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最悪よりマシ[上]

 腐り落ちた花。人間と動物を混ぜ合わせて造った、禍々しいラミアの大群。そして、抵抗むなしく襲われていく国民たち。


 毎日、毎日、そんな夢ばかり見た。


 ――わたしは失敗したのだ。


 そう思った。


 五番目の「獅子王」アダン二世は、平和と幸福を楽しむために与えられた時間ではなかった。


 ――わたしは騎士を率いて南の大山脈を越え、シャンドレとその眷属を退治しなければならなかった。


 少なくとも、魔の眷属がどういうものか、対抗するにはどうすれば良いかをできるだけ多くの国民に伝えなくてはならなかった。


 ――私も、失敗した。


 少女の姿に戸惑い、子猫の聖獣に戸惑い、「獅子王」の経験を継ぐ者として何もできなかった。「子猫姫」と皮肉っぽく笑い、自問自答するばかりで、何の行動も起こせなかった。


 ――私が死ねば、この記憶は新たな「獅子王」へ受け継がれるのかしら?


 白い手を黒いドレスの胸元に重ねた。しかし、それは分の悪い賭けだと思う。獅子王の聖獣がライオンではなく子猫になったこと。それがマリーの予想通り、「神の力が弱まっているから」だとすれば、次の転生は起こらないかもしれない。


 自分が戦うしかないのだ。たとえ、子猫姫だとしても。


  * * *


 レオ=デルソル王宮襲撃から一週間。


 王宮から脱出できた官吏と貴族たちは、北西の海沿いにある「ヴィーク離宮」に臨時政府を設立した。王宮同様白大理石をメイン建材とする王家所有の立派な宮殿には、獅子王ラウルの時代に国の拠点として必要な設備が全て整えられている。


 ヴィーク離宮や周辺都市には転移陣や、街道に整備された「魔法の道(マジカル・リレイ)」と呼ばれる高速移動魔法で難を逃れた人々が徐々に集まり、そこに北方地域を守る貴族や騎士、上級官吏たちが加わったことで、レオ=デルソルの首都機能は回復しつつある。しかし、完全回復とはいかない。


 騎士と共に最後まで王宮を守った国王は行方不明。王宮から脱出できたかどうかもわからないそうだ。王の長男ビクトリノ王子は、魔力の少ない者でも魔法の道(マジカル・リレイ)の高速移動が使えるようにと自分の魔力を提供し続けた結果、重度の低魔力症になって今も意識が戻らない。次男のアベル王子はラミアと戦って呪いを負い治療中。無傷で避難できた王妃は、ほとんどつきっきりで二人の息子を看病している。長女のルーラ王女は転移陣で避難したものの、転移先の座標がずれてしまい行方不明となっていた。現在、王の直系血族で無事なのは、もっとも幼いマリーだけだ。


 神はこうなる状況まで見越して、獅子王の記憶と経験をマリーに与えたのだろうか。考えても、答えはわからない。


 状況は「最悪よりは幾分かマシ」といった程度だろう。二百年続いた平和は、国民から魔の恐怖を忘れさせるには十分長かったが、石の城壁と規則を風化させるほどではなかった。街を囲む城壁はマニュアル通りにメンテナンスされ続け、むしろ豊かさを表すように高く強固になっていた。壁の上に置かれた大型弩弓(バリスタ)を更新するのも怠らなかった。主要都市をつなぐ街道にはマジカル・リレイが整備され、攻め入る敵よりも速く、人々を安全な街へ移動させたという。


 そして何より、敵は国の中央にある「神の山(アンポルト)」の守りを越えられなかった。アンポルトは初代の獅子王アダンが「山の神」モンタールから聖獣を授かった神聖な場所。きっと神がラミアを止めてくれたのだろうと、人々は己の聖獣と祭壇に祈っている。


 国土としては南半分の支配権を完全に失ったものの、北半分は無事で、国民の九十パーセントが助かったという見立てだ。国民の七割近くが南の大山脈から離れたアンポルト以北に住んでいたことも幸いした。


「でも、だからと言って『このままでいい』とはならないわ」


 マリーは声高にそう宣言した。


 レオ=デルソル臨時政府は離宮の一室を議場に指定し、今後の対応を決めることとなった。集まっているのは五十人ほどだ。長いテーブルに二十四人の高官が着き、その周りに彼らの秘書や副官たちが座っている。


 最も上座には議会の規則に則り、王族で唯一行動可能なマリー・ソルギナック王女が国王代理として呼ばれたが、十歳の少女が発言するなど、この場に集まった誰もが想定していなかったらしい。


「レオ=デルソル北部には、国民全員が住めるだけの家がない。今は小屋やテントで暮らせても、冬になったら凍えてしまう。たとえ冬を越せても、半分の国土で全国民分の食料を賄うのは不可能よ。数年のうちに大量の餓死者が出る。ラミアがいつまで神の山(アンポルト)にいるかもわからない。すぐに手を打たないと。今なら王宮や南部で生き延びている国民を救うことだってできるかもしれない!」


 驚きざわめく人々に負けないように、マリーは高い声を張り上げた。まだ国は混乱状態だが、早めに動く必要がある。


 ――これ以上の失敗は許されない。


 マリーは空色の目を細めて、集まっている人々を見渡した。


 彼らの多くが驚いたような、いぶかしむような顔でマリーを見ている。

 難を逃れた宰相と数人の大臣と騎士。そして、国の危機を聞きつけて集まったレオ=デルソル北部地域の貴族や上級官吏たち。騎士の中にはラミアの襲撃を受けながら避難する国民の背を守り、何とか生還した者もいる。白い包帯を巻かれた傷跡はいまだに血をにじませ、痛々しかった。


「……ンンッ」


 誰かが唸るように咳払いする音が聞こえた。想定外の王女の発言で、議場には不穏な空気が漂っている。そして、互いに責任を押し付け合うように交わされる視線。


 それらを打ち破ったのは、乾いた拍手の音だった。マリーは音の方へ首を巡らせた。


「マリー様は勇ましい姫君ですね」


 ぱんぱんと気のない様子で拍手しながら言うのは、見目麗しい銀髪赤目の青年騎士だった。身に着けている濃いえんじ色の軍服とベレーと外套は騎士共通のもの。違うのは軍服の襟の間からわずかにのぞく藍色のネクタイと肩にかけられた藍色のマントだ。藍色はレオ=デルソル北西地域に所属する人々に割り当てられた色彩で、彼の地位は北西弓騎士団長だと聞いている。


 長い髪を一本のみつあみにして背に垂らし、外套の下に組み立て式の洋弓と矢筒を隠した彼の名前はイクス・クロス。ちなみに彼は、二十代半ばの若い見た目とは裏腹に、マリーがアダン二世だった時も弓騎士団長だった。尖った耳を持つ彼の種族は千年を生きる長命種エルフだ。


「それで、南部を奪還する良い作戦はあるのですか?」


 彼は昔と変わらない。丁寧な話し方とは裏腹に、その顔には人をからかうような笑みが浮かんでいる。


「……まずはとにかく、南部に残っている国民の避難。そのあと、敵の数を減らさないといけないわ。避難には、ドワーフの地下道が使えるはずよ。敵を減らすのは敵が少ないときに、それよりも多い戦力で戦うのが基本だけど――」


 そこまで言ってマリーは言葉を切った。議場の雰囲気が少し変わっていたから。


 大人たちが沈黙しているのは変わらない。しかし、その中にはうつむく者が増え、中には口元を隠して肩を震わせている者もいる。


「なにかしら?」


 マリーは必死に笑いをこらえようとしている貴族をにらみつけた。彼女のまじめな様子を見た人々は、さらに笑いの波を広げていく。


「お姫様」


 口を開いたのは、北方貴族のミラージェスという中年男性だった。豊かな金茶色のひげで口元を隠しているが、笑いで口の端がヒクヒクとけいれんしているのが丸わかりだ。


「『ドワーフの地下道』が使えれば、それは大変結構でございます。しかし、お姫様。それは『おとぎ話の中にしか』存在しないものなのですよ」


「はぁ?」


 マリーの眉間にしわが寄る。しかし、その小さな怒りは、限界を迎えた大人たちの笑い声にかき消されてしまった。


「お姫様が聡明で国民思いで、たくさんのことをお勉強されていることは理解いたしました。しかし本にはいくつかの種類があるのです。実際に起こったことが書いてあるものと、空想の物語と。今度はそれを見分けられたうえでお勉強されるとよいでしょう」


 ミラージェスの言葉は、ほとんどマリーの耳に入ってこなかった。


「獅子王」に言わせれば、「ドワーフの地下道」は実在する。しかし、誰も――二百年以上生きているイクスでさえ、それを知らないのだ。


 マリーの顔が怒りで真っ赤に染まった。大人たちの嘲笑が頭の中でこだまする。握りこんだこぶしがわなわなと震える。あまりの悔しさに、鼻の奥が痛くなって涙まで出そうだ。獅子王の記憶と経験があっても、心と体は十歳の少女であるマリーが、この羞恥心と屈辱に耐えるのは、本当に厳しいことだった。

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