第22話 クリスマスコンサートの準備
十二月中旬。朝のホームルームで外を眺めると、校庭の木々はすっかり枝だけの状態になり、空気がぴんと冷えている。マフラーや手袋を着用し始める生徒が増え、教室でも「寒い、寒い」と言いながらストーブの周りに集まる姿が見られる。
そんな中、吹奏楽部では「クリスマスコンサート」へ向けた練習が本格化していた。学校内のステージで大々的に発表するわけではなく、主に地域の小規模施設を回って演奏する出張コンサートだという。とはいえ、アンサンブル曲やクリスマス曲を複数用意し、部員たちは小さなグループに分かれてリハーサルを行っている。
「大友はどのグループに入る?」
部長が一覧を見せてくれる。そこには「クラリネット四重奏」「金管五重奏」「打楽器アンサンブル」などのグループ名が書かれており、僕がどこに参加するかが問題だ。
「初心者だけで組む『サブアンサンブル』もあるけど、そっちは人数が多くて希望者がいっぱいなんだよね。大友は……クラリネットパートに入りたいなら、岸本たちに混ぜてもらうのもアリ」
「え、それ……俺、まだまともに吹けないし、迷惑かけないかな」
ためらう僕に、部長はニヤリと笑う。
「そこは岸本と先輩がフォローしてくれると思うよ。逆に言えば、レベルの高い人たちと練習するほうが伸びるし。どうせ軽めのクリスマス曲だから、難易度はそんなに高くないんだ。どうする?」
「じゃあ……やってみます。よろしくお願いします」
勇気を出して答える。少しでもクラリネットを本格的に練習したいという思いもあるし、岸本さんと一緒に演奏するのは嬉しい。
放課後の音楽室で、クラリネットパートの先輩たちと合流。そこには岸本さんもいて、楽譜を手にニコニコと待ち構えている。
「大友くん、同じグループなんだね。嬉しい!」
「いや、俺のほうこそ、足引っ張らないように頑張るよ……」
先輩の鈴木さんが「そんなに気負わなくて大丈夫。演奏曲はわりとシンプルだから。あとは音色をそろえる練習をしっかりやっていけば間に合うよ」と微笑む。
今回の曲は有名なクリスマスソングのメドレーだ。クラリネット三~四人で主旋律やハモリを分担し、軽快に吹くアンサンブルになるらしい。楽譜をちらっと見てみると、確かに音符の数は多いが、超高度な技術を要するパートは少ない。初心者の僕にとっても、厳しいが不可能ではない範囲だ。
さっそく初見で音を出してみるが、やはり息が安定しない部分があって、リズムがぐだぐだになる。先輩たちは慣れた指遣いで美しい音を出し、岸本さんも柔らかく溶け込む音色を響かせている。一人だけ“雑音”を出しているようで、申し訳ない気分になる。
「大丈夫大丈夫、最初はそんなもん。少しずつテンポを落としてゆっくり練習しよ?」
鈴木さんの明るい呼びかけで、テンポを落としての合奏が始まる。岸本さんがチラリとこっちを見て、笑顔で“合わせてみよう”というアイコンタクトをくれる。僕はそれに応えるように肩の力を抜き、深呼吸してみる。すると、不思議とさっきよりはまともな音が出せた。
(そうか、焦りすぎてたのかもしれない……)
一音一音を丁寧に繋ぎながら、クリスマスソングの旋律を奏でる。まだまだぎこちないが、部長や先輩が言うように「軽い曲」だからこそ、音を重ねやすいのかもしれない。岸本さんの音と少しでも近づきたいと思うと、自然と指先や息づかいにも熱がこもる。
練習が終わると日もすっかり沈み、冷たい風が校舎を包んでいた。部室から楽器をしまい、外へ出ると、岸本さんが「大友くん、今日はどう帰るの?」と声をかけてくる。
「いつも通り、バスかな。もう夜になっちゃったし、あんまり遅くなると叔母さんが心配するし……」
「そっか。私も途中まで駅まで歩くんだけど、バス停のほうが先だもんね。良かったら一緒に行こうよ」
そう言われると、断る理由などない。僕たちは並んで昇降口を出て、暗くなった校舎の敷地を歩き始める。
外灯に照らされた道を進みながら、自然とアンサンブルの話になる。
「大友くん、今日の練習、結構いい感じだったよ。最初は音が荒れてたけど、後半は息が安定してきた気がする」
「そうかな……まだまだかなり下手だと思うんだけど」
「ううん、初心者なのにすごい伸びてると思う。来年になったらもっと上手くなるはずだから、自信持っていいよ」
こうして褒められると、嬉しさと照れくささが半分ずつで、何とも言えない気分になる。視線を落としながら「あ、ありがとう……」とつぶやく。
「あと、大友くんがクラリネット吹く姿を見てると、こっちまで頑張ろうって思えるんだよね」
ふいにそんな言葉を付け加えられて、僕の心拍数は急上昇する。だが、彼女は冗談でもなく、ごく当たり前のように言っているらしい。
「……そ、そう?」
「うん。私も、もっといい音出せるようにならなきゃなーって思うし。家のこともあるけど、やっぱり吹奏楽が好きだからさ」
彼女の声が少しだけかすれる。家のこと、と聞いて僕は一瞬胸が痛むが、彼女はそれ以上触れない。そろそろバス停が近い。
「じゃあ、また明日ね。風邪ひかないように」
「うん、岸本さんも……」
バスのライトが遠くから近づいてきて、僕は急いで乗り込む。窓の外に残る彼女が手を振る姿が見え、僕も腕を軽く上げて応える。バスが動き出すと、彼女の姿が闇の中に消えていった。
(本当に、変わったよな……昔の自分じゃ、こんなにも積極的に人と関わろうとしなかったと思う)
そう思いつつ、クリスマス曲の旋律が頭の中をぐるぐる回っていた。部活の仲間とのアンサンブル。岸本さんの父親のこと。彼女との微妙な距離――いろんな要素が混ざって、胸が痛くなるような、でもどこか温かい夜の帰り道。
週末、吹奏楽部はテストが終わったので活動が再開しており、アンサンブル組も自由参加で集まって練習することになっていた。僕は家でのんびり過ごすつもりだったが、やはり腕を磨きたいという思いが勝り、午前中から学校へ向かう。
体育館やグラウンドではいくつかの運動部が練習しており、外は寒いのに元気だなと感心する。音楽室のほうへ行くと、すでに何人かがチューニングを始めていた。岸本さんも「おはよう!」と爽やかな声で出迎えてくれる。
「今日は時間あるんだね、大友くん。嬉しい!」
「あ、うん。家にいてもダラダラしちゃうし、こっちのほうが建設的かなって……」
そんなやり取りをしていると、先輩が「よし、じゃあ合わせる前にパート練習しよっか」と声をかけてくる。先日から苦戦している箇所を重点的に指導してもらい、運指や息のコントロールを学び直す。
時間が経つのを忘れるほど集中していたが、休憩を挟むころには午後になっていた。みんなでコンビニのパンや飲み物をつまみ、ささっと昼食代わりにする。
「ねえねえ、大友くん、調子どう?」
岸本さんがサンドイッチを片手に訊いてくる。
「うん、だいぶ指が慣れてきたかも。音程はまだまだだけどね」
「そっか、私もソロっぽい部分の音色が気に入らなくてさ、先輩にアドバイスもらったけど、もっと練習しないと……」
お互いに悩みを共有し、励まし合う。ふとこの光景を客観的に見たら、かなり青春してるよなと思い、内心くすぐったい。
午後の練習が始まると、メンバーで合奏を行う。曲はもちろんクリスマスソングのメドレー。テンポが少しずつ上げられ、僕がついていけるかギリギリのラインを探る感じだ。岸本さんと先輩たちは華麗に合わせていて、僕だけが遅れそうになるたびに視線を交わして軌道修正する。
何度か通しているうちに、少しずつ指が覚えてきて、遅れる頻度が減っていく。岸本さんが嬉しそうに微笑み、先輩も「うんうん、いいじゃん!」と褒めてくれる。嬉しくて恥ずかしくて、でももっと上手くなりたいと思う。
こうして休日の特訓は終わり、あっという間に夕方になった。片付けを済ませて外へ出ると、冬の風が身体にしみる。先輩たちが「お疲れー」と帰っていく中、岸本さんと僕はなんとなく並んで歩いて校門へ向かう。
「いやー、結構集中したね。疲れたけど充実感あるや」
彼女が笑顔で言う。僕もまったく同感だった。
「うん、俺もかなり楽しかった。やっぱり一人じゃ続かない練習でも、みんなで合わせると面白いし……」
そう応じると、彼女は「うんうん」と頷き、マフラーをぐるりと巻き直す。口から白い息が出て、もう冬本番が近いんだなと感じる。
「クリスマスコンサートまであと二週間くらいか……頑張ろうね。今度の月曜からは放課後のメイン練習が増えるらしいよ。大友くんも参加できる?」
「あ、うん……クラスの宿題とかもあるけど、できるだけ来るつもり。せっかくだし、最初で最後かもしれないしね、アンサンブルで参加するの」
「そうだね。私も意地でもやり遂げたいし、大友くんと一緒に演奏できるの嬉しいし」
彼女がさらりと言うその一言に、僕の心臓はまたしても速くなる。こんなに素直に喜んでくれるなんて、どう受け止めればいいのか。それがただの“部活仲間”としての感情なのか、それ以上のものなのか――僕にはまだ判別がつかない。
「……じゃあ、頑張ろう。もっと練習して、上手く合わせられるようになりたい」
結局、ありきたりな返事をするしかないが、彼女は嬉しそうに微笑んで「うん!」と返す。
校門を出て、それぞれ帰路に就く。夕焼けが赤く染まった空に、冬の冷たい風が吹き、頬が痛くなる。だけど、胸の奥はなぜか温かかった。




