第14話 演劇準備の波紋
文化祭まで、あとおよそ一ヶ月。クラス企画として行う短い演劇の準備がいよいよ本格化してきた。
昼休みや放課後、二年B組の連絡ボードには「今日は演劇の台本読み合わせ」「大道具づくり」「配役の練習」などのスケジュールがぎっしりと貼りだされている。中心メンバーとなるクラス委員や脚本担当の数人が、皆を手分けして動かそうとしているのだ。
僕は裏方スタッフとして挙手しているので、教室後ろの黒板には「大道具:大友・松田・小野」「小道具:〇〇・△△……」などと名前が記載されている。具体的には、舞台背景となるパネルを作ったり、小物を作ったり、リハの際にはそれらを出し入れしたりする役目だ。
「よし、じゃあ最初の作業日は明日放課後に集まろう。美術室でパネルを組み立てるから、時間ある人は参加よろしく!」
クラス委員の男子がホームルームでそうアナウンスすると、みんなが「はーい」「了解ー」と返事をする。僕はもちろん参加するつもりだが、同時に吹奏楽部の練習もあるから、うまくやりくりしなければならない。
(部活は週3~4回参加して、演劇裏方も週3回くらい……? これ、けっこうハードじゃないか?)
頭の中で予定を組んでみると、思った以上に詰まっている。勉強もあるし、家の手伝いもあるし、週末にも練習や作業が入る可能性がある。
(でも、やると決めたからには中途半端にしたくないしな……)
覚悟を決める。たぶん今が踏ん張りどきだ。
放課後になって、まずは吹奏楽部へ顔を出す。練習を始める前に部長さんへ相談した。
「あの、クラスの演劇裏方を手伝うことになってて……週に何日かはそっちを優先しないといけないんですけど、大丈夫でしょうか」
部長は三年生の男子で、温和な性格だ。「そりゃあしょうがないね、文化祭はクラス企画も重要だし、無理しない程度に来てくれればOKだよ」と気さくに受け止めてくれた。
「助かります。もちろん、来られる日はちゃんと練習しますので……」
僕が頭を下げると、部長は「初心者は基礎が大事だから、週1回でもうまくならないし、できるだけ週2~3は来てほしいかな」とちらっと釘を刺してくる。
たしかに、基礎練習を続けなければクラリネットを吹きこなせるようにはならない。部費でリードやメンテ道具を使わせてもらっている以上、中途半端な姿勢は失礼だとも思う。
「はい、なるべく週3は来られるように……頑張ります」
こうして、一応“週3で吹奏楽部、週2か3で演劇裏方”というスケジュールが暫定的に決まる。限られた放課後の時間を分割して動くのは正直きついが、モチベーションは高いからなんとか踏ん張れそうだ。
翌日、クラスの演劇裏方チームが美術室に集結した。男子4人、女子3人くらいが机を並べ、段ボールやベニヤ板などの材料を運び込んでいる。脚本担当いわく、「二場面構成で、森の中のシーンと街のシーンを切り替えるから、それぞれ背景を作って立てかける方式にする」らしい。
「ほら、そこのベニヤ板、釘打って補強して」「イラスト担当は、森の木を描いてちょうだい」
リーダー格の女子が指示を出し、皆が手分けして作業を始める。僕は男子チームと一緒にベニヤ板を組み立てて、支えの木枠を固定する役目を任された。
「よいしょ……結構重いな」
「なあ大友、これ釘打ちでいいのかな? ビスのほうが頑丈じゃね?」
「でもビスだと電動ドライバーが要るけど、今ないし……釘でとりあえず固定しとこう」
そんな風に話し合いながらトンカチを手にして、トントン釘を打つ。慣れない作業なので腕がだるくなるが、不思議と嫌じゃない。共同作業にはやっぱり達成感がある。
隣では女子たちが森の背景を絵の具で描いているらしく、微笑ましいおしゃべりが聞こえてくる。「この辺にキノコ描こう」とか「もうちょっと奥行きを感じさせたいな」とか、なんだか楽しそうだ。
(演劇なんて興味なかったけど、こういう裏方作業は面白いかも……)
釘を打ち終わってから、段ボールで作った岩や木のオブジェを持ち上げて、パネルに配置してみる。ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、いつのまにか夢中になっていた。
気がつくと、すでに日は沈みかけていて、午後6時を過ぎていた。
「やべ、吹奏楽部の練習、今日は出るって言ってたのに……」
僕はスマホを見て焦る。集合時間はとっくに過ぎている。部長や先輩には「遅れるかもしれません」とは伝えてあるが、ここまで遅くなるとは思っていなかった。
「ごめん、俺、ちょっと部活行かなきゃ!」
同じ裏方メンバーにそう告げると、「うん、いいよ。ここは任せて」と返事をもらい、僕は急いで美術室を飛び出す。木くずや絵の具の匂いが染みついたまま廊下を駆け、楽器を取りに音楽室へ向かった。
音楽室に入り、ロッカーからケースを取り出して楽器の準備を始めるが、軽く指ならしする時間もない。
部長や先輩を探して移動すると、中庭側の別室でアンサンブルの練習をやっているらしい。
(うわ……こんな時間に合流するなんて、迷惑がられないかな)
不安を抱えながら、そっとドアを開けると、先輩が「おお、来たね」と声をかける。誰も怒ってはいないが、ちょっと申し訳ない空気は感じる。
「ごめんなさい、演劇の準備が思いのほか時間かかって……」
部長は苦笑いしつつ「まあそういうこともあるよ、文化祭前だからな」と言い、僕に軽く基礎練習をするよう促す。
空きスペースでクラリネットを組み立て、リードを湿らせ、息を吹き込む。バタバタ走ってきたせいで呼吸が乱れているのか、音がうまく出ない。
しばらくロングトーンの練習をしていると、岸本さんが隣から「大丈夫? 疲れてない?」と小声で訊ねてくる。
「あ、うん、ちょっと急いで来たから……」
「そっか、演劇のほうも忙しいよね。無理しすぎないようにね」
優しい言葉が染みる。だけど、その“無理しないように”という言葉が、むしろ現状の大変さを浮き彫りにしているようで、胸が苦くなる。
練習が終わるころには、外は完全に真っ暗。校内でもわずかな照明だけが点り、部活を終えた生徒が三々五々帰宅している。
クラリネットを片付け、部室の扉を出ると、岸本さんが待っていてくれた。
「大友くん、今日はこのあとどうする? バス、まだある?」
「うん、ギリギリ終バス前には間に合うと思う……」
言いながらも、僕は溜め息をつく。演劇の裏方作業で遅くなり、吹奏楽部に遅刻し、両方に迷惑をかけている気がしてならない。
「大友くん?」
岸本さんが首をかしげる。表情には心配の色がうかがえる。僕は正直に気持ちを打ち明けた。
「なんか、両方ちゃんとやりたいんだけど、時間が足りないというか……もともと不器用だし、うまく予定組めなくてさ……どっちも中途半端になりそうで怖いんだ」
すると、彼女は申し訳なさそうに言う。
「そうだよね、吹奏楽も初心者だし、今は基礎の積み重ねが必要なのに……演劇のほうも、みんな期待してるから手が抜けないし……」
「うん……」
しばし沈黙が降りる。校舎の廊下は薄暗く、夜の冷たい空気が感じられる。遠くからは運動部が後片付けしているのか、かすかな声がする。
やがて、岸本さんは「でも」と言葉を続けた。
「私は、大友くんなら両方できると思う。だって体育祭のときも、100m走と大縄と応援ダンスをこなしながら、クラスをちゃんとサポートしてくれたじゃない? 前向きに頑張ってたの、知ってるよ」
確かに、体育祭のときも似たような忙しさはあった。でも、あれは短期決戦で、せいぜい一週間やそこらの準備期間。今回は文化祭まで約一ヶ月ある。長丁場だ。
「でも、ありがと……そう言ってもらえて少し気が楽になる」
そう口にする僕を見て、岸本さんは柔らかく微笑む。
「私も吹奏楽とクラス企画の両方に関わってるから、気持ちわかるよ。騎馬戦のときもそうだったけど、結局、やるしかないって思えば意外とできるものだよ。周りに助けを求めればいいんだし」
“周りに助けを求める”――先日、屋上で僕が言った言葉を、彼女が今度は返してくれているようにも感じる。
「そっか……わかった、ありがとう。俺も、できる限り助けを求めてみるよ。苦手だけど」
言葉にすると、ほんの少しだけ胸が軽くなる。誰かに話すことで、自分の中の悩みを整理できたのかもしれない。
そのあと、僕らは並んで校門を出て、途中のバス停で別れる。いつもなら「また明日」と手を振るだけだが、この日は少しだけ会話を続けた。
「文化祭のステージ、私たちの吹奏楽部は複数曲をやるから、大友くんはもし間に合えば一緒に立てるかもしれないし、無理でも裏方で手伝ってほしいな」
「うん、できるだけ頑張るよ。演劇のほうも、背景パネルが完成したら一度観に来てよ。意外といい出来かも」
「楽しみ! ぜったい見に行く!」
そんな何気ない会話が嬉しい。何か少しずつ前へ進めている気がするから。
バスに乗り込むと、車内はもうガラガラで、夜の街をライトが照らしながら進んでいく。僕はヘッドレストに寄りかかり、深いため息をつく。
(大変だけど、楽しい……いや、楽しいだけじゃないか。でもやりがいはある……)
自分でも言い表しにくい気持ちだ。辛いけれど前向き、しんどいけれど充実――そんな相反する感情がないまぜになっている。
一方で、岸本さんへの想いが増しているのを感じ、微かな戸惑いもある。近くにいられるのは嬉しいけど、彼女には家庭の事情があって、僕が踏み込みすぎるのもどうなんだろうという迷い。
(とにかく、今はやることが山積みだし、そっちに集中……)
そう自分に言い聞かせる。バスが停留所に着き、降りるころには夜風が肌寒くなってきていた。秋はすぐそこまで来ているようだ。忙しくなっていく季節、僕の高校生活もさらに慌ただしくなりそうな予感がする。




