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敵前逃亡

「待って、私も戦うわ!」


 マリーはそう叫んだものの、思うように体が動かない。

 最初は急激な魔力消費による低魔力症かと思った。しかし、徐々に大きくなる全身の震えと、湧き出る水分でぼやけはじめる視界に違うと判断せざるを得ない。


「マリー様……」

「マリー」


 大きく震えながら涙を流す少女に、オルトとテティが呼びかけた。


「……大丈夫、大丈夫だから」


 獅子王の使命によって押さえつけられていた少女(マリー)の恐怖心が、あふれただけだ。


「マリー様は素晴らしい『白の守り(プロータ・アルバ)』を作りだしてくださいました。それだけで十分貴女は戦われましたよ」


 オルトの父親セシリオは、普段と変わらない穏やかな口調で言いつつも、決してその足を止めなかった。抱きかかえてでもマリーを避難させるつもりだ。


「マリー様には、もうほとんど魔力が残っていらっしゃらないでしょうし、非戦要員はひとりでも多く逃がすよう王命が出ております。王妃様もわたしの妻も避難済みですよ」


 息子よりもしわが多くえらばっているものの、その笑顔は息子同様やさしくてあたたかかった。焦りや恐怖はかけらも見受けられない。彼ほど優秀で頼もしい騎士は、レオ=デルソル中を探してもほとんどいないだろう。


「オルト、マリー様を任せた」


 目的の広間につくと、小さな王女は強い力で手を握り続ける騎士見習いの少年ごと、転移陣の中に押し込まれた。いくつもの転移陣の中に、不安顔の人々が身を寄せ合っている。女性や子ども、老人が多いが、他の人々は違うルートで脱出したのだろうか? それとも……。


「お前は騎士だ。命に代えてもあるじをお守りしろ。いいな?」


「はいっ」


 ユーリアス親子が言葉を交わしている。尊敬する父親の命令に、オルトは険しい顔でうなずいた。緊張感しかない、絶望すら感じられる表情は、父親の立ち位置に気づいたからだ。彼は転移陣の外側に立っている。王女と息子を見送ったあと、戦いに赴くのだろう。


 唇を、いや体中を震わせる息子を見て、セシリオは表情を緩めた。


「ちゃんとお姫様をぎゅっとしておくんだ。転移中に離れないようにな」


 突然いたずら好き少年のような笑みを浮かべた父親の顔を、オルトはまじまじと見つめた。こんな時でも笑える父親の精神構造を知りたかったのだ。


「こうだ」


 セシリオはテティをマリーの腕の中に返すと、オルトの腕を掴んでマリーの細い腰を抱かせた。それはこれからも二人で助け合って生きてほしいという父の願いの現れだったが、どれだけ伝わっただろうか。


 オルトは泣きそうな顔をしながらも、その口元に少しだけ照れた笑いを見せた。それを確認したセシリオは、満足げに頷いて転移陣から離れた。


「あなたは――」


「わたしも騎士です。命に代えてもあるじをお守りしてまいります」


 彼はマリーの質問に、息子に伝えたのと同じ言葉を繰り返した。夕日色の目は、ゆるぎない覚悟で燃えている。


「そんなのダメよ! あなたも逃げるの! 死んじゃう!!」


 マリーは突然叫び声をあげた。こんな時であるにもかかわらず、子どもじみた衝動が抑えられなってしまったのだ。


「マリー様」


 彼を引き留めようと両腕を伸ばすマリーを、力強く抱き戻したのはオルトだった。父に強制されたときは触れるだけだった腕が、今は息が詰まりそうなほど強い力でマリーを抱き寄せている。


 言いたいことがある。聞きたいこともある。できるならば共に逃げて欲しい。それは、息子である彼も同じ気持ちだろう。オルトの腕の力が増せば増すほど、マリーには彼の震えが強く伝わってきた。


 それでも、ユーリアス親子は「騎士」だった。騎士とは、命をかけて主君に仕える者。


 足元に描かれた幾何学模様が淡く光りはじめた。転移陣が起動したのだ。


「絶対逃げるのよ! 死んじゃダメなんだから!!」


「転移陣の行き先は、ヴィーク離宮です。(ハンナ)によろしくお伝えください」


 マリーの叫びの隙間を縫ってやさしい声で告げると、セシリオは頭のベレー帽を取って礼をした。およそ、死に臨むとは思えない優雅なしぐさで。


 その瞬間視界が歪んだ。転移がはじまったのだ。足が地面を離れ、上下の間隔が喪失する。

 誰かが驚きに声を上げるのが聞こえた。両腕で強く抱き寄せてきたのはオルトで、腕の中で身を固くした毛玉はテティ。こうなっては、暴れてももがいても無意味だ。


「ご多幸を――」


 最後まで正常に機能していた聴覚がセシリオの祈りを伝えていたが、それも全て聞くことなく消えた。転移魔法特有の内臓が裏返るような気持ち悪い浮遊感に意識を保っていられる者は多くない。


 暗転する世界で、かつての獅子王はこの国の未来を考えた。


 今回大集団で襲ってきた敵――ラミアに大きな魔力はないので、しばらくは遠距離攻撃手段を持つ騎士たちが善戦するだろう。しかし、途方もない数の敵は仲間の屍を乗り越えて前進を続け、最終的には王宮までたどり着く……。


 マリーの施した「白の守り」は、魔物の侵入を阻む効果があるが、永遠に起動し続けるものではない。守りのある間にすべての人々が王宮から脱出できればいいのだが……。


 ――どちらにせよ、王宮は放棄せざるを得ない。


 この日、六百三十年続いたレオ=デルソル国の王宮は、……陥落した。

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