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第3話 夏休みの終わり、近づく転校初日

 それから数日、僕はほとんど同じような日々を過ごした。朝起きて、何か簡単な手伝いをして、少し外を散歩する。帰ってきて昼を食べ、午後は部屋で過ごしたり、たまにスーパーに買い物に行ったり。


 この町での生活リズムには、少し慣れてきた気がする。でも、人間関係は広がらないまま。この家で暮らすのは気が楽だが、外で誰かと関わるのはやはり緊張する。


 そんな中、いつの間にか夏休みが終わろうとしていた。僕の転校初日は、二学期の始業式の日。いよいよ、この町で高校生活が始まるのだ。


 初登校を目前に控えたある日、佐々木先生から電話がかかってきた。叔母さんが電話を取り、「遼くん、先生からよ」と受話器を差し出す。


 「は、はい……もしもし」


 「大友くん? 元気にしてる?」


 佐々木先生の声は明るく、まるで友人にでも話しかけるかのようだ。僕は少しだけほっとする。


 「まあ……はい、何とか」


 「よかった。新学期が始まったら、さっそくクラスでの自己紹介やら、教科書の配布やら色々あるから大変だと思うけど、焦らずに慣れていこうね」


 「……はい、そうですね」


 「もしかしたら、あの後クラスの子が連絡してくるかもしれないけど、もし連絡が来なくても気にしないで。転校生ってみんな緊張するもんだから」


 先生の言葉に、僕は「連絡が来る?」と疑問を持ちつつも、「あ、はい」と答える。先生は電話の向こうで「じゃあ当日、職員室に来てね」と言い残し、気さくに電話を切った。


 (クラスメイトが連絡……なんだろう、先輩とかが学校案内してくれるのかな?)


 そんなことを考えながら受話器を置くが、結局その日は誰からも連絡は来なかった。僕は少しほっとしたような、ちょっと寂しいような、複雑な気分になる。


 翌日、叔母さんが「制服と教科書、もう全部揃ってる?」と確認してくる。


 「うん、一応……」


 ブレザーとズボンを試着したら、サイズも問題なかった。教科書も、購買部から受け取ったぶんをちゃんと手元に置いてある。ノートや筆箱も新調した。


 「そっか。じゃあ当日はそれを着て、朝ごはんを食べてから出かけるのね。学校までの道はもう覚えた?」


 「……たぶん、大丈夫。車で行くルートはわかるけど、歩きだと40分くらいかかるって聞いたから……バスを使おうかな」


 「そうだねえ。バス停が近くにあるから、そのほうが楽かも。時間に余裕を持って家を出ようね」


 叔母さんはそう言って、楽しげにカレンダーにメモを書き込んでいる。まるで自分の子どもの進学を世話しているみたいだ。でも僕はそんなに明るい気分にはなれない。むしろ、緊張で胃がきしむ。


 夜になって、僕は自分の部屋で制服をハンガーにかけて眺めていた。紺色のブレザーに、控えめな色のネクタイ。シャツは白地で胸ポケットに小さく校章が刺繍されている。


 「……かっこいいとかダサいとか、そういうんじゃないよな。これ着て、クラスに行くんだよな」


 つい独り言が漏れる。人と関わるのが苦手な僕が、十数人、いや数十人のクラスメイトの中に入っていく。自己紹介なんて、絶対に上手くやれないだろう。


 それでも、これが現実だ。新しい場所でやり直すんだと自分で決めた。ネガティブな心を押し込めて、なんとか前を向くしかない。


 「……頑張ろう」


 自分に言い聞かせる。その声は頼りなくて、まるで今にも消えてしまいそうだった。


 そして、夏休み最終日。僕は落ち着かない気分のまま、昼過ぎに再び町を散策してみることにした。最後の気分転換だ。


 例のパン屋に行ってみようかと考えながら、あの細い路地を通る。まだ暑い日差しが降り注いでいて、日陰を探しながら歩く。パン屋はちゃんと営業していた。


 「……入ってみようか」


 お店の扉を押すと、カララン、と鈴の音が鳴る。店内は小さいが、焼きたてのパンの香りが広がっていて心地いい。ガラスケースの中には美味しそうなパンが並び、その奥には厨房が見える。若い女性の店員さんがカウンターに立っていた。


 「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりご覧くださいね」


 明るい声に、僕はぎこちなく会釈を返す。こういう時、どんな表情でいればいいのか分からないのが自分でも歯がゆい。


 トングとトレイを手に取って、棚を眺める。クリームパン、チョココロネ、ツナパン、フランスパン……どれも魅力的に見えるが、迷っているとなんだか申し訳なくなってしまう。


 「え、えっと……これと……これを……」


 とりあえず、一番無難そうなクリームパンとメロンパンをトレイに乗せる。会計をするとき、店員さんが「袋詰めしますね」と笑顔で言ってくれる。


 「ありがとうございます。また来てくださいね」


 その言葉に、小さく「はい」と返して店を出る。手の中にあるパンの温もりが、少しだけ心を弾ませる。自分にとっては、それだけでも大きな一歩だ。


 (こんなこと、普通の人ならいちいち意識しないんだろうな)


 そう思いつつも、僕にとっては日常の買い物や、他人と交わすちょっとした言葉が、ずっと遠い世界の出来事のように感じてしまう。


 ――でも、新しい学校ではもっと多くの人と接することになる。こういう小さな練習を重ねて、慣れていくしかないんだ。


 川沿いを歩きながら、買ったパンをかじってみる。クリームが濃厚で甘く、生地もふわふわしていてとても美味しい。あのパン屋、意外と侮れないかもしれない。


 ベンチに腰掛けて、メロンパンも頬張ると、さらに甘い香りが鼻をくすぐる。気づけば、気持ちも少し軽くなっていた。


 「……よし、明日だ……」


 思わず口に出してみる。明日は新学期初日。僕の転校生活が本格的に始まる日。


 空を見上げると、まだまだ夏の雲が広がっていたけれど、季節は少しずつ秋に向かっているのだろう。僕が心の中で描いている小さな変化の予感――それは本当に起こるのか、それとも幻で終わるのか。


 答えは、もうすぐ分かる。

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