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第11話 体育祭のあとの日常

 体育祭が終わった翌週、学校にはいつもの“日常”が戻りつつあった。


 朝のホームルームは普段どおりに静かで、先生が提出物の確認をしたり、時間割の変更を告げたりしている。つい先日まで体育祭一色だった教室とは思えないほど落ち着いた雰囲気に包まれているのが、なんだか不思議だ。


 僕・大友遼は、まだ体育祭の余韻を心の奥に感じながら席に座っていた。クラス全員でダンスを披露したときの高揚感や、100m走で得たささやかな達成感が記憶に新しい。けれど、その想い出は時間とともに薄れていくのだろう。実際、今日のクラスメイトたちは、もう次のテストや部活の話をしている。


 (俺も、いつまでも体育祭の話ばかりしていられないよな……)


 そう考えつつノートをめくっていると、隣の席に座る芦沢が声をかけてきた。


 「なあ大友、部活はどうすんだ? そろそろ決めるんじゃねえの?」


 夏休み明けからずっと誘われているサッカー部。体育祭期間中はみんな忙しかったからあまり話題に出なかったが、落ち着いた今こそ聞かれるのは当然かもしれない。


 「う、うん……そうなんだよね、まだ決めてなくて……」


 正直、頭の片隅ではずっと迷っていた。サッカー部に行くか、吹奏楽部に行くか。どちらも見学して魅力を感じているし、両方ともクラスメイトに誘われている。


 「まあ、無理にとは言わねーけど、良かったらいつでも練習参加しろよ。お前、足が遅いわけじゃないし、意外と根性あるしさ」


 芦沢の言葉は単なる勧誘トークというより、どこか信頼を含んでいて、僕は少し胸が熱くなる。体育祭を通じて、クラスで何かを成し遂げる楽しさを知った今、仲間とスポーツに打ち込むのも悪くないと思えてきたからだ。


 そのホームルームが終わると、岸本さんが教室の前のほうからこちらにやって来る。体育祭で女子騎馬戦やダンスを引っ張っていた彼女は、いまは吹奏楽部に集中しているのだろうか。


 「大友くん、おはよう。……あ、部活の話してたの?」


 「うん、芦沢がそろそろ決めろって……」


 芦沢は苦笑いして「そんな強制じゃねえけどな」と肩をすくめる。岸本さんは「ふふ」と笑みを浮かべた。


 「サッカー部も魅力的だけど、吹奏楽部も大友くんを待ってるよ。コンクールシーズンはひと段落したけど、文化祭やクリスマスコンサートとかイベントがたくさんあるから」


 そう言われると、こちらも迷ってしまう。吹奏楽部の合奏を聴いたときのあの感動も忘れがたいし、岸本さんがいるというのも大きな魅力だ。


 結局、「もう少し考えるよ」と曖昧に答えざるを得ない。二人は「そっかー」「焦らなくてもいいよ」と言い残し、それぞれホームルーム後の移動教室へ向かっていく。


 (そろそろ本気で考えなきゃな……)


 僕は机の中に手を突っ込みながら、静かにそう決意した。


 午前中の授業は国語と数学が続く。先生が黒板に書き写す内容をノートにとりながらも、僕の頭には“部活問題”や“岸本さんの存在”がちらついていた。


 体育祭が終わった今、次の大きなイベントはおそらく文化祭だろう。吹奏楽部はそこでステージ演奏するし、サッカー部はスポーツ系のパフォーマンスや屋台の手伝いなんかをするのかもしれない。どちらにせよ、何かしら準備が必要だろうし、できるだけ早く部活に入って馴染んだほうがベターだ。


 (だけど、決めきれないんだよな……)


 サッカー部に入れば、芦沢をはじめクラスの仲間がたくさんいて、練習もにぎやかで楽しそう。体を動かすのはけっこう好きになってきたし、体育祭で味わった達成感をもっと感じられるかもしれない。


 一方で、吹奏楽部は岸本さんがいる。あの合奏の迫力や、みんなで音を作り上げるあの空間は、サッカー部とはまた違った芸術的な喜びがある。それに加えて“彼女と同じ部活”というのは、正直大きい。彼女を近くで感じながら、新しいスキルを身につけてみたいという思いもある。


 数学の先生が「じゃあ大友、次の問題解いてみて」と指名する。僕は我に返り、急いで黒板の図を見直して答えを考える。幸い、簡単な問題だったので何とか解答できて事なきを得た。


 (この問題のほうがよっぽど簡単だ……)


 そう心の中でぼやきながら、どこか落ち着かない時間を過ごすのだった。


 昼休みになると、いつものようにクラスメイトたちと弁当を囲む。僕、芦沢、岸本さん、それから何人かの男子女子が集まって机をくっつけている。


 「なあなあ、大友が部活どっち行くか、みんな気になってるらしいぞ?」


 芦沢がニヤニヤしながら言うと、他の女子たちも「吹奏楽部のほうが“映え”そう」とか「サッカー部の練習きつそうだよ?」とか、あれこれ口々に意見を出してくる。


 それを聞いた岸本さんは「そんなに強引に勧誘するのも悪いよ」と苦笑いしているが、本人も「吹奏楽で待ってるよ」と言わんばかりの視線を投げかけてくるからタチが悪い。


 「大友が掛け持ちすれば解決じゃね?」と誰かが冗談めかして提案する。僕は「それは無理でしょう」と笑い飛ばした。


 すると、クラスの別の男子が「そういや文化系と運動系の掛け持ちしてるヤツ、先輩にいなかったっけ?」と面白い話を振ってきた。


 「え、マジ? 運動部と吹奏楽部を両立してる奴が?」


 「ううん、そこまでは知らないけど、軽音部とテニス部を掛け持ちしてる先輩がいるって聞いたぞ。週何回かはテニス、週何回かはギター弾いてるとか」


 「へえ……」


 思わず興味が湧く。普通に考えて、どちらか片方だけでも時間を使うのに、掛け持ちなんて大変すぎるだろう。だが、もし可能なら“サッカー部と吹奏楽部”を両立してみるというのもアリなのか……?


 ただでさえ吹奏楽部の練習は厳しそうだし、サッカー部だって毎日グラウンドを駆け回ることになる。レギュラーを目指すなら週5~6の練習が必要らしいし、吹奏楽部のほうも楽器の練習時間を確保しなければならない。自分がそこまで要領よく動けるとは思えない。


 (やっぱり非現実的だよな……)


 そう思いつつも、すぐには否定しきれない自分がいた。何せ、どちらも捨てがたい魅力があるのだ。


 「ま、悩むのは悪いことじゃねえよ。ゆっくり決めれば?」


 芦沢がそう言ってくれたので、僕はとりあえず曖昧に「うん……」と答える。岸本さんも「うちの部は、興味があったらいつでも来てほしいから焦らなくていいよ」と微笑んでくれた。


 この優しさが余計に決断を難しくしているのだが――そうは言えず、僕は弁当のハンバーグをかじりながら「ありがとう」とだけ伝えた。


 午後の授業が終わり、ホームルームを経て放課後へ突入。ふだんなら「今日はサッカー部行ってみようかな」「いや、吹奏楽部に顔を出そうかな」と悩むところだが、この日はちょっとした用事があった。


 叔母さんから夕食の買い物を頼まれており、「学校帰りに商店街で食材を買ってきてほしい」とお願いされていたのだ。いつも家事をやってもらってばかりなので、たまには役に立ちたいと思っている。


 「今日は悪い、部活はパスだ……」


 芦沢にそう伝えると、「そうか、じゃあまた今度な」と気さくに送り出してくれる。岸本さんは「そっか、残念。練習あるから先に行くね」と一言残して、音楽室へ向かった。


 廊下を歩いていると、他のクラスの生徒がわいわい言いながらすれ違う。顔見知りが増えてきたので、すれ違いざまに「大友ー、またね!」なんて声をかけられることもある。


 (引っ越してきたばかりのころは、こんなふうに声をかけられるなんて想像もしなかったな……)


 そう思うと、不思議な感慨が湧いてくる。あれから二ヶ月ほどで、こんなに環境に馴染めるなんて。自分でも驚きだし、クラスメイトや叔父さん叔母さんのサポートが大きかった。


 体育館前を通りかかると、バスケ部が元気よく部活をしている声が聞こえる。グラウンドに目をやれば野球部やサッカー部が動いているのも見える。校舎の上階には吹奏楽部がきっと練習している。


 みんなが何かに打ち込み、放課後を充実させている。その光景を眺めると、自分だけが無所属なのが少し寂しく感じる。でも、まだ決められない。自分の中にあるもどかしさを抱えながら、僕は校門を出て商店街へ向かった。


 商店街は夕方の買い物客でそこそこ賑わっていた。僕はスーパーへ寄り、叔母さんに頼まれた野菜や肉をカゴに入れていく。鶏もも肉を選ぶとき、どれが新鮮なのか全然わからず、店員さんに質問してしまったりして、まだまだ不慣れな様子だ。


 「……こんな感じでいいのかな」


 カゴいっぱいの食材をレジで精算し、袋に詰めて店を出る。まだちょっと重いが、頑張って持ち帰らないといけない。


 スーパーを出て通りを歩いていると、どこかで見覚えのある姿を発見した。


 「あ……岸本さん?」


 彼女は商店街のパン屋の前で、紙袋を手に立ち尽くしている。部活帰りなのだろうか、制服にパーカーを羽織っている姿が、普段とはまた違う雰囲気だ。


 「え、あ、大友くん……?」


 岸本さんのほうも僕に気づき、少し驚いた顔を見せる。


 「なんでこんなところに? もう部活は終わったの?」


 僕が訊ねると、彼女は「うん、今日は早めに切り上げて、部室の鍵を先輩に渡したら帰ったんだ。ちょっと用事があってね……」と曖昧に答える。


 (なんだろう、いつもの彼女と少し違う感じがする……)


 そう思いながらも、「そっか、俺は買い物頼まれたんだ」とスーパーの袋を持ち上げて見せる。


 「そうなんだ。偉いね、家のお手伝い……」


 岸本さんは微笑むが、表情にどこか陰りがあるような気がする。


 「どうかした? なんか元気ないみたいだけど……」


 思わずそんな言葉が口をついて出る。すると、彼女は苦笑いして、歩き出した。


 「ちょっと……父親の仕事のことでゴタゴタがあって。詳しくは話すようなことでもないんだけど……」


 そう言いながら、商店街の路地をゆっくりと進んでいく。僕はその横を歩きながら、黙って聞くしかできない。正直、どう反応していいのかわからないが、悩みを抱えているなら話を聞いてあげたいという気持ちもある。


 「大変なの? 家庭のことなら……あんまり無理しないほうがいいよ」


 僕がそう言うと、岸本さんは「うん……」と頷きつつ、言葉を選ぶようにして続ける。


 「うちはお母さんが早くに亡くなって、父が一人で私を育ててくれてるんだけど……最近、仕事のことで疲れてるみたいで、家でもあまり元気がなくてさ。手伝いもあんまりできないし、吹奏楽部の練習も忙しいし、私もどうすればいいんだろうって思うことがあって……」


 初めて聞く彼女の家庭事情に、僕は言葉を失う。あんなに明るくて優しい彼女が、そんな背景を抱えていたなんて。


 「そっか……ごめん、変なこと聞いちゃって」


 「ううん、気にしないで。私から言い出したことだし……」


 岸本さんはうつむき、手にした紙袋をぎゅっと握りしめている。どうやらパン屋で何か買ったらしいが、気もそぞろな様子だ。


 「……大丈夫、私はやるしかないから。家のことも、部活も、勉強も……父が頑張ってるぶん、私も負けてられないし」


 その言葉に、彼女らしさを感じる。いつも前を向いて、人一倍頑張っている姿――でも、その裏には不安や孤独もあるのだ。


 「……少しは、誰かに頼ってもいいんじゃない? 俺も、みんなもいるし……」


 思わずそう言いながら、僕の声はかすれそうになる。彼女が抱えている悩みを自分が解決できるわけではないけど、それでも“頼っていい”と言いたくなった。


 岸本さんは小さく微笑み、「ありがとう。大友くんって、やっぱり優しいよね」とつぶやく。


 (……そんな、優しいとかじゃ……)


 胸が締め付けられる。僕は何もできていないのに、そう言ってもらえるのがむしろ苦しい。だけど、彼女が少しでも心を開いてくれたなら、それは悪いことじゃない。


 程なくして、商店街のはずれに差しかかったところで、彼女は「じゃあ、私はこっちだから」と別れを告げる。


 「うん。……気をつけて」


 手を振る彼女の背中が、いつもより小さく見えた。その姿を見送っていると、夕暮れの空がほんのり赤く染まり始めているのに気づく。


 (彼女だって、悩みながら頑張ってるんだ……俺も、決断しなきゃな)


 部活のことも、これから先のことも――少しずつでも動いてみよう。彼女の姿を見てそう思わずにはいられなかった。

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