1. 今日は貴重なデートの一日 ☆
四月のとある土曜日。
午前十時に、私は大阪梅田の紀伊国屋書店前『ビッグマン』前に来ていた。
「あ、岡田君! ここ、ここ!」
人混みの中から岡田君が現れると、周囲をぐるりと見回しながら呟いた。
「それにしても、すごい待ち合わせの数だよな」
ここは、梅北の有名な待ち合わせスポット。
とにかくものすごい人・人・人。
大学に入学して新歓コンパの席で、「大阪キタで待ち合わせるなら絶対ここ!」と先輩に教えられた。
岡田君は高校三年の時の元クラスメート。
同じ図書委員になってよく喋っているうちに意識するようになり、夏休みに入る直前、図書館で勉強しているときに告白された。
『俺、藤本のこと好きなんだ』
それは混じりけのないストレートな言葉だった。
それ以来、喧嘩することもなくつきあっている私の大切な彼。
そして、二人とも受験に無事合格して、晴れて大学生。
地元を離れて私は神戸の大学、岡田君は大阪の大学に入学し、一人暮らしを始めたばかり。
関西に来て早三週間。
でも、毎日が忙しすぎて、LINEのやりとりはしているものの岡田君に逢うのはこっちでは初めて。
今日は、貴重なデートの一日。
「まだ昼飯にはちょい早いけど。どこで食う?」
「ここの地下街に食べるとこがあるみたい。とりあえず、行ってみない?」
「そうだな」
なにせ二人ともお上りさん。
どこに何があるか、まだ全然わからない。
それで、スマホを頼りに目的地を目指す。
今までは受験生でデートもろくにままならなかったし、たまに外で会っても門限が厳しかった。
でも、これからは自分の好きなときにいつでも、何時間でも岡田君に会えるんだ。
それを思うとワクワク、ドキドキ胸が高鳴る。
おつきあいを始めた頃は暑さ厳しい夏だったけれど、季節は巡り、今や気持ちのいい春爛漫。麗らかな陽射しに誘われる。
何より、岡田君とふたりきりという至福の時間。
ああ、なんて幸せなんだろう……!
……なんて、感慨に浸りながらエスカレーターを降りると地下二階のそこは、十八店舗が店を連ね、座席数約千席を誇る巨大な『ウメダフードホール』。
「何食いたい?」
「うーん。迷うわね」
二人で物珍しげにキョロキョロしながら少しうろうろしたけれど、結局、最初に目についたカフェの前に座席を確保して列に並び、岡田君はローストビーフサンドとジンジャーエール、私はレモンチキングリルサンドとアイスカフェモカを注文した。
「どう? 大学は」
「とにかく講義が忙しいよ。俺、一年から専門課程だろ。般教も取れるだけ取ったから、一週間のコマ数が21コマになってさ」
「すごい! 私も講義はできるだけとったけど、15コマよ。サークルは岡田君、結局どうしたの?」
「ああ、やっぱ体育会の硬庭部に入部した。インカレ目指して汗かくのもいいかと思って」
「それはいいわね。岡田君のテニスしてるとこ、すっごく格好いいもの」
岡田君はインターハイ、シングルスで全国大会まで行ったテニス上級者。長身から繰り出すファーストサーブが武器で、冷静な試合運びもする巧者。
もちろん、私は彼とテニスをやっても相手にはならないのだけど。でも、大学の体育会でも彼の勇姿を拝めるなんて、考えるだけでうっとりしてしまう。
「藤本はサークルは?」
「うん、『アーティスティック・ソサエティ』に入ることにした」
「アーティスティック……?! 何するとこだよ」
「週一回集まってみんなで音楽や演劇や文学の話をしたり、月一度は演奏会や観劇に行く。みたいな」
「はー、ハイソだな」
「そんなことないわ。好きなお菓子食べながらお喋りするのが中心みたい」
そんな会話を交わしていた。
その時。
不意に私の瞳を見つめながら、岡田君が言ったのだ。
「藤本。……綺麗だな」
「え……?」
「メイクしてるだろ」
「う、うん。やっぱり変?」
「だから綺麗だよ」
岡田君が向かいの席で柔らかく笑っている。
私は恥ずかしくなって、俯いた。
大学に入学して、お化粧をするようになった。
入学式前に梅田の阪急百貨店で化粧品を一式、お母さんに揃えてもらった。
カウンセリングも受けて、なんとか最低限は理解した。
化粧水くらいは簡単に高校時代からつけていたけど、この機会にしっかりと基礎のお手入れを朝晩欠かさないでするようになった。
メイクアップはというと、ピンク・ブラウン系のアイシャドウやチーク、華やかなロゼピンクにナチュラルなヌードベージュ系のルージュはお気に入り。
でも、メイクは難しくて、本当はまだまだ下手だと思う。
それでも、「綺麗」と言ってもらえると、嬉しい。
やっぱり岡田君は女心をよく知っている……。
「LINEで送ってくれた入学式の時のあの写真も。すごく綺麗だった」
「え……」
「あの桜の木の下で映ってたやつ。……ほら。待ち受けにしてるんだぜ」
そう言って、彼はスマホを取り出した。
そこには、マンションの前の公園の桜の木の下で、紺色のスーツに身を包んだ私が微笑んでいる。
「なんか……ハズカシイ……」
「俺にとってはお守り代わりだよ」
岡田君がまた笑った。
***
「これからどうする?」
食事を終えて、岡田君が言った。
「ガイド本持ってきたんだけど、『グランフロント大阪』の方、行ってみない? お茶飲みたいし、岡田君ともっと喋りたい」
私は白い帆布のトートバッグからお上りさんよろしく、大阪の街のガイドブックを取り出した。
「いいな。それで感じのいい店、あたりをつけて行ってみよう」
そして、私達は大阪の街へと繰り出した。
梅田はとにかく人が多くてびっくりする。
すぐ人とぶつかりそうになるから、ぼやぼやなんて歩いていられない。
私は岡田君にはぐれないように、彼の左手をぎゅっと握りしめて歩いた。
岡田君も私の右手を固く握ってくれる。
それだけで、梅田を歩く価値がある。
大阪はさすがは日本で二番目の大都市で、見るもの全てがお洒落で、新鮮だった。
その日の午後、私達は二軒のカフェをはしごした。
途中、小洒落た雑貨屋さんにも入って、マグカップを岡田君に買ってもらった。
それは、フランス語のロゴ入りで、フランスパンのバゲットを持ったうさぎのイラストが描かれた白い可愛いマグカップ。
明日から私のモーニングマグになるだろう。
私達は随分遠く、地下鉄でミナミの難波まで行ったけれど、陽も暮れて、また阪急電車・大阪梅田駅まで戻ってきていた。
もうそろそろ帰る時間。
しかし、エスカレーターまで来て岡田君が呟いたのだ。
「藤本」
「え? 何」
「今夜。俺ん家、来いよ」
その彼の言葉にドキリとする。
帰りたくない……。
そう私も思っていた。
「でも……」
作品バナーは楠木結衣さまより、作中イラストは汐の音さまよりいただきました。
結衣さま、汐の音さま、どうもありがとうございました(^^)