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第21話 期末テストと、交差する思い

 十一月下旬。教室の空気はしんと重い。


 期末テストが近づくと、学校全体が一気に“勉強モード”に切り替わる。廊下では赤点を恐れる声や、「そろそろ本腰入れなきゃヤバい」という叫びがあちこちから聞こえる。僕・大友遼も例外ではなく、静かに焦りを感じていた。


 転校してきてから二、三ヶ月。成績はまだ未知数だし、両親や叔父叔母にも迷惑はかけたくない。だからこそ「定期テストはきちんと取っておきたい」と思うが、部活動やクラス行事が落ち着いた反動もあり、どうにも勉強に集中しづらい。


 「はあ……全然頭が入らない……」


 昼休み、教室で英語のワークを広げてみるが、文化祭の余韻と日々の慌ただしさの名残で、心が浮ついているのを自覚する。


 芦沢が隣から覗き込み、「お前、英語はそこそこ行けるんじゃなかったっけ?」と軽口を叩く。確かに、以前の学校で英語は嫌いではなかったが、油断はできない。


 「いや、単語量が足りないし、ここんとこの文法が苦手で……」


 「あー、そうか。俺もヤバい。数学と物理が死んでるし」


 どこも似たような悩みを抱えているようだ。今はサッカー部も吹奏楽部も、テスト休みで活動が中止されている。放課後は自習する時間が取れるはずなのに、なぜか思うように捗らない。


 そんな中、岸本さんは静かにノートを開いている。彼女の雰囲気からして、「勉強はしっかりやるタイプ」なのだろう。吹奏楽部を頑張りながら成績も維持している姿を見ると、純粋にすごいと思う。


 テスト一週間前になると、部活動は原則停止期間になる。放課後の校内はどこか静かで、グラウンドや体育館も閑散としている。生徒たちの多くは図書室や自習室にこもって勉強するか、まっすぐ家に帰って参考書と格闘している。


 僕も例にもれず、今日は図書室に足を運んだ。すると、入口付近の机に岸本さんが座っているのを見つける。彼女はペンを握りしめたまま、ノートとにらめっこしている様子だ。


 「あ……大友くん」


 気づいた彼女が小さく手を振る。僕は軽く会釈を返して、どうしようか一瞬迷ったが、彼女の隣の席が空いていたので遠慮がちに腰を下ろす。


 「勉強、捗ってる?」


 「うん……まあまあかな。物理が苦手だけど、それ以外はなんとか……」


 その言葉に、僕は「え、物理?」と少し意外に思う。彼女は文系教科が得意なイメージがあったけれど、理系もそこそここなしているのだろう。


 「良かったら、一緒に問題見ない? 俺もそこまで得意じゃないけど、二人で考えれば多少は進むかもしれない」


 提案してみると、彼女は少し驚いた表情をするが、やがて微笑んで「うん、助かる」と頷く。そうして、僕らは問題集を開き、公式を確認し合いながら静かに問題を解き進めていく。


 図書室には他にも同じように勉強している生徒がいて、物音を立てるのも気が引けるので、声はひそめる。けれど、問題を一つ解けるたびに視線を交わして、小さく笑い合う。そんなささやかな時間が、僕にとっては心地よかった。


 気づけば日が傾き、窓の外が夕焼け色に染まっている。時計を見ると、もう閉館時間が近い。


 「わあ、意外と進んだね……ありがとう、大友くん」


 「いや、俺も助かったよ。自分だけじゃ詰まってたかも」


 ノートを片付けながら、岸本さんは「こういうの、またやろうね」と囁く。僕も「うん、ぜひ」と答える。文化祭後、部活も行事も落ち着いたせいか、以前よりもこうした“何気ない放課後の時間”が増えている気がする。


 翌日、昼休みに教室で弁当を食べていると、岸本さんが少し気まずそうに話しかけてきた。


 「ねえ、昨日ね、久しぶりに父とゆっくり話したんだ」


 「おお……そっか、良かったじゃん」


 僕が嬉しそうに言うと、彼女は「うーん」と微妙な顔をする。


 「まともに話したって言っても、私が『そろそろ受験も考えなきゃだし、吹奏楽の練習も減らして家のことを手伝う時間増やすかも』みたいに言ったら、逆に父が『そんな無理しなくていいんだ、吹奏楽好きなんだろ?』って……」


 「あれ、それは悪い話じゃないような?」


「そうなんだけど、父は『お前がやりたいなら精一杯やれ』って言うくせに、実際は家のことを気にかけてほしい部分もあるっぽいんだよね。でも、私がそこに踏み込むと『大丈夫だ』って突き放すというか……」


 そう言って肩をすくめる彼女。どうやら、お互いを思いやっているつもりがうまく噛み合わないのだろう。どちらも相手に負担をかけたくないという気持ちが、結果的にギクシャクさせているのかもしれない。


 「難しいね……お父さんも本音がどこにあるのか、自分でわかってないのかな」


 僕がそう推測すると、彼女は「それかも」と苦笑する。


 「でも、話せただけマシかな。前よりはお互いの気持ちを少しずつ出せるようになった気がする。これも大友くんに背中押してもらったおかげだよ」


 照れくさそうに笑う彼女に、僕は「そんなことないよ」と否定しつつも、内心では嬉しい。少しでも彼女の助けになれているなら、それは僕にとっても大きな意味を持つ。


 やがて十二月に入り、寒さが一段と増してきた。校庭の木々は葉を落とし、廊下を吹き抜ける風も冷たい。期末テストを終えて成績が返却されると、クラスの話題は「冬休みまであと少し」という方向へ移っていく。


 吹奏楽部では、クリスマスシーズンに合わせて、小規模なコンサートを開く計画が立てられていた。いわゆる「クリスマスコンサート」と称して、校内だけでなく、地域の老人ホームや子ども施設で演奏を行うアンサンブル企画だという。


 部長が朝のホームルーム後にわざわざクラスを訪ねてきて、「大友、参加する? 初心者向けの簡単なパーカッションパートもあるよ」と声をかけてくれた。


「あ、でも俺、クラリネットの練習をちゃんとやりたいし、パーカッションばかりやってるとダメじゃないですか?」


 そう答えると、部長は「別に両立すればいいんだよ。アンサンブルだから、曲によってはクラリネットも吹いてみれば? せっかくだし」と笑う。


 (え、クラリネットも……まだそんなに吹けないのに……)


 不安はあるが、部長の誘いは本気だ。吹奏楽部員として、少しずつ成長のチャンスを与えてくれようとしているのだろう。


 「えーと、じゃあ……やってみたいです。できるかどうかわかりませんけど」


「おっ、いい返事! じゃあ岸本たちと一緒に練習する曲もあるから、放課後に顔出してな」


 そう言われて、僕は「はい」と返事をする。クリスマスコンサート……なんだかイベント続きで休む暇がないようにも思うが、同時にわくわくしている自分もいる。


 そんな中、岸本さんから前に聞かされていた「お礼」について、未だ具体的な話は出てこない。彼女もテストや部活や家庭のあれこれで忙しいのだろう。僕としては、「別に気にしないでいいよ」と思う反面、少しだけ期待してしまう自分がいる。


 ある放課後、楽器を持って音楽室へ向かう途中、廊下で彼女とすれ違う。


 「やっほ、またクラリネットの練習?」


 「うん、部長がクリスマスコンサートで吹いてみろって……」


 「おお、すごい! 頑張ろうね、私も出るからさ」


 小さくガッツポーズする彼女が愛らしい。僕は思わず緊張してしまい、ぎこちなく笑う。


 ふと気になって、「そういえばさ、『お礼』って言ってたけど……無理しなくていいからね」と声をかける。彼女は一瞬「あっ」と気づいたように目を丸くした。


 「……そうだね、ちゃんと考えてるよ。ただ、まだどう形にすればいいか迷ってるっていうか……でも、近いうちに絶対伝えるから待ってて」


 彼女はそう言って、少し頬を染めるように目を伏せた。その表情を見ていると、僕は妙なドキドキを感じる。やはりそれなりに特別なことを考えてくれているのだろうか。


 「う、うん……待ってる」


 そう言うしかない僕に、彼女は小さく微笑んだ。


 十二月の冷たい風が廊下を通り抜ける。どこかでクリスマスソングを口ずさんでいる女子生徒の声が聞こえ、校内がほんのりとクリスマスムードを帯び始めている。


 (本当に、いろんなことが少しずつ変わっていくんだな……)


 部活仲間、クラスメイト、岸本さんとの関係――すべてがゆっくりではあるが、確かに動いている。次の大きな行事が終わったら、僕はどんなふうに変わっているのだろうか。胸の中で期待と不安が入り混じるまま、僕はクラリネットを背負って音楽室の扉を開ける。

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