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イクス・クロスの思い出[上]

 神官長がラミアだったというニュースは、ヴィーク離宮中を震撼させた。


「マリー様が転んでしがみついた拍子に服が破れて発覚したらしい」


「いったいいつから?」


「ここは安全なのか?」


「弓騎士団長のクロスが退治したんだと」


「王宮から逃げ出すときに入れ替わったのでは?」


「他の神官たちは気づかなかったのか!?」


「他にもラミアがいるんじゃ……」


 離宮内では様々な不安と憶測が行きかい、人々は疑心暗鬼になっている。


 良くない状況だと多くの人が気づいていたが、誰もが自分の身を守るのに必死で必要な対策をとれなかった。かつての「獅子王」マリー・ソルギナックを除いて。


 しかし、彼女が作戦を実行するためには、仲間が必要だった。マリーとオルトとその聖獣たちだけでは、行けない場所、会えない人、できないことがたくさんある。マリーは国王や王子の代理を務めるただの少女としか思われていないし、オルトは騎士の中でも最低位「見習い」だ。


 そこで目をつけたのが、目の前に座るイクス・クロスだった。長命亜人種族エルフ族の出身かつ、レオ=デルソル北西部で弓兵団のトップを務める司令官クラスの騎士。彼がいてくれれば、大きな助けになるだろう。


「じゃあ、はじめましょう」


 マリーはいつものようにベッドの端に座って、目の前のイスに座るイクスを見た。

 二人から少し離れた場所にはオルトが立っている。


 部屋の窓は締め切られ、室内にゆりの香りが充満していた。部屋に飾られた白ゆりは見る分には美しいものの、強い匂いが玉に(きず)だ。


「……尋問のようで緊張しますね」


 言葉とは裏腹に、イクスの笑みには余裕が感じられる。


「くつろいでいいわ。オルト、紅茶を入れて頂戴。彼と私と、あとあなたの分もね」


「はい」


 マリーの指示で、オルトは動きはじめた。頭にインディゴを乗せたまま、慣れた様子でお湯を沸かし、紅茶葉を入れたポットに注いでいく。彼の得意魔法は炎や熱に関するものなので、熱い紅茶の準備はお手の物だ。


「彼は?」


 その様子を見ながら、イクスが尋ねた。確かに正式な紹介はまだしていなかったかもしれない。


「彼は騎士見習いのオルト・ユーリアスよ。父親は近衛騎士団のセシリオ・ユーリアス。セシリオはご存知かしら?」


「ええ、もちろん。十歳の時にテルレイオの開拓軍に志願して数々の武勲を立て、三十代半ばでレオ=デルソルの近衛騎士団に引き抜かれたとか」


 開拓軍とは、レオ=デルソルの隣国「テルレイオ」に所属する魔法陸軍の一つだ。その任務は、魔の眷属との境界線である南の山脈を越えて国土を拡張すること。このことから、テルレイオは「破魔国」とも呼ばれている。


「よくご存知ね」


 マリーは素直に感心した。


「強そうな戦士の情報収集は欠かせませんので」


 イクスの赤い目がギラリと光った。


「ということは、彼もそれなりの戦士、と?」


 その好戦的な目のまま、イクスはカップへ紅茶を注ぎ分けるオルトの背を見た。オルトはびくりと背筋を震わせたものの、振り返らない。


「五年、十年後に期待ね」


 マリーは遠回しに今はまだひよっこだと伝えた。しかし、あと何年かすれば背が伸び切り、魔術的成熟も迎えるだろう。


「でも、今でも心優しくて気が回って、優秀な騎士よ」


「へぇ」


 納得の声を漏らしたものの、イクスの表情はすでにオルトへの関心を失いつつある。戦闘力的な強さ以外は求めていないとでも言うように。


「姫様は僕を仲間にしたいとおっしゃっていましたね」


 そして、イクスの赤い目が再びマリーに戻された。その口元には、すでにいつもの笑みが浮かんでいる。


「信頼し合える、ね。私はもうあなたを信頼しているから、あなたが私をどれだけ信頼できるか次第だけれど。でも安心してくれていいわ。あなたは私を信じざるを得なくなるもの」


 マリーは挑戦的に口の端を釣り上げた。それにつられるようにイクスも笑みを深める。


「いったい、僕は何をされるのでしょう?」


と嬉しそうに言いながら。


「私は――」


 話を切り出しながら、マリーはパチンと指を鳴らした。


 ――防音幕……。


 内側の音を外側に漏れないようにする隠密魔法の一つだ。

 オルトは防音幕の外側に取り残されないよう、静かに二人に近づいた。


「――とある人物の記憶と経験を引き継いでいるの。『転生』って言うのかしら」


 その間にも、マリーは話し続けている。話の合間に紅茶を傾ける様子は、洗練された令嬢そのものだ。


「それは、にわかには信じがたい現象です」


 一方のイクスは、テーブル上のカップに手をつけない。足を組んで、猜疑心のこもる視線でマリーを見ている。


「でしょうね。でも、すぐにわかるわ」


 マリーは言うと、行儀悪くベッドの上にティーカップとソーサーを置き、ベッドから立ち上がった。彼女が向かうのは紅茶の置かれたサイドテーブルだ。紅茶とティーポット、ミルクと蜂蜜の小瓶。あとは以前オルトが作ってくれた造花の白薔薇が置かれている。


 かちゃりと食器のふれ合う音がしたものの、イクスとオルトの位置からは、マリーの波打つ金髪が邪魔で彼女が何をしているのか見えなかった。紅茶に細工をしているのか、他の目的があるのか。


 振り返ったマリーは軽く拳を握って、ゆっくりとイクスの目の前に立った。


「…………」


 イクスは組んでいた足を下ろし、笑みを消した警戒の表情でマリーを見ている。


 そんな彼に向かって、マリーはゆっくりと手を開いて差し出した。正面ではなく、左肩の方。その先には、イクスの聖獣がいる。肩の上に座り、イクスの銀髪を編んで遊んでいたリスザルは、突然目の前に突き出された手の主をきょとんと見上げた。


「『マミクロ』」


 笑顔を浮かべたマリーは、聖獣の名前を呼んだ。リスザルの丸い目の前で指先を振ると、彼はマリーの指に絡められた蜂蜜に気づいたようで、大喜びで彼女の手に飛び乗った。


「この子の能力は、怪力と体の大きさを自在に変えられること」


 夢中で指についた蜂蜜を舐めとるリスザルをもう片方の手で撫でながら、マリーは聖獣の能力までもを口にした。


「違うかしら?」


「……おやおや」


 イクスの返答には短い間があった。


 彼の重心移動に伴って、イスの背もたれがきしむ。片手で口元を覆い隠した彼の表情は読めない。その下で笑っているのか、それとももっと違う表情をしているのか。


 二人のやり取りを見ながら、オルトはイクスが聖獣の名前を呼んでいなかったことを思い出した。

 彼は常にリスザルのことを「相棒」と言っていた。マリーはイクスが隠していた聖獣の名前とその能力をぴたりと言い当てたのだ。

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