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プロローグ:最後の転生

 太陽国レオ=デルソルに現れる英雄「獅子(しし)王」が転生者であることは、誰も知らない。


「獅子王」の愛称で知られる老人アダン二世は、いたずら好きだった百年前の童心(どうしん)を思い出して小さく笑った。彼が五人分の人生を歩んできたことは、自分だけの秘密なのだ。


 奴隷だった人々を救い出した「解放の英雄」と、人間の住む国をつくるために戦った「建国の英雄」、安全に住める都市を築き国内を安定させた「統一の英雄」、そして周辺国や亜人種たちとの協力関係を完成させた「同盟の英雄」。この四人の英雄がすべて自分であると教えたら、周りの人々はどんな顔をするだろう。


 目と口を太陽のように丸くして驚くだろうか?

 妄想と現実の区別がつかなくなったと心配するだろうか?


 どちらの反応が見られたとしても、彼にとっては非常に愉快なことだった。ただ残念なのは、彼にそのいたずらを仕掛ける力が残っていないことだろう。


 開いているはずの目は、白い光と黒い闇、赤い血潮がまだらになって像を結ばない。耳はたくさんの声を拾ってくるが、その内容は不明瞭だ。肌に触れているのは寝具だろうか。撫でてシルクの感触を確かめる筋力はとうに消え失せていた。


 唯一確信できるのは、左腕にかかる重みだけ。相棒のオスライオン「レオン」だ。あらゆる感覚が消えつつある中でもそれだけはわかる。ベッドの横に座って、あるじの腕に頭を乗せる姿がはっきりと脳裏に浮かんだ。レオンは神から授かった「聖獣」で、自分の半身とも言える存在だった。


 ――こいつとも、そろそろお別れか……。


 老人は最期の力を振り絞って、相棒のたてがみを指先に絡めた。百年以上生きた彼は、次の世界へと旅立とうとしている。


 ――いや、次の世界はないかもな。


 老人の乾燥してひび割れた唇が震えた。それは死の恐怖ではなく、安堵の笑みによるものだ。


 四人の英雄として転生を繰り返した彼の五回目の人生は、とても平和だった。大地は富み、争いや差別はなく、幸福に満ちていた。きっと、この人生はレオ=デルソルの建国と安定に奮闘した自分へ与えられた、ご褒美だったのだろう。この国はもう大丈夫だから安心して眠れという、神からのメッセージなのだ。


 ――もう目覚めることはないだろう。


 最後の獅子王は、今際(いまわ)のきわに目を閉じながら思った。「五番目の獅子王」アダン二世の偉業はただ一つ、どの王よりも長く生きたこと。彼のまわりには、子や孫はもちろん、ひ孫、さらにその子どもの玄孫(やしゃご)まで集まっている。国王として百年以上も国の平和を見守り、たくさんの子孫と頼もしい仲間に見送られながら生を終える。最高の最期だ。


 ――この国は、百年先も、千年先も安泰だ。


 そんな確信とともに、最後の息を吐き出して――。


 獅子王ははっと目を覚ました。


 ――体が動く。


 それは、年老いたアダン二世の肉体とは全く違う動きだった。ベッドに跳び起きて見下ろした両手は小さい。


 ――また、転生した。


 子ども特有の柔らかなほほに触れながら、そう確信した。しかし、なぜ? レオ=デルソルはあんなに平和で――。


「いつになく激しいお目覚めね」


 鼻にかかるようなしわがれた女声に、ちりんという鈴音。獅子王は思考を一時中止して、声の方に視線を向けた。ベッド横の絨毯(じゅうたん)で毛づくろいしながらこちらを見上げているのは、太陽のような金色の体毛で覆われた聖獣だ。しかし、獅子王がいつも従えてきたオスライオンではない。たてがみのない、というかこれは――。


子猫(キティ)?」


「テティよ。寝ぼけてるの?」


 金毛の子猫は軽やかなステップでベッドに飛び乗ると、獅子王の鼻に自分の鼻をくっつけてあいさつした。


「おはよう、マリー」


「マリー!?」


 それは明らかに女性の名前だった。


 ――それが、今回の名前?


 驚いた獅子王は慌てて辺りを見回した。壁と床に白大理石を用いたこの建物は知っている。間違いなくかつての自分が建築を指示し、それ以降の王族が代々暮らしてきたレオ=デルソル国の王宮だ。「神の山(アンポルト)」と呼ばれる真っ白い岩山のふもとに建つ白大理石造りの巨大な宮殿。


 しかし違う。今は現在地の確認ではなく、探し物をしているのだ。獅子王が部屋のすみを見ると、目当てのものはすぐに見つかった。壁に固定された細かな金縁装飾の美しい鏡。そこに写るのは、五歳くらいの――。


「女の子おぉぉぉ!??」


 六番目の獅子王は叫びながらベッドを転げ落ちると、半ば()うようにして鏡の前にすばやく駆け寄った。しかし、近くで見ても変わらない。


「なんで? ……なんで!?」


 見返してくるのは、五歳くらいの少女だ。寝起きで乱れた前髪。四本のみつあみにされた長い髪は、歴代の獅子王が自慢としていた金髪より少し色が薄い。アーモンド型の目の色は良く晴れた青空のような明るい青で、ほほはぷっくりまるみを帯びている。肌は白く、ほほと唇はピンク色で愛らしいが、今はそんなことどうでも良い。


 身に着けているのは生成り生地で作られた、締め付けの少ない就寝用のドレスだ。いたるところに飾られたリボンやフリルは必要なのだろうか? いや、必要ない。動きにくいだけではないか!


 ――いや、でも。何かしらの事情で、王子を女の子として育てないといけなくなっているとか。


 現実を受け入れられない獅子王の脳内は、今まで転生した五人分の知識を使って何とか自分が男児である可能性を考えている。しかし、そんな思考よりももっと簡単に、自分の性別を確認できる方法を忘れていたわけではなかった。


 小さな手が、そっとドレスの上から自分の股上をなぞった。


「……ない」


 いくら子どものものであっても、布のたっぷりしたドレスの上からであっても、五回も男の人生を歩んできた獅子王が「ソレ」に気づけないはずはない。


 彼の――いや、彼女の膝から力が抜けた。


「マリー、大丈夫?」


 ちりんちりんと首元の鈴を鳴らしながら、子猫の聖獣が歩み寄ってくる。


「大丈夫じゃない……」


 そうつぶやいて、自分の声が高くかわいらしい少女のものであることに気づいた。もはや信じたくなくても、認めるしかない。


 レオ=デルソルを建国し支えてきた英雄「獅子王」は、「子猫姫」に転生してしまったのだ。

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