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第2話 休みの日々と、小さな散策

 転校手続きを済ませたあとは、夏休みが終わるまでの数日間、特にやることもなくなってしまった。僕は叔父さんの家で引き続き荷ほどきをしながら、一日を持て余している。


 学校に行くわけでもなく、友達と遊ぶ予定もない。慣れない土地を一人でぶらぶら歩くのは気が引ける……と思いながらも、少しは地域の様子を知っておく必要があると感じていた。


 「……よし、行ってみよう」


 午前中の涼しいうちに、僕は恐る恐る外に出る。大して広くもない玄関先で、叔母さんが出かける僕を見て「気をつけて」と言う。


 僕は軽く頷いて、砂利が敷かれた道を歩き始めた。真夏の太陽がじりじりと肌を焼いてくるが、時折吹く風は不思議と爽やかだ。空気が澄んでいるのかもしれない。


 最初に目に入るのは、隣家の小さな庭や生垣、それから昭和の香りがする木造の家々。この一帯は昔ながらの住宅街らしい。車通りは少なくて、たまに自転車に乗った高校生くらいの子が通り過ぎるだけ。僕と同い年くらいだろうか、でも声をかけられるはずもなく、すれ違いざまに視線をそらしてしまう。


 少し歩くと細い路地に出た。商店街へ続く道らしい。どこからか焼き菓子の甘い匂いが漂ってきて、僕はその匂いに誘われるように路地を進む。すると、見えてきたのは小さなパン屋だった。


 「……こんなところにパン屋があるんだ」


 ガラス越しに見える陳列棚には、いろんな種類のパンが並んでいる。クリームパン、メロンパン、総菜パンにサンドイッチ……カラフルなPOPが手書きで貼ってあって、どこかアットホームな雰囲気だ。


 店先には「朝7時から夕方6時まで営業」と書かれた看板。時間的には開いている。けれど、僕は店に入る勇気がなく、結局通り過ぎてしまった。


 「また今度……」


 心の中で言い訳のように呟く。これが僕の悪い癖で、気になる店や場所があっても、人と話すのが億劫で後回しにしてしまう。


 商店街に近づくにつれて、少しずつ店が増えてきた。八百屋、駄菓子屋、古本屋。それから雑貨屋や薬局もある。どれもこじんまりとしていて、のんびりした空気が漂っている。


 道の真ん中を歩いていると、トラックがゆっくりとクラクションを鳴らしてきたので、慌てて端に寄る。ちょっとぼーっとしていた自分を恥ずかしく思う。


 「ここが……町の商店街か」


 のどかだ。人通りはそこそこあるが、都会のような喧騒とは無縁だ。一日をここで潰すのは難しそうだけど、何か必要なものがあればこの商店街で調達できるかもしれない。


 僕はなんとなく八百屋の店先に立ち止まる。店主らしきおばさんがいきいきと野菜を並べている。目が合うと、にこやかに「いらっしゃい」と声をかけられた。


 「え、あ……ど、どうも……」


 僕はとっさに頭を下げてしまう。特に買うものもないのに、ただ挨拶を返すだけ。そのまま逃げるようにその場を離れ、通りの先へ歩き始める。


 (なんでこう、普通に振る舞えないんだろう……)


 自分の不器用さが嫌になる。ちょっとした買い物すら、抵抗感がある。こんなんじゃ、学校でクラスメイトとまともに話せる日が来るのか――不安が頭をよぎる。


 さらに進むと、二階建ての建物がいくつか並ぶエリアに出た。看板を見ると、「〇〇医院」とか「□□理容室」などと書かれている。町の機能が一通りこの辺りに集まっているのだろう。


 何気なく建物の上方を見上げたとき、「あっ」と声が漏れた。そこにあるのは「○○高校購買部」の文字。どうやらここは僕がこれから通う高校の購買部が、本校舎とは別の場所で店舗を構えているらしい。よく分からないけど、そんなこともあるんだな、と妙に感心してしまう。


 店先には制服やジャージ、体育用品などが展示されていた。先日採寸で頼んだ制服は、たぶんここで受け取れるんだろう。早めに訪問しておいたほうがいいのかもしれない。


 ただ、今日のところは下見だけにしておきたかった。初対面の店員さんと話すのは疲れるし、何より今はまだ心の準備ができていない。


 「後日、必要になったら来よう……」


 そう呟いて、購買部の前を通り過ぎる。ふと、横道を覗くと、そこには整備された遊歩道のような小さな川沿いの道が続いていた。人通りが少なそうだったので、僕は自然とそちらに足を向ける。


 川の岸辺には菜の花のような黄色い花が咲いている(季節外れに見えるが、もしかしたら遅咲きの種類なのかもしれない)。ところどころにベンチが置いてあって、散歩や休憩にちょうど良さそうだ。


 少し歩くと、川面がきらきらと光っているのが見え、僕は立ち止まって眺める。涼しい風が吹いてきて、足元の草がさわさわと揺れる。どこか懐かしいような、落ち着くような感覚があった。


 「悪くない風景、だな……」


 都会のビル群やアパート密集地とは違う、ゆったりした空気がここには流れている。僕は肩の力が少しだけ抜けるのを感じた。


 しばらくそうして川沿いを歩いていると、向こうから犬の散歩をしている老夫婦がやってきた。僕に気づくと、微笑みながら会釈してくる。僕は慌ててぺこりと頭を下げる。


 「こんにちは、お散歩?」


 おばあさんが話しかけてくる。犬はさっきのチョコに比べてかなり大きい、雑種だろうか、人懐っこく尻尾を振っている。


 「えっと、はい……まぁ、散策というか、まだこっちに来たばっかりで……」


 「そうなの。引っ越してきたのね。それはよくいらっしゃいました。この辺りはのんびりしてるでしょ? 空気もきれいだしね」


 「は、はい……そうですね」


 上手く言葉が繋がらない。だけど、おばあさんが柔らかな笑顔でいてくれるおかげで、少しだけ安心する。


 「犬、触ってみる?」


 そう勧められ、僕はおずおずと手を伸ばす。犬は人見知りしない性格のようで、ペロッと僕の手の甲を舐めてきた。その温かい舌の感触に思わずくすぐったくなり、こっそり笑みがこぼれる。


 「いい子だね……」


 僕がそう言うと、おじいさんが「こいつは歳はとってるがまだまだ元気なんだ」と笑う。


 犬は鼻を鳴らしながら、僕の匂いを再確認しているみたいだ。知らない人間にもまったく警戒しない性格なんだろう。この町の人々の気質も、もしかしたら似たようなものなのかもしれない。警戒するより、まずは受け入れる。そんな空気を感じる。


 老夫婦と別れてから、僕はさらに川沿いを歩き続けた。どれくらい歩いただろうか、やがて小さな橋が見えてきて、その向こうに見覚えのある道があることに気づく。


 「あれ……この道、今朝車で通ったような……」


 どうやら、叔父さんの家へ戻る道につながっているらしい。自分が住む家が、こうして川沿いの遊歩道とも繋がっていることを知り、なんだか不思議な感慨を覚える。


 家の場所や町の様子も少しずつ分かってきた。あとは、ここでの日々が始まるのを待つだけ。……いや、待っているだけじゃいけない、僕から一歩踏み出さなきゃ。頭では分かっているのに、実行する勇気はまだ湧いてこない。


 「今日はこれぐらいにしておこう……」


 自分に言い訳するように呟き、僕は家路を辿った。


 家に戻ると、叔母さんが玄関で待ち構えていた。


 「どこに行ってたの? お昼ご飯、今からだけど大丈夫?」


 「あ……うん、ちょっと散歩してただけ」


 「そっか。お腹減ってない? 冷たいそうめんでも作ろうと思ってるけど」


 「ああ……ありがとう。食べる」


 僕は靴を脱ぎながらペコリと頭を下げる。叔母さんは「はいはい」と笑って台所に向かった。何気ない会話なのに、どこか居心地の良さを感じてしまう。実の親よりもコミュニケーションがとりやすい気がするのは、叔母さんが人当たりの良い性格だからだろう。


 リビングに入ると、テレビでバラエティ番組が流れている。ソファに腰を下ろして少しだけ観るともなく観ていると、外から蝉の声が聞こえる。


 (夏はまだ続いてるんだよな……)


 僕は置きっぱなしのスマートフォンを手にとって、SNSを開いてみる。前にいた街の友達――といっても深い仲じゃないけど――が楽しそうに花火大会の写真を上げていたりして、それを見て軽い寂しさがこみ上げてくる。僕はその投稿に“いいね”を押す気にもなれず、すぐにアプリを閉じた。


 やがてテーブルにそうめんが運ばれ、冷えたガラスの器に氷水と麺つゆが用意される。叔母さんが薬味に小口切りのネギやミョウガ、ショウガを準備してくれて、一気に涼しげな昼食の完成だ。


 「はい、召し上がれ。足りなかったら遠慮せず言ってね」


 「うん、ありがと……」


 箸を取り、そうめんを一口すすり込む。つるりとした食感と、しょっぱさ控えめの出汁が口に広がる。こうした素朴な味が、今の僕の心をほんの少しだけ癒やしてくれる。


 「お散歩はどうだった? この町にちょっと慣れた?」


 叔母さんが優しい声で問いかけてくる。僕はそうめんを飲み込みながら、ゆっくり答える。


 「……うん、商店街とか、川沿いとか歩いた。悪くないっていうか……思ったより静かなところだね」


 「ああ、そうよ。何もないけど、その分、暮らしやすいって人も多いの。慣れてくればきっといろいろ発見もあるわよ」


 叔母さんの朗らかな笑顔を見ていると、「もしかしたら、この町での生活も悪くないのかもしれない」という思いがふっと頭をよぎる。


 「そっか……そっかもしれないね」


 ぼそっと呟くように返事する僕に、叔母さんは「うんうん」と頷いてくれた。そうめんの涼しさが、僕の心を少しずつ和らげていくみたいだ。


 午後は再び部屋にこもって、段ボールの中身を整理する。前の学校の教科書やノート、プリント類がぐちゃぐちゃに詰め込まれていて、見た瞬間に暗い気持ちになる。あの学校での嫌な思い出が一気に蘇る。


 (……これ、どうしようか)


 正直、内容が変わる教科書もあるだろうし、要らないものは処分したいところだ。しかし、「もし新しい学校で同じ範囲をやるかもしれない」と思うと、なんとなく捨てきれない。結局、一部を残して、他はまとめて押し入れに突っ込んでおくことにする。


 そういえば、新しい学校の教科書はどうなるんだろう。転校の際に教科書も購入したし、使わないものもあるだろうけど、前の学校より進度が速いのか遅いのか。それも分からないままだ。


 「きっと、ついていけなかったらどうしよう……」


 ネガティブな不安がもやもやと頭を覆う。でも、考えていても仕方がない。やれることをやるしかないのだ。


 そう自分に言い聞かせ、教科書類をとりあえず部屋の隅に積み上げる。すると、段ボールの底から古いアルバムが出てきた。小学校の頃の写真や、家族旅行の写真などが詰め込まれている。


 ペラペラとめくっていると、懐かしい風景が目に入った。まだ幼かった僕が、家族で海に行ったときの写真だ。母さんも父さんも楽しそうで、僕も同じように無邪気に笑っている。


 (あの頃は、引っ越しなんて何も怖くなかった。むしろ新しい場所にわくわくしてたのにな……)


 いつの間にか、人と接するのを怖がる自分になってしまった。それは、繰り返しの転校のせいなのか、それとも僕自身の性格の問題なのか、今となってははっきりしない。


 閉じかけたアルバムの最後のページに、一枚の写真が貼ってあった。中学二年のときのクラス写真。人数が多くて、僕は端っこのほうでぎこちない顔をして写っている。周りのクラスメイトたちは笑顔だったり、ふざけたり。そんな中で、僕だけ居場所がないように見える。


 (……ああ、嫌な思い出だ)


 それ以上見ていられず、アルバムを閉じてそっと段ボールに戻す。これだけは、しばらく封印しておこう。


 ふと窓の外を見ると、青空が広がっていた。入道雲がもくもくと大きくなっていて、いかにも夏らしい景色。セミの声がより一層大きく聞こえてくる。


 「もう夕方か……」


 時計を見ると、まだ三時半だが、午後の日差しは傾き始めている。やるべきことも大方終わったし、少し休もう。そう思って、床にゴロンと横になる。畳がほんのり温まっていて心地いい。


 この静かな家で過ごしていると、さっき散歩していたときの川の風景が思い出される。あの犬の穏やかな表情、老夫婦の優しい声。ちょっとだけだけど、心が和んだ気がする。


 (ああいう小さな出来事を、もっと増やしていけたら……少しは自分を変えられるのかもな)


 そんなことをぼんやり考えながら、僕は半分眠りかけている。外からは風鈴の音がちりん、と鳴り、もう一度セミの声が耳を掠めた。意識がゆっくりと遠のいていく中で、僕は「明日はもう少しだけ頑張ってみよう」と自分に言い聞かせた。

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