旅芸人のうちは、貴婦人のコンスタンサと呼ばれる大役者になるために頑張って、それから
一人寝
「ねぇ。ライ」
隣に座ったコンスタンサを暖炉の炎が照らす。このまま二人で夜も一緒に過ごしたい。だが、今は立場上できないし、絶対に許してもらえない。
「あのね。ちょっと聞きたかってんけど」
軽くうなずいてコンスタンサの言葉の先を促す。
「うちがおらん間、夜はどうしとったん?」
空色の瞳が私を見ていた。
『いつのこと』
出会ってから今まで、常にずっと一緒にいたわけではない。
『私を置いていった君を、追いかけていた間?』
直近はその頃だ。置き手紙に綴られていた別れの言葉に頭が真っ白になった。無茶な頼みを聞いてくれた伯父ハビエルには心から感謝している。
「もう。ちゃうもん」
膨れたコンスタンサの頬に口づける。伯父ハビエルは、コンスタンサの祖父になった。伯父が義祖父となると思うと不思議な気分だ。
『あの時の君の行動には事情があった。世間的には、私を一人、王国に置いて旅に出た座長の決断は正しい』
邪魔はしないといったが、味方してくれなかったのがあの男エステバンだ。兄の言う通り、私たち兄弟は母の息子だが、父親はあの男だ。エステバンの胸中は、相当に複雑だろう。あの掴みどころのない笑みの奥にエステバンが何を隠しているのか、私にはわからない。
「うちが、化けていた頃とか、が知りたかったの」
コンスタンサの被るような動作から、金髪のかつらを被ってエスメラルダと名のり王宮で侍女として働いていた頃のことだと察する。
コンスタンサは、母フロレンティナを座長の心の姫君と言っていた。互いに想い合っていた過去を、エステバンが育ての娘に伝えていないのならば、私が言うべきではないだろう。
『心配だったし、寂しかった』
コンスタンサとの他愛ない会話が楽しい。
「今は一緒におるでしょう」
コンスタンサがそっと、頬を合わせてきた。
何の拷問だまったく。コンスタンサの育ての親の一人、エステバンは元は護衛騎士だ。エステバンはコンスタンサを大切に育てたのだろう。だが、少々疎いのはどうしたものか。本当に困る。
『昼間はね』
婚約中の今は、夜は別々の寝室で眠る。寝る前にこうして暖炉で一緒に炎に当たるが、そろそろ護衛が私をコンスタンサの部屋からつまみ出す頃合いだ。
『君が王宮にいってしまって、夜はしばらく眠れなかった。そのうちに君の使っていた枕があれば眠れることに気づいた。でも、枕は暖かくないし、手を握り返してくれないし、大丈夫と語りかけてもくれない。書庫で君と過ごすのは楽しかった。それなのに避暑地に行ってしまうし、本当に寂しかった。そうこうする間に、兄上が皇国から戻ってきた。いろいろあって、それなら子供の頃のように一緒に寝るかと兄上に言われた』
長く離れていた兄弟が再会し、思い出話を語り合う美談となればよかったが、現実はそうでなかった。
「あら、スレイ、やなくて国王陛下と」
『スレイでいい。畏まるのは公の場だけでいい」
兄のことだ。私やアキレスが愛称で呼ばれ、自分だけが仰々しく扱われようものなら拗ねて面倒くさいことになるだろう。
「ほとんど覚えていない幼い頃以来だから、少し嬉しかったけれど。兄上は本当に寝相が悪くて。蹴飛ばされて叩かれて、枕もシーツも取り上げられて、二晩で懲りた」
「スレイが? 」
目を丸くしたコンスタンサが可愛らしい。
『アスに知っていたのかと聞いたら、謝られたよ。兄上なりの気遣いに水を差す事はできなかったと言われてね』
あの頃の兄は、なんとかして私との絆を取り戻そうとしていたのだろうと思う。
『その後は仕方ないから、やっぱり君の枕やショールと一緒に寝ていた。一度洗濯されてしまって、君の匂いがなくなって、とても寂しくて。がっかりしていた頃に、君が湖で行方不明になったと連絡があった』
たった一人の家族である兄は長く消息不明だった。あの日、皇国へと旅立つ兄を引き止めていたらと後悔した。
湖の事件を聞いたとき、コンスタンサがいなくなってしまったのかと恐ろしかった。死んだ証拠はない、あの子ならば生きていると言い切る大叔母フィデリアは、きっと私を支えようとしていたのだと、今ならば思う。
『君は帰ってきたけれど。またいつかどこかで、知らない間に知らないところで、君が大地母神様の御許に帰ってしまうのではないかと思うと怖くなった』
だから、ずっと側にと思った。手の届くところに目が届く範囲にいてくれなくては、守ってもやれない。
私は王族だ。旅芸人のコンスタンサとは、いつか別れが来ると思っていた。その別れが、旅先で死んだと風の便りを受け取る未来に繋がっていることに気づいたのはあの時だ。権力が何の役に立たないときもあると、気付かされた。
『ずっと君と一緒にいたいと思った。君を失わないために』
真っ赤になっているコンスタンサの頬に口づけた。
「そろそろお休みのお時間です」
低い声が私に忠告する。私にではなく、皇国皇帝ビクトリアノ伯父上に忠誠を誓っている護衛騎士たちだ。視線に同情が混じっているのは気の所為ではないだろう。
「おやすみ、ライ。また明日」
『また明日』
王国への到着は、まだまだ先だ。