第15話 文化祭の幕開け
文化祭まで二週間を切った頃、学校は昼休みも放課後も慌ただしさを増していた。
クラスの演劇は、台本の台詞や動きがかなり仕上がってきたらしく、体育館ステージや視聴覚室でリハーサルを行う段階に入っている。僕を含む裏方チームは大道具や小道具の最終調整に加え、照明のスイッチや音響のタイミングをテストする役割を担うことに。
一方、吹奏楽部でも文化祭のステージ発表に向けて、合奏の仕上げが進んでいる。僕は初心者ゆえに舞台に立つことは難しいが、裏方要員としてステージセッティングを手伝い、舞台袖で簡単なパーカッション(タンバリンや小太鼓)の補助くらいならできないか、と先輩が提案してくれた。
「楽器演奏は来年か再来年でも大丈夫だよ。でも、せっかく入部したんだから、出られる出番があれば出てみようよ」
そう言ってくれた先輩たちの優しさに、僕は感謝しつつもプレッシャーも感じる。演劇の裏方と吹奏楽部のステージ袖。どちらも本番当日に行き来しなければならない可能性もあり、相当慌ただしくなるだろう。
(うまくやりこなせるのか……)
内心は不安だが、これが高校生活なのだろう。何もしなかった以前の自分と比べれば、ずっと充実していると自分に言い聞かせる。
この頃になると、家に帰る時間も自然と遅くなる。裏方作業や吹奏楽部の練習が重なる日は、どうしても夜遅くまで学校に残るので、帰宅して夕食をとるのは8時や9時近くというのがざらになってきた。
叔母さんは「大丈夫? ちゃんと寝てる?」と心配顔。叔父さんも「まあ無理すんなよ。風邪ひいたら意味ないからな」と声をかけてくれる。
僕は「うん、なんとか……」と曖昧に返事しつつも、疲れは確実に溜まっていた。
とはいえ、そこで投げ出したくない気持ちがある。中途半端に「やっぱり無理」と言ったら、クラスにも吹奏楽部にも迷惑がかかる。自分で決めたことだからこそ、最後までやりたいという意地があるのだ。
深夜、布団に倒れ込むとき、頭の中には明日の段取りがぐるぐると浮かんでくる。どの時間帯に演劇の練習があって、どの時間帯に吹奏楽部が合奏をするのか、そして本番当日はどう動けばいいか……。忙しさに追われながらも、不思議と精神的には充実しているのが救いだった。
そんなある日、放課後に演劇のリハーサルがあるので体育館ステージに集合すると、クラスメイトたちが舞台上で練習を始めていた。奥のほうでは大道具の背景パネルが立てられており、その仕上がりを確認しようと僕は裏に回る。
そこには岸本さんがソファに座り、台本を見ながらぶつぶつ台詞を呟いている。ヒロイン役を任されている彼女は、出番が多いため台詞の量も半端じゃないはずだ。
「お疲れ……大丈夫?」
軽く声をかけると、彼女ははっと顔を上げて「あ、大友くん」と微笑んだ。だが、その笑顔にどこか疲れが見える。
「台詞はほぼ覚えたんだけど、細かい演技指導が難しくて……あと、うちの父のこともあって気分が落ち着かないし……」
そこで家庭の話題が出てきて、僕はどう反応すべきか迷う。以前も彼女が悩んでいる姿を見て、励ますしかできなかった。
「そっか……やっぱり大変なんだ。お父さん、少しは良くなった?」
「うん、仕事が忙しいのは変わらないけど、ちょっと前よりはマシかな。私が吹奏楽と演劇でこんなに遅くまで残ってるの、ほんとは心配してるみたい。でも、私もやりたいことだから……」
そう言って目を伏せる彼女。
「それは、お父さんもわかってくれると思うよ。だって岸本さんが頑張ってるの、絶対嬉しいはずだし……」
気休めかもしれないが、そう言わずにはいられない。彼女は小さく頷き、「ありがとう」とだけ呟いた。
リハーサルが始まるアナウンスが入り、彼女は慌てて舞台へ向かう。僕も裏手でスタンバイし、照明や音響のタイミングを確認する。彼女の後ろ姿を見つめながら、胸に強く熱いものがこみ上げる。
(もう少し、力になれないのかな……でも、どうやって?)
悶々と考えながらも、リハが始まれば集中するしかない。森のシーンから街のシーンへ切り替えるタイミングで大道具を素早く移動させ、舞台袖でスタンバイしている役者を確認する。忙しさに追われるうち、彼女の表情をゆっくり見る暇もなくなっていく。
一方、吹奏楽部でも小さな進歩があった。僕が地道に練習していたクラリネットの基礎が少しずつ形になり、簡単なフレーズなら音をつなげられるようになってきたのだ。
もちろん、演奏会に出るには程遠いが、部長や先輩たちは「来年には充分ステージに立てるよ」と言ってくれる。岸本さんも「前よりいい音が出るようになったよね」と笑顔を見せてくれた。
また、ステージ袖でサブパーカッションを任せてもらう話も進んでいて、当日の進行表を見ながら僕が何小節目でタンバリンを叩くのか、どこでシンバルを鳴らすのかを必死に覚えている最中だ。
(演劇と吹奏楽のステージが時間的に被らないように調整してもらえたし、なんとか両方に立てそう……)
そんなギリギリのスケジュールを組んでくれたのは、クラス委員と吹奏楽部の部長のやさしさだ。僕はこの環境に感謝しながらも、間違えたらどうしようという不安に苛まれている。
(大縄や100m走のときも緊張したけど、今回はその比じゃない……)
ついに文化祭前日の予行演習がやってきた。クラス演劇は昼前にステージリハを行い、吹奏楽部は午後から舞台で合わせの練習をするという流れ。僕はその合間を縫って移動しながら、頭の中でシミュレーションしていた。
午前のクラス演劇リハでは、裏方として舞台袖で道具を搬入出する。役者たちの動きに合わせて、僕らのチームが背景パネルを素早く入れ替える。岸本さんもヒロイン役として真剣な表情で台詞をこなし、感情をこめた演技を披露している。
(すごい、ほんとに女優みたいだ……)
いつもの朗らかな彼女とは違い、役に入り込んだ迫力がある。僕はその姿に見惚れそうになったが、仕事があるので気を抜けない。
無事にリハが終わると、次は急いで吹奏楽部のほうへ。部長が「大友、そろそろ集合だぞ」と呼んでいる。楽譜の確認とサブパーカッションの位置をもう一度おさらいし、舞台上で実際に合わせてみる。タンバリンを叩くタイミングは間違えないよう必死に数を数えて……。
「パッ……パッパッ……(カウント)……今だ!」
シンバルを鳴らしたところ、先輩から「ナイス!」と合図が返ってきて、少し安堵する。周囲は華やかな金管や木管のハーモニーが響き、曲が終われば拍手と笑いが起こる。この部も本番に向けて盛り上がっているのだ。
夜になり、予行がすべて終わって校舎から出ると、疲労で足元がふらつく。だけど、心はどこか高揚している。明日が本番――という緊張とワクワクが入り混じる不思議な感覚。
帰りのバス停で、岸本さんとばったり会うことはなかった。彼女はクラスの打ち合わせがまだ残っているらしい。ちょっとだけ心細くなりながらも、今はお互い忙しいから仕方ない。
(明日、ステージから彼女の演技や演奏を観られるかもしれない。吹奏楽部のほうは俺も袖で手伝うけど、彼女が真ん中でソロを吹く場面があるわけじゃないし……)
頭の中であれこれ思い描くが、どこか物足りない気分を抱えたまま家路につく。彼女への想いは高まるばかりなのに、文化祭が終わったらどうなるんだろうという漠然とした不安もある。部活やクラス行事が落ち着いたら、また別の日常が訪れるのかもしれない。
(でも、今はとにかく明日に集中しよう……)
バスの座席に沈み込みながら、そう自分を戒める。明日はクラス演劇も吹奏楽部も大一番。失敗は許されない。本当に忙しくて、彼女と話す機会すらあまりないかもしれない。けれど、その中で僕がどんな一日を過ごすのか――それが、今の自分を変えるための重要な鍵になるはずだ。




