獅子王の告白
「そう言えば、離宮の北側に海を見渡せる庭園があるの。そこに白ゆりが植えられているはずよ。庭師が自分の仕事を忘れていなければ、だけど」
マリーはゆっくりティーカップを傾けながら言った。白い器に注がれた紅茶は、指示通り普段より濃くて苦い。
この離宮に来てから、ティータイムのお菓子はなくなった。状況が状況なので、贅沢を言うつもりはないが残念だ。
「本当ですか!? 明日は庭師に頼んでそちらのお花を持ってきますね!」
ベッドに座るあるじから少し離れて立つ少年騎士見習いは、すっかりいつも通りの雰囲気に戻っている。
「良く知ってるわね」
唯一、マリーの膝上でくつろぐ子猫だけは、その口元に笑みを残していた。テティは猫の姿をしているものの、人語を正確に操り、その表情やしぐさにも人間味がある。彼女のニヤニヤ笑いを憎らしく思ったマリーは、カップとソーサーを脇に置くと、テティの顔に手を伸ばした。
「昔、ここに住んだことがあるの」
子猫の顔を少し強めにマッサージしながら、マリーはテティの言葉に応えた。
テティは顔肉の形が変わるたびに、「むぅ~」とか「にゅ~」とか気の抜けた声を上げている。これで彼女のからかうような笑みも消えるだろう。
「それは変ね。あたしはずーっとマリーと一緒にいるけれど、ここに来たのは初めてよ」
「……そうね」
テティがまじめな表情に戻ったところで、マリーは子猫を撫でる手を止めた。
半開きの窓からは、そよ風がほのかに潮の匂いを運んでくる。潮風でいたむのを防ぐためか、家具はどれもニスを厚く塗られてつややかで、金属の装飾が少ない代わりに、宝石やガラスで飾られていた。建物の作り自体は王宮とよく似ているが、海辺の宮殿らしく壁や机の上には磨かれた貝や真珠の装飾品が多い。
――言うべきか、言わないべきか。
室内を見渡しながら、マリーは考えた。しかしおそらく、この疑問への答えは「言わなければならない」なのだろう。子猫姫には、自分を信じてくれる仲間が必要だ。
「オルト、窓を閉じて欲しいの」
「はい」
静かにたたずんでいた少年は、すぐあるじの命令に従った。
「私、あなたたち二人のことは誰よりも信頼しているわ」
締め切られた部屋で、マリーは膝上の子猫と斜め前方に立つ少年を交互に見た。あたりにはまだ潮の残り香があるが、それも次第に消えるだろう。
「だから、正直に言うのだけれど」
乾いた唇をなめて、次の言葉を。
「私は『獅子王』なの」
「……それは、どういう」
まず困惑の声を上げたのは、歴代の獅子王を深く敬愛してやまないオルト・ユーリアスだった。
「私には歴代の獅子王の記憶と経験があるの。アダンと、アダソンと、ラウルと、ヘルドと、アダン二世の。獅子王は過去の獅子王の生まれ変わりなのよ」
自分で言っても、信じがたい話だと思う。しかし、これが事実だし、信じてもらえなければマリーは先に進めない。知識と経験を持っていても、マリーは姿も力も心も十歳の女の子でしかないのだ。
議場にいた大人たちは、マリーの話を子どもの言葉と決めつけて、まじめに聞いてくれなかった。
――味方がいる。それも真の味方が。
マリーはピンク色の唇を引き結び、目頭に力を込めた。できる限り真剣な顔でオルトを見て、その頭上にいるインディゴを見て、膝の上のテティを見る。
オルトの表情は先ほどと変わらない。驚きにかたまっている。
インディゴはマリーの言葉を理解したのかしていないのか。ぼんやりと閉められた窓の方を向いていた。
テティは――。
「あたしは信じるわ」
最初に沈黙を破ったのは、しゃがれ声の彼女だった。
太陽色の子猫はとんと軽い足取りでマリーの膝から飛び降りると、四本の足でまっすぐ立ち、正面から黄色の瞳で女主人を見上げた。
「あたしはあなたの聖獣よ。だから、あなたが嘘を言ってないってわかる。そりゃあ、なに言ってんの? 最近の悲劇でおかしな妄想に取りつかれちゃった? って気持ちもあるけど……」
「わたしは正気よ。信じてくれてありがとう」
徐々に自信を無くして目をそらしたテティにほほ笑んで、マリーは次にオルトを見た。
彼は最初の驚きからは立ち直っていたが、マリーと目が合ったことで再び眉を上げて驚きの表情を浮かべている。慌てて表情を隠そうとした彼は、ネクタイを直すふりでうつむいたものの、その拍子に頭上のベレー帽に掴まっていた聖獣を帽子ごと落とすはめになった。
バサバサと羽ばたきながら滑空してきたインディゴは、マリーのすぐ隣に着地すると何を思ったのかその体をマリーの膝に乗せた。先ほどまでテティがしていたように、体を丸めてマリーに甘えはじめたのだ。
「オルトは、どうかしら? 信じられないなら、すぐに信じてくれなくても良いけれど」
細長いくちばしにほほをくすぐられて小さく笑い声を漏らすと、マリーは膝のサギに似た聖獣を撫でながらもう一度少年を見た。インディゴのおかげで部屋の空気が少し軽くなったように感じられる。
「わたしも……、信じます。……わたしはあなたを信じたいので」
オルトはベレー帽のなくなった頭を撫でて髪の毛の癖を直したり、口元を手で隠したり、しばらく考え込むしぐさを見せていたが、最終的にはうなずいた。まだ表情にはためらいが見えるが、その目はまっすぐマリーを見すえている。
「誠実ね」
マリーは彼の視線と正直な態度をそう評価した。
「あ、ありがとうございます」
オルトは気恥ずかしそうに視線をそらして、ほほを掻いている。再び彼の顔が赤くなるのを見て、マリーも慌てて目をそらした。本当はやれやれとため息をつく大人のふるまいをしたいのに、心が許してくれない。
室内がとても暑い。
窓を閉めたのは失敗だっただろうか。気を紛らわせようとティーカップを口に運んだが、あたたかい紅茶にほてった体を冷ます効果はなかった。