王宮再来[下]
二人は膝をついたままのマリーとオルトをすぐ守れる距離で止まって、こちらに近づく集団を待った。
空には相手のものと思われる聖獣が飛んでいる。
赤と黄色の羽根を持つ尾長鳥。能力は分からないが、攻撃を仕掛けてくる気配はない。それならば、支援か索敵系統だろう。後者ならばこちらの情報は筒抜けだ。
額に汗のにじむ緊張の数秒間。その後、がれきの隙間からお互いの姿が視認できるようになった。
「見覚えのある軍服です」
イクスは瞬時にそれを確認して、両手を挙げた。敵意がないことを示しているのだ。
「おーい! テルレイオの軍人さんたちー!」
オムサナも彼らの正体が分かったようで、叫びながら両手を振っている。
銀色の縁取りがある濃紺の軍服は、レオ=デルソルの隣国「テルレイオ国」のものだ。そして、テルレイオでこんな敵地に来る集団など一つしかない。
「テルレイオの開拓軍の方ですね。僕はレオ=デルソル国北西地域の弓騎士団長イクス・クロスと申します」
イクスは騎士の規律に従って丁寧に、
「私は、サトゥメーア国にあるグラード大神殿の神殿長オムサナ!」
オムサナはスリットスカートをひらめかせて、最大限自分がラミアでないことを示しながら自己紹介した。
彼女の豪快さは、金色味を帯びた白肌をわずかに守る下着が露出するほどで、相手の何人かは慌てて自分の目元を覆い隠した。
「テルレイオ第三陸軍司令ウラノス・ストラトスだ」
その中でも表情一つ変えなかった男性が、一歩前に進み出てきた。
磨き上げた銅のような赤金色の短髪と、同色の目をした、見上げるほどの大男だ。腕も足も丸太のように太く、手の甲には血管が浮き上がり、鍛えられた首のせいで詰襟の軍服がひどく窮屈そうに見えた。彼だけは他の軍人と違い背に白のマントを付けている。と言っても、今その白色は土埃や由来を想像したくもない赤黒い液体で汚れていたが。
目も眉も吊り上がり、えらばった輪郭とも相まって厳格で感情的な印象を与えるが、大きな口の両端が上がっているおかげでそれは好意的に受け取れた。
前線を進む実行力のある指導者。そんな感じだ。
テルレイオはレオ=デルソル、サトゥメーア両国と国境を接する同盟国で、レオ=デルソルの東側サトゥメーアの南側にある。
そこの第三陸軍と言えば、俗に「開拓軍」と呼ばれる、南の大山脈を越えて「魔の眷属」の領域まで遠征をおこなう最も勇敢で武に優れた集団の一つだ。
今回は、レオ=デルソル王宮陥落の報を聞いて、誰よりも早く救援に駆け付けてくれたと言う。
自己紹介を終えたウラノスは、その赤銅色の目をイクスの後ろに向けた。
「レオ=デルソル国第二王女マリー・ソルギナックよ」
そこにはマリーがいた。片手をオルトの腕に置いて支えにしているものの、自分の足でまっすぐ立っている。
「王女?」
ウラノスは低い声でうなるように言いながら、いぶかしげに彼女の金髪から幼く丸い顔立ち、細リボンの結ばれたシャツと短いスカート、そして足元の子猫と順番に確認していった。
その顔はひどくしかめられている。子どもが戦場に何しに来たと言いたげだ。
「信じられないなら王宮を案内するわよ。間取りが以前のままなら、だけど」
「……見る影もねぇよ」
強気に冗談めかしたマリーの言葉に、ウラノスは冷たく吐き捨てた。どうやら彼の信頼はまだ得られなさそうだ。
ウラノス・ストラトスは赤銅色の髪と目をした大地族の青年で、三十代前半ほどに見えた。
彼のように若く、常に戦地を駆け回っているような人間に、オムサナやイクスの名前は通用しない。何百年も一定の場所と地位に居続ける長命人は、山や川と変わらない不変な風景の一部でしかないのだ。
ウラノスが最も反応を示したのは、最後に自己紹介したオルトに対してだった。
「騎士見習いのオルト・ユーリアスです」
「『ユーリアス』?」
その名前を聞いた瞬間、ウラノスの目が見開かれた。
「お前、セシリオ・ユーリアスの――?」
「息子です」
オルトは片手で胸元を押さえながらうなずいた。父親の名前を聞いて、心の底に沈めて見えないふりをしていた記憶と感情を思い出したのだ。
「確かに面影があるな!」
オルトの父親セシリオは、かつてテルレイオの開拓軍に所属していたと聞いている。ウラノスは彼と面識があるのだろう。それどころか、気の合う友人であったに違いない。
彼の笑顔は親友の息子と会えた喜びに満ちていた。
しかしそれは、オルトが発した次の言葉で消えてしまうのだが。
「あの、ここで父を見ましたか?」
オルトの問いに、ウラノスは一瞬狼狽したように見えた。
それだけで、すべてを理解してしまったような気がする。
石を飲み込んだようにずしりと心が重くなった。マリーの手が腕に触れていなければ、再び膝をついてしまっていたかもしれない。
「ああ、見たぜ」
それだけ言って、ウラノスは歩きはじめた。
彼に従う第三陸軍の人々は、無言でマリーたちのまわりを囲んでいる。レオ=デルソルの一行を警戒しているのではなく、彼らを外敵から守ろうとする動きだ。
ウラノスに案内されて歩く王宮は悲惨なものだった。
外回廊の柱は折れ、天井が落ちている。柱の脇には壺や彫刻などが飾られていたはずだが、多くのがれきに混ざって見つけられない。庭の木は根本から抜け、枝が折れ、無事に立っていたとしても葉が残っていなかった。
地面の凹凸は、ラミアの足跡によるものだ。ふかふかして歩き心地の良かった絨毯はすり切れ、穴が開いている。この場所もたくさんの敵が歩き回ったのだろう。城壁の上やがれきの間に倒れているのは、真っ黒いラミアの死体死体死体。
――王族の居室方向ね。
マリーは険しい顔であたりを確認しながら、ウラノスが向かう方向を見定めた。
その腕の中ではテティが顔を伏せ、オルトはまっすぐウラノスの背中だけを見つめている。後ろに立つイクスとオムサナの顔は確認できなかったが、二人とも笑っていないのは確実だ。
「このあたりは特に戦闘が激しかったみたいで、片付けきれてねぇ」
中庭に差し掛かったところで、ウラノスが口を開いた。
砕けた白大理石とラミアの死体が混ざり合っている。ラミアは四肢がもげ、骨がむき出しになり、炎に巻かれたように焦げ、ものによっては原型すらとどめていない。
中庭の中央には火が焚かれ、数人の軍人が集まっていた。どうやらラミアの死体を燃やして処分しているようだ。
煙や臭気から身を守る空気幕が、彼らのまわりを陽炎のように揺らめかせている。
マリーたちも白の守りの中にいるので、焦げ臭い程度で済んでいたが、守りの外に出れば目鼻を突く煙と腐臭に満ちているのだろう。
そんな死臭漂う中を、場違いな蝶が一匹飛んでいた。
シルクのように薄くて滑らかな翅は白色で、後ろ翅は観賞魚の尾びれのように長く尾を引いてなびいている。ゆっくり翅を上下させるたびに、白い光の粉が空気中に舞っては消えた。
「……フォスフォース」
まっすぐオルトに向かって飛んで来たそれは、間違いなく彼の父親セシリオ・ユーリアスの聖獣だ。
聖獣は致命傷を負わない限り主人が死ぬまで生き続けるが、主人が死ぬとほどなくして消えてしまう。フォスフォースが残っているならば、父はまだ生きているのだろうか。
淡い期待に、オルトの足が速まった。
「おい、『守り』から出るな!」
ウラノスが注意を促すが、少年の耳には入らなかった。
「オルト!」
代わりにマリーがオルトに合わせた。
白の守りを作り出し、彼とその頭に伏せるインディゴと自分を守る。
二人は白い蝶に導かれるままに、宮殿を奥へと進んだ。その後ろをウラノスたちが足早に追いかける。
――ここは王家の庭ね。
最終的にたどり着いたのは、王族の私的空間に面する中庭だった。
かつては白薔薇が咲き乱れ、中央には噴水があったのだが、その名残は踏み折られたとげのある茂みと、わずかに水を残す砕けた泉くらいだ。現在はウラノスたちの野営地になっていて、テントや天幕がいくつも張られていた。
オルトはその横をわき目もふらずに駆け抜けていく。マリーも同様だ。
そして、見えた。
オルトが追いかけているのと同じ白い蝶が複数匹何かにとまっている。何か、というのはあまり考えたくないものだ。
「……父様?」
力ないつぶやきが、少年の口から漏れた。




