第25話 クリスマス前日の約束
十二月二十三日。天気は晴れ。
朝から緊張で落ち着かない僕は、叔母さんから「どうしたの、デート?」とニヤニヤされながら送り出される。スニーカーとコートを身につけ、マフラーもしっかり巻いて、指定された〇〇駅へ向かう。
駅前広場はいつも以上に人が多く、クリスマスセールの看板やイルミネーションが目に入る。待ち合わせ時間より少し早めに着いたので、どこに立っていればいいか迷いながらキョロキョロしていると、人波の向こうに岸本さんの姿を見つけた。
「……あ、いた!」
普段は制服姿か、せいぜい部活のジャージぐらいしか見たことがなかったが、今日は私服のニットとスカート、ロングコートという冬らしい装いだ。これが想像以上に似合っていて、思わず目を奪われる。彼女も僕の姿を見つけ、「やっほー!」と小さく手を振ってくる。
「ごめん、待たせちゃった?」
「い、いや、俺がちょっと早く来ただけだから大丈夫……」
会話がぎこちなくなる。彼女の私服姿がまぶしすぎて、どうリアクションすればいいか分からない。赤みがかったマフラーを首に巻いて、少し照れ笑いしているのがとても可愛らしい。
「大友くんも、私服いいね。なんか新鮮かも……」
「そ、そうかな。あんまり持ってなくて……無難なやつ着てきただけだけど」
会話が続かない。心臓がどきどきして、しゃべるのが難しく感じる。すると岸本さんが「じゃあ行こっか」と、先導するように歩き始める。
駅前から市営バスに乗り、しばらく揺られていると、だんだん街の中心部を離れていく。車窓には緑の多い郊外の景色が広がり、都会的なビル群は見当たらない。
「どこ行くの?」
気になって尋ねると、彼女は「ふふ、着いたらわかるよ」といたずらっぽく笑う。路線図を見ても、〇〇公園や〇〇牧場といった観光地がある地域らしいが、どこが目的地かは特定できない。
バスの中には地元の人らしき高齢者が数人乗っているだけで、かなり空いている。二人並んで座るシートに腰を下ろすと、自然と距離が近くなって緊張感が増す。
「寒くない?」
「大丈夫。コートがわりとあったかいし」
そう言いながら、僕は手先のかじかみを隠すためにコートのポケットに突っ込んだ。彼女はスマホを握って、「乗り換えはしないはずだから、このまま30分ぐらい乗るんだ」と教えてくれる。
半時間もバスで移動……それなりに遠い場所だ。まったく見当がつかず、不思議とワクワクする。こんな遠出を二人でするのは初めてだ。
「実はね、前に父と行こうと思ってたけど、結局行けなかった場所があるんだ。そこに大友くんを連れて行きたいなって思って……」
彼女がぼそっと打ち明けてくれる。その言葉に、僕は少し胸が詰まる。父親とは行けなかった場所を、今度は僕と一緒に――ということか。かすかな申し訳なさと、嬉しさが入り混じる。
「そうなんだ……ありがとう。俺でいいの?」
「いいの。大友くんだからこそ、行きたいところなんだ」
それ以上は詳しく語らない。車内が暖房であたたかく、外の景色が静かに流れていく。僕らは自然とお互いを意識しながらも、会話は途切れがち。それでも、奇妙な居心地の良さがあった。
バスを降りた場所は、想像以上に人里離れたエリアだった。少し歩くと、高い木々に囲まれた森のような場所へ続く細道があり、その脇に小さな看板が立っている。
「〇〇庭園:冬期も開園しています」と書かれた看板を見上げ、僕は「へえ、庭園?」と呟く。どうやら日本庭園と洋風ガーデンを合わせた観光スポットらしいが、繁忙期は秋の紅葉シーズンや春の花が咲く頃だと看板には書かれている。
「ここ、結構有名なんだけど、冬はあまり人が来ないんだって。でも、実は静かで綺麗らしいの。父が前に『いつか行ってみたい』って言ってて、私も気になってたの」
彼女はそう説明しながら、小道を進んでいく。すると、料金所のような簡素な建物があり、入場料を払って中へ入る仕組みになっていた。中年の男性が受付をしており、「ようこそ、今日は空いてるよ」とにこやかに迎えてくれる。
中へ入ると、広大な敷地が広がり、和風の庭園や池、そして少し奥にはレンガ造りの洋館が見える。雑木林が落葉しているので、遠くまで見渡せるが、それがまた独特の景観を生み出している。訪問客はほとんどいなくて、僕ら以外には数人が散策しているだけ。
「へえ……冬の庭園もいいもんだね。なんか荘厳な感じ」
僕が感嘆の声を漏らすと、岸本さんは「でしょ?」と笑顔を見せる。
「本当は父と来る予定だったんだけどね……忙しくて叶わなくて。だから、いつか私一人で来ようかとも思ってたけど、それもなんだか寂しいし……って思ったときに、大友くんが頭に浮かんで」
不意打ちの告白めいた言葉に、僕は一瞬耳を疑う。彼女はあくまで自然体の口調だが、「私が一緒に行きたいと思ったのは大友くん」という事実がずしんと胸に響く。
「そっか……ありがとう。誘ってくれて嬉しい」
「うん。実際に来てみたら……なんかいい雰囲気だね。人が少ないのもあるけど、静かで心が落ち着く……」
そう言いながら、彼女はふっと笑う。僕もその笑顔につられるようにして、歩調を合わせながら園内を散策する。
レンガ造りの洋館の前には、わずかにバラが残っていて、冬の寒空の下でも力強く咲いている品種なのだという。庭師らしき人が手入れをしており、かすかに土の匂いが漂う。
ベンチがいくつか設置されているので、彼女が「ちょっと休もうか」と言い、二人で腰掛ける。すぐ近くに池があり、鴨のような鳥が泳いでいる姿が見える。
「ごめんね、こんなマイナーな場所に連れてきて。もっとクリスマスっぽい賑やかな街に行きたいかなって思ったんだけど……それじゃ私が行きたい場所じゃないし、大友くんが一緒なら、ここでもいいかなって思って」
彼女が恥ずかしそうに言うので、僕は首を振る。
「そんなことないよ。俺、むしろこういう静かな場所が好きだし、喧騒よりは落ち着くかな。今日誘ってくれて嬉しいよ」
「そっか……よかった」
ほっとしたように息を吐く彼女。周りに人がほとんどいないからか、声のトーンも少し低めになっている。やがてバッグの中を探り出して、何やら小さな包みを取り出した。
「あのね、大友くん。これ、受け取ってほしいんだ。これが“お礼”ってわけじゃないんだけど、その一つというか……気持ちの印みたいなもの」
手渡された包みを開くと、中には小さな手作りのキーホルダーのようなものが入っていた。刺繍糸で編まれたストラップに、音符のチャームがついている。市販品とは違う、素朴な暖かみがある。
「え……これ、手作り?」
「うん。下手っぴだけど、私なりに頑張ってみた。吹奏楽といえば音符かなって思って……大友くんのカバンにでも付けてもらえたら嬉しい」
声が少し震えている。僕は思わず、「すごい、嬉しいよ。こんなふうに作ってくれたなんて……ありがとう」と答える。
それ以上の言葉が出ない。胸がいっぱいになって、どう表現すればいいのかわからない。でも、彼女が僕のために作ってくれたという事実だけで、目の奥がじんわり熱くなる。
「本当はもっと豪華なプレゼントとか、いろいろ考えたんだけど……私、あまり金銭的に余裕があるわけじゃないし、そういうのって大友くんも気を遣うでしょ? だから、気持ちだけでも形にしようと思って、ちょっと夜な夜な練習して……」
彼女は照れながら話す。その姿が愛おしくてたまらない。ここまで心を込めてくれるなんて、僕は何を返せばいいのか。
「ありがとう、大切にする……。俺、実は人生でこういう手作りの贈り物もらったの初めてかも。すごく嬉しい」
そう言うと、彼女は「よかった」と破顔する。瞳がきらきらと輝いていて、寒さを忘れるほど心が温かくなる光景だった。
僕らはさらに園内を散策しながら、お互いの近況を話し合う。父親の仕事が年末年始には落ち着くかもしれないこと、吹奏楽部の先輩から新年の合宿に誘われていること、クラスでは冬休み課題が多すぎてうんざりしていること――話題は尽きない。
途中、園内の売店でホットココアを買って、芝生のベンチで一息つく。寒い中で飲む熱い飲み物がこんなに美味しいなんて、感慨深い。彼女はカップを両手で包んで、「あったまる……」と嬉しそうに息を吐く。
(今、この瞬間が最高に幸せだ。もし時間が止まってくれたらいいのに……)
そんなことを考えてしまう。彼女との距離がこんなに近くて、自然と笑い合える。僕は勇気を出して、「あの、俺……岸本さんに伝えたいことが……」と切り出そうかと迷うが、声にならない。もしここで軽率に告白めいたことを言って、万一空回りしたらどうなる? 彼女には家の問題や部活の目標がある。負担をかけたくはない。でも、溢れそうな想いを抱え続けるのは苦しい。
結局、何も言い出せずにココアを飲み干し、もうすぐバスの時間が来る。彼女が「あ、もう帰らなきゃだね。暗くなると余計に寒いし」と立ち上がる。
「うん……だね。ありがとう、今日は本当に楽しかった。最高の“お礼”だったよ」
「私も、大友くんに付き合ってもらって嬉しかった。ありがとう……」
最後に小さく笑い合う。まだ時間はあるのに、冬の夕暮れはすぐに迫ってしまう。帰りのバス停へ向かう道すがら、僕らは何度か言いかけてやめるような沈黙を繰り返し、気まずいわけではないが言葉にできない感情を抱えていた。
バスに揺られながら、彼女と並んで座る。外はすっかり薄暗くなり、遠くにイルミネーションらしき光がちらちら見える。クリスマスイブ前夜の世界は、恋人たちで溢れているかもしれない。僕らはまだ「恋人」じゃない。でも、このままの関係でいいのか――答えは出ないまま、バスは駅へと戻っていく。




