離宮脱出
ヴィーク離宮を抜け出すのは非常に簡単だった。マリーは図面にも記録にも残っていない秘密の抜け道をたくさん知っているのだから。
首輪を外したテティが斥候として先を歩き、無人を確認した彼女のしっぽの合図でマリーとオルトがすばやく進む。
マリーはいつもの黒ドレスではなく、動きやすい衣装だ。七分袖のオフホワイトのシャツと、襟元に結んだ真紅の細リボン。ひざ丈よりもさらに短い青のチェックスカートの下には、黒いスパッツを履いている。
――オムサナ……。
動きやすさは申し分ないが、マリーはこの服装を提案した白ワンピースの少女を呪わずにはいられなかった。
生まれた時からロング丈のドレスばかりを着てきたマリーにとって、生足をさらすのは違和感しかない。前世を含めても、入浴や水泳を除いてこれほど下半身が無防備になったのは初めてではないだろうか。
「動きやすい上に、最近の流行だよー!」
とオムサナは悪気ない様子で言っていたが、彼女に衣装調達を頼んだのは間違いだったと、マリーはすでに確信している。
転んだりぶつけたりして足を怪我しないか心配だし、ずっと隠していた部位を誰かに見られていると思うと平常心が乱れる。
特に気になるのはオルトだ。
歩くたびにすねを撫でる風が視線のように感じられて、マリーは何度も離れたところを歩く少年を振り返ってしまった。
見られても害はないはずなのに、どうしても気にかかってしまう。正直に表現すれば、「恥ずかしい」のだ。
一方のオルトは最後尾で振り返りながら誰も来ないことを確認しており、マリーと目が合ったとしても一瞬。羞恥心でもやもやするマリーよりも、まじめに自分の仕事をこなしている。
――私もちゃんとしないと。
マリーは自分のほほをペシペシと叩いた。
きつく編んで団子にまとめた髪が崩れていないか触って確かめたあと、再び歩みを進める。目指すは、自室から最も近い秘密通路への入り口だ。
見た目は何の変哲もない、廊下の一部。しかし、小声で呪文を唱えながら壁の下方をつま先で押すと、長方形の大理石タイルが音もなく動いた。
――ちゃんと生きているようね。
それを確認して、マリーは通路の左右で見張りに立つオルトとテティを手招きした。
二人が音もなく駆け寄ってくる。
いつも頭の上に座っているインディゴは、オルトの脇に抱えられておとなしくしていた。
「短距離転移陣なの」
集まったひとりと二匹に小さな声で伝えて、マリーはためらいなくオルトの手を握った。彼が突然の接触に顔を赤くしたが、幸いなことにマリーは気づいていない。胸に飛び込んでくるテティを片腕で器用に受け止めると、マリーはつま先で踏んでいた転移陣を起動させた。
浮遊感。
しかし、それは王宮を脱出した時よりもはるかに短く、ワープの気持ち悪さを感じた瞬間には終わっていた。移動距離はほんの数十ルールトくらいだろう。
「ここは?」
地に足がついて一呼吸したあと、ささやいたのはオルトだ。
石の通路のようだが、壁にも床にも苔が生い茂っている。窓やあかりの類がまったくないのに明るいのは、この苔が薄黄緑色の光をはなっているおかげらしい。
「地下の隠し通路よ。この感じだと、誰も使ってなさそうね」
苔に踏まれた跡がないことを確認して、マリーは歩きはじめた。
オルトの手を握ったままだったことを思い出して、慌てて離すのはお約束だ。
先頭に尻尾をぴんと立てたテティ、その後ろにマリー、オルトと続き、最後をインディゴが物珍しげに歩いている。彼が長い首であたりを見回したり、くちばしで光る苔をつかんだりするので、オルトは時々振り返って、自分の相棒がちゃんとついて来ているか確認しなければならなかった。
しかし、ここまで来れば離宮を脱出したも同然。あとは地下通路の出口まで歩いて、用意されている転移陣で地上に戻る。そして、イクスやオムサナとの待ち合わせ場所へ向かうだけだ。




