サトゥメーアのオムサナ[上]
「おっ、ヘルドじゃん。なんかかわいくなったー?」
彼女の第一声は、そんな言葉だった。
場所は見晴らしの良い外回廊。
等間隔に並ぶ白い柱の間を歩きながら、マリーはゆっくりと振り返った。「ヘルド」と言えば、近隣国との同盟を結成した四番目の獅子王の名前だが、別人を呼んでいることもありうる。
彼女と共に歩いていたオルト・ユーリアスとイクス・クロスの反応はもっと小さかった。もちろん最大限の警戒はしているものの、近くにいる他の誰かを呼んだと思ったのだ。
しかし、声の主が呼んだのは間違いなくマリーだった。青紫色の目が真っ直ぐマリーを見ていたから。
潮の匂いを運ぶ風に黒い髪がなびき、陽光を反射してきらりと青く光った。
見た目は十代後半の少女。大きく両手を振りながら駆け寄る様子は明るく快活で、色白の肌はほのかに黄金色を帯びている。背を流れる長い黒髪は癖がなくまっすぐで、見る方向によって青や緑にきらめいた。ぱっちりとした大きな目とそれを囲む長いまつ毛、嬉しそうに笑う口からのぞく尖った犬歯。レオ=デルソルはもちろん、周辺国に暮らすどの種族にも見られない、あまりにも特徴的すぎる色彩。
記憶を巡らせるまでもなく、マリーは彼女のことを思い出した。しかし、彼女に会ったのははるか昔。
マリーは慌ててあたりに目を走らせると、声が届く範囲に人がいないことを確認した。
「……久しいわね、オムサナ。三百五十年ぶりくらい、かしら?」
声に吐息が多くなるのは、街中で友人にばったり出会ったくらいの気軽さで話しかけてきた彼女に呆れてしまったからだ。簡単に正体を見抜かれた驚きを忘れさせるほど、彼女オムサナの言動はお気楽だった。
「うーん、たぶん?」
オムサナは昨日別れたばかりのようなゆるさで、きょとんと首を傾げている。
「失礼ですが、彼女は――?」
マリーを部屋に護送していたイクスが口を開いた。お互いの反応から敵ではないと理解しつつも、その表情には警戒の色がある。
オルトは素早く白いスカートから覗く彼女の足が人間と同じものであることと、アンポルトの石を見て、彼女が魔の眷属でないことを確かめた。
「彼女の名前はオムサナ」
マリーはそう紹介して、少し口ごもってしまった。彼女とはヘルドの時代に幾度となく話したが、それでも謎の方が多いのだ。
「最後に会ったのは、三百年以上前だから今の立場は知らないけれど……。なんと言うか……、不思議な人よ」
「昔と変わらず、グラード大神殿の神殿長だよ」
レオ=デルソル国と国境を接するサトゥメーア国の首都にあるグラード大神殿。
一般の民衆が参拝を許されている神殿の中では最も格が高く、サトゥメーア国が抱える「勇者」の活動拠点にもなっている。
グラード大神殿長、オムサナ。
種族、不明。聖獣、なし。特徴、永遠を生きる謎の少女。
マリーが知るのはそれだけ。いや、他の誰もが同じ状態だろう。
「やっほー。よろしくねー」
まわりの困惑など素知らぬ風で、オムサナは陽気にあいさつしてみせた。
* * *
「それで、オムサナ様はどんなご用件でいらっしゃったのですか?」
話の場はマリーの部屋に移された。
マリーはいつものようにベッドの端に座り、その横にはイクスが立っている。まだオムサナを警戒しているのか、彼の笑みは口元にしかない。
「私の紅茶、とびっきり甘くしてねー。ミルクもいるから」
一方のオムサナはイスに深く腰掛けて、紅茶の準備をするオルトに指示を出している。
自分の言葉を無視されたイクスの目元が、いらだちにピクピクけいれんした。
「んで、ここに来た理由だっけ?」
オムサナが話しはじめたのは、蜂蜜たっぷりの甘い紅茶を飲み干してからだった。
「ここに来たばっかで、何も飲んでなくてね」
と言うのが彼女の言い分だ。
「理由は二つだよ」
オムサナは空っぽになったティーカップをテーブルに戻すと、親指と人差し指を立てて、「二」と示して見せた。
「まずは、ソルギナック王家の王女をうちの神殿であずかってると伝えに」
「よかった」
そうつぶやいたのはオルトだ。無意識に発した言葉だったようで、慌てて自分の口を押さえている。
「ただ、転移の後遺症がひどくて、こっちに移動できるようになるにはあと半月くらいかかるかも」
「それでも、無事を確認できて本当に良かったわ」
マリーが横に立つイクスに目配せすると、彼はすぐに通信呪文を起動して、第一王女ルーラの無事を報告した。
「もう一つは、レオ=デルソルの神官長がラミアだったって話を詳しく知りたくて」
オムサナの明るい表情が、わずかに真剣みを増した。目を細め、あごを引いただけで十代後半に見えていた彼女の容姿は、十歳ほど大人びて見える。
「それならちょうどいいわ。そのラミアを発見して倒したのは、私たちだから」
マリーは彼女以上に真剣な表情でうなずくと、当時の出来事をつまびらかに語った。




