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第20話 少しずつ変わりゆく日常

 翌日、僕は朝から落ち着かない気分で過ごしていた。岸本さんが「相談したいことがある」と言っていたからだ。


 ホームルームで彼女の姿を確認すると、彼女はいつも通りに周りのクラスメイトと軽く会話をしている。僕と目が合うと、小さく微笑んで手を振った。それだけでも一日の始まりが違う気がする。


 授業が終わり、放課後。吹奏楽部の練習時間が終わったあと、LINEで岸本さんから「グラウンド裏のベンチで待ってるね」とメッセージが来た。すぐに僕も「わかった、そっち行く」と返して部室を出る。


 (グラウンド裏のベンチ……割と人目が少ない場所だよな)


 胸が高鳴る。彼女がわざわざ人の少ない場所を指定するのは、それなりに込み入った話があるのだろうか。


 外へ出ると、日は少し傾きかけているが、まだ真っ暗にはなっていない。秋の風が涼しく頬を撫でる中、グラウンド脇の雑木林寄りにある木製ベンチへ足を運ぶ。そこには岸本さんが既に腰かけていて、カバンを膝に乗せながら足をくるくる回していた。


 「あ……ごめん、待った?」


 「ううん、今来たばかり……って言ってみたいけど、ちょっとだけ待ってた」


 冗談めかした口調で笑う彼女。僕は「ごめん、部活が少し長引いて」と頭を下げる。


 「いいのいいの。忙しいのはお互いさまだし……」


 そう言って彼女は、そっと息を吐いた。


 ベンチに並んで座る僕らの周囲は、軽く風が吹いて木の葉がかさかさと音を立てている。グラウンドではサッカー部が練習中で、遠くから芦沢らしき声も聞こえてくる。


 しばし無言が続いたあと、岸本さんが視線を下げたまま口を開く。


 「実はね……父のこと。やっぱりあれ以来、あんまり話せてなくて、家に帰ってもすれ違いばかりで……。どうしたらいいのかって思って……」


 文化祭に来られなかった父親。そして忙しさのあまり家庭内のコミュニケーションが疎遠になっている現状――彼女が悩みを抱えているのはわかっていたが、具体的にどう行動すればいいかまではわからない。


 「そっか……。でも、一度ゆっくり話し合えたらいいのにね。休みの日とか、無理なのかな?」


 僕が尋ねると、彼女は首を横に振る。


「うちはお母さんがいないから、家のこともすべて父と私でやらなきゃいけないの。私は部活があるし、父は仕事が忙しいし……タイミングが合わないときは本当にすれ違いになる。でも、だからって私が部活を辞めるわけにもいかないし……」


 言いながら、彼女の声が少し震える。僕は返す言葉を探すが、すぐには見つからない。彼女が好きで続けている吹奏楽を辞める必要なんてないし、ただでさえ苦労している父親を責めるわけにもいかない。


 「……父は私が吹奏楽やってること自体、否定はしないんだ。むしろ応援してくれてる部分はある。でも『もう少し家のことも見てくれ』みたいなことを言われると、私もどう返せばいいか悩んじゃって……」


 そう絞り出す彼女は、瞳に涙を滲ませているようにも見える。文化祭であれだけ華やかな姿を見せていた彼女が、いまここで弱音を吐いている。僕が受け止めないわけにはいかない、と思いながらも、何が言えるだろう。


 「……俺が何かできること、あるかな」


 気づけばそんな言葉が口から漏れていた。彼女は一瞬驚いた顔をして、続いて苦笑する。


 「大友くん、ほんとに優しいね。でも、私の家の問題だし、あんまり巻き込みたくないんだよね。…でも、話を聞いてくれるだけで少し楽になるから、そこは助かってる」


 「そう……ならよかった。ごめん、力になれてないかもしれないけど……」


 「ううん、そんなことない。大友くんがいてくれるだけで、私、救われてる部分あるし。……もし、本当にきつくなったら相談させてもらってもいい?」


 僕は強く頷く。彼女が何を求めているのか、具体的にはわからないが、とにかく話を聞くことくらいはできる。気晴らしに付き合うこともできる。そういう存在でありたいと思う。


 彼女は小さく笑い、「ありがとう。ちょっと気が楽になったかも」と呟くと、カバンをぎゅっと抱え込むようにして立ち上がった。


 「それと……前に言ってた“お礼”のこと、まだ考えてるからね。もう少し待ってて」


 「え、あ……うん。ほんとに何でもいいよ。気にしないで」


 彼女は「ふふ」と笑い、少しだけ頬を赤らめているように見える。


 「気にするよ。今までいっぱい助けてもらったんだもん。私なりに“ありがとう”を伝えたいから、覚悟しててね?」


 そう言い残して、彼女は早足でグラウンド脇を通り、校舎のほうへ向かっていった。風が吹き、落ち葉がベンチの周りをくるくると舞う。僕はその後ろ姿を見つめながら、胸の中がどこか温かくなるのを感じる。


 それからしばらくして、学校は期末テスト期間に突入した。部活動も一時停止になり、クラスのみんなは勉強モードに切り替わっていく。僕も内申点を落としたくないし、転校生だからこそ頑張らなきゃという思いがある。


 岸本さんも吹奏楽部の活動が少なくなるこの時期を使って、家庭との両立を少しは考え直すのだろう。けれど詳しいことはわからない。彼女から特に進展を聞いていないが、あれ以来、落ち込んだ様子はあまり見せていない。


 忙しくても、毎日のように少しだけ言葉を交わす。廊下で「テスト勉強進んでる?」とか、休み時間に「今日の数学やばくない?」などの軽い会話。それだけでも僕には十分だった。


 テスト期間が終われば、次は冬休みまであっという間だ。冬になればクリスマスやお正月、吹奏楽部のクリスマスコンサートなど、また行事が目白押しになる。


 試験期間中の昼休み。僕は教室で英単語帳をめくりながら、ふと考えていた。


 (この学校に来て、変われたのかな、俺……)


 もともと人付き合いが苦手で、ネガティブ思考ばかりだった。しかし、クラスの行事や吹奏楽部を通じて、僕は少しずつ他人と関わる楽しさを知り、誰かを支える嬉しさを学んだ気がする。


 岸本さんへの感情は、いつしか“憧れ”から“好き”に近いものに変わっているのが自分でもわかる。けれど、それをどう扱えばいいのかはまだわからない。彼女も僕に対して良い感情を抱いてくれているようだが、それが友達としての好意なのか、それ以上なのか――判断はつかない。


 (焦らなくてもいい、と思う反面、いつかははっきりさせたい気持ちもある……)


 自問自答していると、芦沢が「おーい、大友、昼飯食いに行こうぜ。購買部、混んでる前に行かないと」と声をかけてくる。僕は単語帳を閉じて「悪い、ちょっと待って」と返事をし、立ち上がる。


 すると、後ろの席でノートを閉じていた岸本さんが「私も行く!」と笑顔を見せる。


 芦沢は「じゃあ3人で行こうぜ」と誘い、僕らは連れ立って廊下へ出る。ほんのささいなことだが、この“3人で一緒に行く”という日常が、以前はなかったものだ。これこそ僕が手に入れた小さな幸せの形なのかもしれない。

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