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弱った神と裏切者[下]

「オルト、インディゴ」


 マリーはテティを抱え直すと、インディゴを取り囲む輪に急いで駆け寄った。想定していたものとは違う芝居を打たなければならない。


「ごめんなさい、神官長さ――」


 彼らとの距離が十分に縮まったところで、マリーはわざと自分の足を絡ませた。


「きゃ」「にゃー!!」


 マリーとのテティの悲鳴が響く。


「まったく」


 ため息交じりのイクスの魔法がマリーの胴を支えるのが分かったが、マリーはすばやくそれを打ち消し、神官長に倒れ掛かった。


「にゃー!!」


 テティが叫びながらどこかに逃れようと暴れている。しかし、マリーは猫の脇を掴んで、絶対に放さなかった。


 助けを求めてもがく猫の爪が神官長のローブに引っかかる。


 ――今ね。


 マリーは呪文を発動させた。


 ――『裁断』。


 布を切ったり、草を刈ったりするときに使う平凡な日常魔法だ。


 ビリリ。


 マリーの呪文によって、神官長の纏う衣服は腰から下をずたずたに引き裂かれた。テティの爪が引っかかり、マリーも死に物狂いで彼の腰にしがみついた。そのせいで起こった不幸な事故、ということにするつもりだ。


 しかし、事態はそれどころではなくなった。


「……っ!」


 引き裂かれた服を見て、イクスが息をのむのが分かった。

 マリーも自分の最悪の予想が当たってしまったのだと知った。


 善良な中年男性に見えた神官長の足は、毛の生えた獣のものだったのだ。


「イクス・クロス!」


 マリーが叫ぶのとイクスが動くのが同時だった。


 ――『拘束』。


「相棒!」


 手のひらを掲げたマリーが呪文を使うのと、イクスが自分の聖獣を呼ぶのも。


 イクスの合図で、インディゴの首につかまっていたリスザルが神官長の顔に跳びついた。その次の瞬間には、一瞬で間合いを詰めたイクスのナイフが神官長の胸に深々と突き刺さっている。ナイフを回して引き抜くと、勢い良く血がほとばしった。


「ラ、ラミア!」


 一番最後に状況を理解したオルトが叫んだころには、半人半獣の神官長はこと切れるところだった。


 短い静寂。

 神官長の魔力で光っていたランタンが急速に輝きを失っていく。

 マリーは自分から最も近いものにだけ魔力を送り込み、再度光をともした。


「……なるほど」


 最初に口を開いたのは、歴戦の騎士であるイクスだった。ランタンの白い光の下に横たわる屍をまっすぐ見下ろしている。その顔にいつもの笑みはない。


「これは、間違いなくラミアですね」


 イクスが皮のブーツのつま先で神官長のローブを払いのけると、人と獣の継ぎ目がはっきりと確認できた。上半身は人間、太ももは人の肌と毛皮がグラデーションになり、膝から下はすっかり鹿の脚になっている。靴を脱がせば、その下に立派な蹄もあるだろう。


「そうね」


 マリーはテティを抱え上げながらうなずいた。幸い、返り血はイクスの魔法のおかげでついていない。


「あなたを利用しちゃったわ。ごめんね」


 子猫は全身の毛を逆立てた状態で、必死に自分のつま先をなめている。神官長の服を引き裂いた感触が忘れられないのだろう。

 マリーはそんなテティの両前足をやさしく撫でると、ラミアの亡骸から一番遠い部屋のすみに移動させた。


「姫様は全く驚かないんですね。僕でさえ心臓が飛び出しそうなほどドキドキしているのに」


 それを見送りながら言うのはイクスだ。


「そうは見えないわよ」


 調子を取り戻しつつあるイクスのぎこちない笑みをマリーは確認した。


「ラミアが神官長に成り代わっていると、分かっていたのですか?」


「いいえ。でも、可能性は考えていたわ」


 イクスに答えながら、今度はオルトに歩み寄る。騎士見習いとは言え、目の前でラミアが殺される光景は衝撃的だったろう。


「大丈夫?」


 マリーは背伸びしてオルトの目元を小さな手で覆った。彼の瞬きを忘れた目が、いまだに床に転がるラミアを見ていたから。


「あ……」


 マリーの手が触れてやっと、オルトは我に返ったようだった。手のひらをオルトのまつげが撫でるのがわかる。


「だいじょうぶ、です」


 そう口にする頃には、彼の目は自分より下にあるマリーの顔を見下ろしていた。まだ血の気は薄いが、その顔にはマリーを安心させようとする笑みも浮かんでいる。


「それなら、テティをお願いできるかしら」


「はい」


 うなずいてテティのもとへ向かう足取りはぎこちなかったが、介助が必要なほどでもない。


「あの花、先ほどまでは白くありませんでしたか?」


 マリー同様にオルトを見送るイクスは、彼の胸ポケットに飾られたゆりの花の変化に気づいた。


「そうね。白い花にとある魔法を込めると、魔物が近づいた時色が変わるの」


「先に教えて頂ければ良かったのに」


「先に教えて、あなたは信じたかしら?」


 マリーの答えに、イクスは顔をしかめた。たぶん信じなかっただろうと、その顔は雄弁に答えている。


「でも、私はあなたを信頼してるわよ。『獅子王』アダン二世の頃から弓術兵をまとめている、毒舌家だけど道理はわきまえた騎士の中の騎士」


 魔法をかけた白ゆりは、イクスの近くにあっても魔に染まらなかった。彼が信頼できる騎士であるのは間違いない。


「それは、ありがたい評価ですが……」


 イクスの言葉は歯切れ悪い。その目は慎重にマリーを観察している。彼女の正体を見極めるように。


 子猫姫はそれを正面から受け止めた。いまさら震えはじめた手を強く握りしめながら。


「それで、ここからが大事なことなのだけれど、私には仲間が必要なの。『真に信頼し合える仲間』が」


 マリーは精一杯背伸びして、笑みの消えたイクスの顔を見上げた。できるだけ、威圧感を込めて。


「だから、私の話を聞きなさい、イクス・クロス」

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