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第13話 新しい部活の日々

 翌日。僕は、朝からそわそわしていた。


 昨日、意を決して入部届を出した部活へ、今日から本格的に参加することになる。まだクラスメイトの何人かにしか伝えていないけれど、芦沢や岸本さんがどんな反応をするか考えると落ち着かない。


 昼休み、芦沢が「大友ー、結局どうなった?」と詰め寄ってくる。僕はおずおずと「吹奏楽部に……入ることにした」と打ち明けた。


 「マジかー!」


 あからさまにがっかりした顔をする芦沢。周りの男子も「あー、残念」「サッカー部には来ないのね」と口々に言う。


 「ごめん、運動も楽しかったんだけど……吹奏楽、やってみたくて……」


 振り返れば、自分でも意外な選択だと思う。サッカー部で体を動かす爽快感も捨てがたかったが、やはり岸本さんと同じ部活で、一緒に“音を作る”感覚を味わいたい気持ちが強くなったのだ。


 「まあ、しゃーない! 大友が決めたなら仕方ねえや。吹奏楽部でも頑張れよ。いつでも俺たちとサッカーできるしな!」


 芦沢はそう言って、未練がましい素振りを見せながらも最後は笑ってくれた。やはり彼はいいヤツだと思う。


 放課後になり、僕は吹奏楽部の部室へ向かう。扉を開けると、楽器の音が徐々に聞こえ始める。先輩たちや同級生がチューニングをしている中、岸本さんの姿を探す。


 「あ、大友くん。……あれ、もしかして入部届?」


 彼女はクラリネットを手に僕のほうへやってきて、目を丸くしている。僕は「うん」と頷き、「昨日、顧問の先生に提出してきた。きょうから正式に部員ってことになる」と照れ笑いを浮かべた。


 「ほんと!? 嬉しいよ……!」


 岸本さんはぱっと表情を輝かせ、無意識に僕の腕を掴んでくる。近くで見ると、彼女の頬がほんのり赤くなっているようにも見える。


 「え、あ、いや……こちらこそ、よろしくお願いします……」


 こっちが照れてしまう。ちょうどそこへ先輩らしき人がやってきて、「おお、転校生が本入部か。歓迎するぞ!」と声をかけてくれた。どうやら先日僕が見学に来たときの“仮入部状態”が一部では噂になっていたらしい。


 「クラリネットやるんだっけ? まだ初心者だろうし、まずは基礎練習からだな。あと、楽器を一から用意しないとな」


 吹奏楽部では、学校所有の楽器を部員で共有する場合と、個人で購入する場合があるが、クラリネットは部に何本か在庫があるらしい。初心者が始めるにはそれを借りるところからスタートする。


 「助かる……本体を自腹で買うのは厳しいし……」


 僕がそう呟くと、先輩は「んじゃ、古いけどまあ使えるやつを割り当てるからな」と、部室奥の棚からケースを取り出してくれた。


 「ありがとうございます、頑張ります……!」


 そう言って頭を下げる僕を見て、岸本さんがくすっと微笑んでいるのが目に入る。彼女の嬉しそうな横顔を見ていると、僕は改めて「ここを選んでよかった」と思わずにいられなかった。


 さっそくクラリネットの指導を受けることになった。先輩の名は鈴木さんという三年生で、穏やかで面倒見のよい女性だ。岸本さんや他のクラリネットパートの同級生も一緒に、僕に基礎の基礎から教えてくれる。


 「リードはこの薄い板ね。唇と歯の当て方で音が変わってくるから、まずは正しいアンブシュア(口の形)を覚えましょう」


 「こ、こうですか……?」


 ぎこちなく咥えようとすると、先輩が「もうちょい唇を巻き込んで。上の歯をマウスピースに乗せる感じかな」と的確にアドバイスしてくれる。


 音を出そうと息を吹き込むが、「ぷしゅー」みたいな空気漏れの音しか出なかったり、かすれた音だったりでなかなかまともな音が鳴らない。


 「うわ、難しい……」


 「大丈夫大丈夫、最初はみんなそんな感じだよ。焦らなくていいから、ゆっくり息を入れてみて」


 隣で岸本さんも頷きながら「私も最初はこんな感じだったもん」と励ましてくれる。彼女が当たり前に鳴らしている音も、最初から出せたわけじゃないのだ。


 数回トライしているうちに、かすれながらも「ぶおー」という低音が鳴った瞬間、僕は思わず「おお!」と声を上げてしまう。


 「おめでとう、最初の一音だね!」


 岸本さんが手を叩いて喜んでくれて、先輩も「うんうん、いいよ、その調子」と目を細める。たかが一音だけど、僕にとっては大きな前進に思えた。サッカーで走るのとはまた違う、達成感のようなものを感じる。


 その後は唇や舌の使い方を確認しながら、簡単な指遣いも教わる。まだまだ曲を演奏するにはほど遠いが、それでも「初日としては上出来だよ」と先輩は言ってくれた。


 基礎練習を終えて、いったん休憩タイム。岸本さんが「ロッカーにお菓子あるから持ってくるね」と席を外すと、先輩たちが僕に話しかけてくる。


 「ところで、サッカー部も見学してたんだろ? そっち行こうとは思わなかったの?」


 「あ、はい、一応迷ってたんですけど……結局、吹奏楽部に決めました」


 僕が答えると、「うんうん、他の部活もいいけど、やっぱり音楽は一生モノだからねえ」などと、先輩たちは和気あいあいと盛り上がる。


 やがて岸本さんが小袋のお菓子を持って戻ってきて、「はい、みんなで休憩しよ」と配ってくれる。この部活はこういう和気あいあいとした空気が魅力だな、と改めて思う。


 「そういえば、夏のコンクールが終わったばかりだけど、次は文化祭でステージ発表があるんだよね? 大友くんも、もし間に合えば何かの曲を演奏できるかな?」


 先輩の一人が言い出すが、僕は「いや、絶対無理ですよ」とすぐに否定する。


 「もともと初心者で、まだ音を鳴らすだけで精一杯ですし……」


 「まあ、間に合わないだろうね。文化祭まであと一ヶ月ちょっとしかないし」と別の先輩も頷く。だが、岸本さんは「でも、舞台袖でサポートしてもらうとか、アンコールの一部だけとか、いろいろ手はあるよ?」と微笑む。


 「もし大友くんがやる気なら、超簡単なパートを作ってもいいし……あとは裏方としてステージ設営を手伝うのも大歓迎だよ。私たち、機材運びとか結構大変だから」


 (裏方……となると、クラスの演劇裏方と被るかもしれないけど、そこは調整すればいいか……)


 こんなふうに色々な可能性を提案してくれるのは嬉しい。サッカー部でも感じたけれど、“仲間と何かを作り上げる”感覚は吹奏楽部でも存分に味わえそうだ。


 このあと、先輩たちは「文化祭の打ち上げはどうする?」とか「去年は近所のファミレスに行ったよね」と雑談を始める。僕は隣で話を聞きながら、少しだけ胸が弾む。いまはまだ入ったばかりで何もできないけど、いずれはこの打ち上げにも堂々と参加できるようになりたい。


 練習が一段落して部室を出たころには、外が薄暗くなりかけていた。楽器をロッカーにしまい、廊下を歩いていると、窓の向こうに校庭の風景が広がっている。サッカー部がまだ練習しているのか、走り回る人影が見えた。


 (芦沢……まだ頑張ってるんだな)


 ちょっと後ろめたい気持ちになる。彼は僕がサッカー部に来てくれるのを楽しみにしていたんだから。


 廊下を曲がろうとしたとき、ちょうどジャージ姿の芦沢がこちらへ駆けてきた。どうやら用具を取りにきたらしい。僕を見つけると「おお!」と声を上げる。


 「どうだ、吹奏楽部初日の感想は?」


 「結構難しいけど、楽しいよ。思った以上にみんな優しくて……」


 僕がそう答えると、芦沢は嬉しそうに「そりゃいいじゃん!」と笑う。


「こっちも、今日は監督が来てて気合い入ってるんだよ。部員の士気が上がりまくりだわ。……まあ、大友も吹奏楽で頑張れよ! 文化祭とか見に行くからさ」


 彼が差し出す拳に、僕はそっと拳を合わせる。軽くタッチしただけなのに、その一瞬にいろんな思いがこもっている気がした。サッカー部へ行かなかったことを責めるでもなく、応援してくれる芦沢の懐の深さに感謝する。


 「ありがと。俺も芦沢の試合とかあったら応援に行くよ」


 「おう! それじゃ俺、用具取ってくから行くわ。じゃあなー!」


 芦沢はダッシュで体育倉庫のほうへ向かい、あっという間に姿を消す。去り際の背中は相変わらず活気に満ちていて、思わずこっちまで元気をもらった気分だ。


 校門を出ると、空はすっかり群青色に染まり、星がぽつぽつ見え始めていた。バス停まで歩く途中、町の街灯がぼんやりと道を照らしている。ふとスマホを見ると、クラスのLINEグループに大縄や演劇の話題がぽんぽん流れてきていた。


 (そうだ、クラスの演劇で裏方もやるんだった……うまく両立できるかな)


 吹奏楽部も基礎練習から始めねばならないし、演劇の大道具や小道具づくりも時間がかかりそうだ。部活とクラス行事をダブルで引き受けるというのは、結構忙しいかもしれない。


 でも、不思議と嫌ではない。むしろ“充実するかも”という期待のほうが大きい。昔の僕なら「人づきあいが面倒」「疲れるだけ」とネガティブになっていただろう。だけど今は、“何かを成し遂げる”ことに対してポジティブに向き合えている自分がいる。


 バスに乗り込んで窓の外を見ると、遠ざかる校舎の灯りが見える。そこで練習を続けているサッカー部の姿、吹奏楽部の残ったメンバーの姿……みんなが一生懸命に頑張っているんだ。僕もその一人になれたことが、なんだか嬉しい。


 そして、どうしても頭をよぎるのは“岸本さん”の存在。彼女は今ごろ部室で片付けをしているかもしれない。先輩たちと笑い合いながら楽器を丁寧にしまっている姿が、目に浮かぶ。


 (彼女も家のこととかいろいろ悩みがあるのに、吹奏楽を続けられているのは、やっぱり好きだからなんだろうな……)


 そう思うと、僕は彼女をもっと支えたいと思うし、彼女が好きなことを一緒にやれるのは光栄だとすら感じる。サッカー部を諦めたのは、単に彼女目当てだけじゃない――と自分に言い聞かせつつも、彼女の存在が大きく作用しているのは否定できない。


 「でも……いいんだ」


 バスのシートに腰を下ろし、小さくつぶやく。最初の動機が何であれ、いま僕は少しずつ前へ踏み出している。それだけで十分だと思える。


 エンジンの振動に揺られながら、夜の町を通り過ぎる。叔父さんと叔母さんが待つ家に帰ったら、今日の入部のことを報告しよう。たぶん喜んでくれるだろう。そして、これからは日々の練習に励みながら、クラスの演劇裏方もこなす生活が始まる。


 (忙しくなるけど、頑張ろう……)


 窓の外の街灯が線のように流れていく。心はどこか弾んでいる。体育祭も終わり、部活が決まり、そして次は文化祭。ステージ発表と演劇の両方で関わることになるが、きっと得るものも多いはずだ。

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