岸本さんも同じように卒業式の装飾を頼まれたが、「部活が忙しいから……」と断わったそうだ。どうやら二人とも“部活優先”のスタンスを取っているが、周りはそこそこ理解してくれている。
送別コンサートの本番前日、ステージとなる講堂でリハーサルが行われた。三年生の先輩が率いるバンドスタイルや、アンサンブル形式の演奏など、プログラムは多岐にわたる。僕らクラリネットパートも順番を待ちながら、舞台袖でスタンバイする。
ところが、直前になって先輩の一人が体調を崩してしまい、「ごめん、風邪っぽくて声が出ないし、演奏も厳しい」と言い出す。全員が慌てて対策を考えるが、代わりのパートを誰が吹くかが問題だ。
「やばいな……大丈夫、保健室行った?」「明日までに治るとは限らないぞ」など、不安の声が飛び交う。僕も焦るが、岸本さんが「ここは私が先輩の分も吹けるよう、ちょっと編成を工夫すれば……」と提案し、急遽パート分割を見直すことに。
「大友くんには、さらに裏メロを少しカバーしてもらうことになるけど、できる?」
彼女が尋ねてくる。楽譜を差し出され、そこには追加のフレーズが赤ペンで書き込まれている。かなり急な変更だが、やらないわけにはいかない。
「う、うん、頑張るよ。とりあえず練習する時間あるかな?」
「リハが一通り終わったあと、個別でちょっと合わせよう。……ごめんね、負担かけちゃって」
「いや、大丈夫……やるしかないから」
こうして予定外のハプニングが起きたせいで、僕らは本番前日にさらに緊張を強いられることになった。
リハーサル後、みんなが解散した夜。音楽室には僕と岸本さん、そして先輩数名が残って、突貫で曲の修正を試みていた。体調不良の先輩は早めに帰宅し、当日も出られるかどうかギリギリの状態。
岸本さんは疲労で顔色が悪いが、それでも必死に指導してくれる。「ここは私が主旋律を持つから、大友くんは裏メロを軽く被せてくれればいい」「次の小節は重ねると雑音になるから遠慮して」など、テキパキと指示を出す姿が頼もしい。
(やっぱりすごいな……こんな状況でも冷静に対応してる)
僕はそんな彼女の姿に惚れ直しそうになる。いや、もう惚れているのかもしれない。人付き合いが苦手だった僕が、こんなに尊敬と愛しさを感じるなんて。
「……ありがとう、大友くん。急な変更なのに頑張ってくれて」
「いや、俺は全然……むしろ、ありがとうって言いたいのはこっち。岸本さんがいなかったら、パート崩壊してたよ」
お互いに笑い合い、短い休憩を挟む。夜の音楽室は冷え込むが、熱気と緊張感で身体は火照る。薄暗い照明の中、彼女と向かい合ってパート譜を確認する瞬間、心臓が高鳴るのを抑えきれない。
(本番が終わったら、ちゃんと伝えようかな……俺の気持ち。そう決めてもいいんじゃないか……)
自然とそんな思いが強まる。本番でいい演奏をし、彼女が満足して笑ってくれたとき、最高のタイミングで告白する――それが僕の新たな目標になりつつあった。
家に帰るとすでに深夜近く。叔母さんに「遅かったね、ちゃんとご飯食べた?」と心配され、「急な練習があって……」と答える。
布団に入っても眠れず、スマホを何度もチェックするが、彼女からは「お疲れー、明日は頑張ろうね!」というメッセージが一通だけ。
(そうだ、明日が本番なんだ……)
送別コンサート当日。三年生にとって最後の舞台、そして僕らにとっても大切なイベント。体調不良の先輩が復帰するかどうか未知数だけど、どちらにせよ練習通りやるしかない。
(そして、本番がうまくいったら、終わったあとに……)
僕は何度も深呼吸を繰り返す。眠れない夜でも、気持ちを高めなければならない。先日、おみくじには「焦らず時を待て」とあったが、もしかしたら“時”はすぐそこに来ているのかもしれない。
外はまだ真っ暗、夜が明けるまでには数時間ある。だが、僕の心はもうすでに次の日のステージに向かって走っている。
「……よし、頑張ろう」
自分に言い聞かせる。もし明日、うまくいけば――次こそは、岸本さんに想いを伝える。そう決めて、僕は深く目を閉じた。夜明け前の静寂に包まれながら、鼓動だけがやけに大きく響いていた。




