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平和の終わり[上]


  * * *


 マリーに獅子(しし)王の意志が目覚めて五年後。


「子猫姫マリー・ソルギナック」に転生した「獅子王」の戸惑いは、さほど長引かなかった。

 結局は、今までの転生と何も変わらない。記憶や経験は受け継いでいるが、性格や気質は全くの別人。頭の中に詳細で正確な図書館があると考えれば良いだろうか。彼女の根底にある魂は間違いなく「マリー」で、少女としての生活には思いのほか早く適応できた。


 ただ、まったく問題がないわけでもない。


「マリー様、今朝のお花とお菓子をお持ちしました」


「お菓子!!」


 その単語に、マリーは座っていたベッドから飛び出した。

 部屋に入ってきた少年の持つバスケットに、おいしい焼き菓子が入っているはずだ。背伸びをしてバスケットの中を覗き込めば、布ナプキンの下に型抜きされたクッキーがある。


「今日はお星さまとお花のクッキーね! やったぁ!!」


 いつも高い声でそう叫んで、はっとするのだ。


「……ごめんなさい。はしたなかったわ」


 マリーの抱える問題はコレだった。彼女の中には五人分の大人の記憶があるにもかかわらず、「少女マリー」の感情が抑えられない時がある。


 転生した瞬間は、ドレスにリボンやフリルは不要だと思ったにもかかわらず、「ピンクリボンのドレスを着たい!」とか、「人魚(マーフォーク)さんみたいな青いフリルのドレスがいいの!」とか繰り返し駄々(だだ)をこねてしまった。フリルの多いドレスも、下着を重ね着してふんわり広げたスカートもかわいくて、いつの間にか大好きになっていた。


 前世や前々世でも子ども時代はこうだっただろうかと記憶をたどってみたが、治世やシャンドレに関係のない記憶はおぼろげだ。マリーの心が成長を遂げれば落ち着くはずだが、それまであと何百回少女の衝動に振り回されるのか、予想がつかない。


「いえ、お気になさらず」


 お菓子を持ってきた少年は口の端を上下させて、まじめな顔をするべきか笑顔を浮かべるべきか悩んだあと、小さく笑ってみせた。


「ありがとう」


 マリーは羞恥心を隠すために、品の良い大人びた笑顔を浮かべて少年に礼を言った。


 マリーの中で獅子王の記憶が目覚めてから、五年の月日が流れ、マリーは十歳になった。一.四ルールト(※ 一ルールト=約一メートル)ほどまで背が伸び、ほほの丸みは減りつつある。

 髪の毛は長すぎると邪魔なので、腰の長さで切りそろえた。緩やかなウエーブを作り出すために毎晩みつあみにして寝るのは、マリーに獅子王の意識が目覚める前から続く習慣だ。


「白薔薇はアダン二世が婚約の際、王妃に贈ったお花だと言われているのはご存知ですか?」


 焼き菓子と一緒に持ってきたバラの花をガラスの花瓶に()けながら、少年騎士見習いが尋ねた。


 炎のように赤い癖毛とオレンジ色のたれ目をした大地(テラ)族出身の少年だ。燃えるような情熱の色彩と穏やかでやさしい表情がチグハグに思えるが、マリーは彼の容姿を気に入っている。決して目を見張るような美少年というわけではない。しかし、表情やしぐさの節々に見える丁寧で誠実な様子が好ましかった。


 マリーと同じ十歳の彼は、年の割に長身で年齢よりもいくつか大人びて見えた。といっても、十歳が十二、三歳に見えるだけなので、子どもであることに変わりはない。


 彼が身に着けている濃いえんじ色の襟付き軍服は騎士の装いで、襟の内側には白いシャツと深紅(しんく)のネクタイがわずかに見えている。白いシャツと所属地域ごとに色が違うネクタイ、上着、頭に上着と同色のベレー帽をかぶるのが騎士見習いの正装だ。


 ただ、彼の場合はベレーの上に背が藍色、腹が薄黄色のサギに似た首長鳥型聖獣を乗せているので、少し間抜けに見えてしまう。今はまだ身長一.五八ルールトなので問題ないが、大人になった時頭に聖獣を乗せたままドアを通れるだろうか、と言うのがこの少年の悩みの一つだ。


 ちなみに少年の名前はオルト・ユーリアスで、頭上の聖獣はインディゴと言う。オルトの父親は国王の側近中の側近である近衛騎士だ。


「『穢れを知らぬ白薔薇が、いつまでも白く咲き続けられるように』」


 マリーは前世の自分が紡いだ言葉を、二百年の時を経て再度口にした。


「その通りです! 王妃の日誌にしか残っていないアダン二世の言葉なのに、よくご存じですね!」


 オルトは夕焼けに染まった平原を思わせる瞳をキラキラと輝かせた。彼は歴代の「獅子王」を深く敬愛しており、獅子王に関するありとあらゆる伝説や記録を読み漁っているのだ。


 彼のプロフィールをまとめるのなら、


レオ=デルソル国 騎士見習い「オルト・ユーリアス」

出身:大地(テラ)

聖獣:インディゴ『首長鳥型』

特徴:獅子王オタク  となるだろう。


 ――まぁ、言った本人だからね。


 マリーは心の中でオルトに返事した。


「歴代の獅子王たちはみんな、白い花を好んでいたそうです。アダン二世の王妃の日誌には、彼の白薔薇愛が詳細に書かれていて、とっても興味深いですよ!」


「白は魔に染まりやすいのよね」


 早口で説明するオルトとは対照的に、ゆっくりした口調で語るマリー。クッキーのかすがついた指を伸ばしてバラに触れると、マリーの魔力に呼応した花びらが一層白さを増して輝いた。転生するたびに国土を白い花で埋めるよう指示してきたが、現在その命令はどれほど守られているだろう?


 マリーは、五番目の「獅子王」アダン二世の玄孫(やしゃご)のさらに玄孫にあたる王女で、前回の人生を終えて百年経った未来に転生した。アダン二世でさえ、過去の人。それよりもさらに古い「獅子王」たちの話はさらに薄まり、脚色され、伝説の物語となりつつある。


 ――私がこの時代に転生したのは、「獅子王」の指示を再度国中に行き渡らせるためなのかしら?


 マリーは無意識にバスケット内のクッキーをつまみながら、すっかり慣れた女性口調で思考した。


 紅茶と茶菓子の準備をしようとしたオルトが、ほとんど食べ尽くされたクッキーに気づいて小さく笑ったのは、彼とテーブル端でくつろぐ子猫(テティ)だけの秘密だ。

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