「火山の蛇」
視界に広がるのは、産まれた頃には想像していなかったモノが映り込む。
蒼く澄んだ空と眩しくある太陽。流れる雲は白く、その蒼空は時間が経つと色味を黄昏色に変え、夜が訪れる。
夜の景色は見慣れたモノだと思っていた。しかし、その夜空には数え切れないほどの星が煌めき、思わず視界を奪われる。
永遠の夜である世界から来た自分は、そんな三つの色を持つ世界があることすら夢のまた夢だと思えていた。
だが、その世界に足を踏み入れた途端。自分の世界観の小さな事を思い知らされ、驚愕を通り越して呆気に取られるのみ。
これほどまでに明るい世界を知ってしまえば、もう、あの夜の世界に戻る気など失ってしまう。
そうやって蒼天を見上げ呆けていた時。アレはこちらを見て笑みを浮かべた。
それは自分とは異なる存在。種族の違う――人間の女だった。
「綺麗だよね。私、此処が一番好き」
綺麗。美しい。
そういった言葉をあまり使ったことのない自分は、その言葉に同意することはできなかった。
ただ聞き流し、返答をしないことなど幾度もあった。この時もそうだ。
しかし、そんなそっけない態度など、その人間は気にも留めない。
風が吹くと、甘い香りがかすめる。
ぶわり、と吹いた風は天へ向かう時。周囲でチラチラと何かが舞う。
それは、まるで薄いガラスの様な。透き通った花びらだ。
今居座るこの場は一面の花畑。だが、不思議なことに緑とした葉だけがある。
開いた花の花弁は全てが透明であり、無色。色のない花は葉や茎を透かしていた。
天高く舞う花びらを見上げ、人間は手を空へかざす。
「今は明るいけど、夜になるともっと綺麗なんだよ? 私のお気に入りの場所」
「……そう言うが、人間は基本夜は眠るんだろ? わざわざ無理して見るほどのものなのか?」
「本当にすごいんだよ? もし時間があれば一緒に見に行こう。絶対気に入ってくれると思うの。ね? ね?」
人間はそう瞳を輝かせてせがむ。
断る事など容易にできることだ。あつかましい者の頼みなど聞くだけ無駄である。
……そのはずなのに、断る事ができなかった。
「…………まあ、気が向けば……な?」
「わぁ~、ありがとう!! 私、いつでも待ってるからね!」
上機嫌に人間は花畑を駆ける。高まる気のままに、人間は目の前で花びらと共に舞う。
その人間は……色のない人間。
実態が見えないというモノではなく、色に例えるなら無色が妥当な人間だった。
この花畑と同じ……色のない存在。
ただの植物。ただの小さな花の集まり。その程度の存在、少し火を付ければ全てが灰になってしまう様なもの。
それは直ぐに可能な事だというのに、それすらできない理由があった。
この場を消し炭にすれば、目の前の人間も花と同じように消えてしまうのではと……。わずかな動揺があったからだ。
――この無色透明な人間と会ったのは、今より少し前の事となる。
◆
「――二度と指図すんじゃねぇ!!!」
まだ幼い頃。小さな蛇はその言葉を大きく放つ。
少年の名は――ニーズヘッグ。異名を持たない、炎を扱う蛇だ。
そこは王の間。空席はあるも数体の魔王が存在する場所。
相手は魔王であり、恐怖が一切ないわけではない。死すらありえた。
だが、ただ存在の重みに負け、自分の意を押し込めて逃げるという事などできず。ニーズヘッグはその場にいた全ての王に宣言した。
「何が魔王だ! ちょっと期待してみれば心底失望したぞ! こんな奴らの断片から産まれたと思うと虫唾が走るっ。テメェら全員消し炭にしてやりたいくらいだ!」
できもしない事だとわかってもいた。大見得を切るとは正にこの事である。
もちろん、笑う王もいた。一緒に付き合わせた友人など、呆気に取られてしまっている。
だが、その生き方を間違っているとは思っていない。
自分らしくある事を。その時のニーズヘッグは誇りに思った。
それに免じてかどうか……。二体の幼い悪魔はその場からたたき出されてしまう。
見逃された後など、自分の愚かな行動にしばらくは落ち着けずにいたのも、また子供の頃の思い出の一つ。
そんな懐かしい記憶を夢に見、ニーズヘッグは目を覚ます。
最初に聞こえたのは山が噴火した爆発音。それを目覚まし変わりかの様に、ニーズヘッグは呑気とあくびをしながら、すっかり大きくなった体を伸ばす。
噴火した火山からは細かな石が雨の如く降り注ぐ。体を伸ばすニーズヘッグは何もせず、身に纏う羽衣がその飛んできた石をピシッ、と弾き落していく。
「……~~っ。なんか久しぶりに懐かしいもんを見たな。……今何年後の何時だ?」
寝ぼけた様子で独り言を呟くと。それに答える者がいた。
『まだ数時間しか経ってないわよニーズヘッグ』
『そうそう。その程度の眠りで一気に時間なんて過ぎないっての』
ニーズヘッグの頭の周りを数個の光が飛び交う。
ケラケラと小馬鹿にするのは火精霊たちだ。
「うるせー。馬鹿にすんならどっか行けよ。何かと俺をからかいやがって……。あんまりしつこいと号泣すっぞー?」
『やだー。悪魔であるニーズヘッグが精霊に泣いちゃうって~」
『可愛いから見てみたいかも~』
『やめなよ~。ホントに泣いちゃうかもよ~』
宣言はしておいたが、相も変わらずからかう。
大人げなく泣いてやろうかとも思えたが、呆れて精霊たちを手と羽衣で払う。
「この暇精霊……っ。今、後の火山が噴火したから、盛大にそこで騒いどけよ。……俺はしばらくだらけてるからよ」
『暇なのはそっちでしょ?』
『暇人暇人♪』
『違うよぉ、暇蛇だよ~』
「……あぁ、なんとでも言ってろ」
精霊は反発すれば構っているのも同意だ。
しばらく無視していれば飽きて何処かへ行ってしまう。
地べたに寝そべり、それからも語り続ける精霊の声など聞こえぬふり。
反応すれば負けと言い聞かせること数十分。……ようやく火精霊たちは離れて行った。
それを薄めで確認してから、ニーズヘッグは身を起こし、再び体を伸ばす。
「…………よし。ちっこいんだが結構口うるせぇんだよなぁ。付き合ってると疲れる」
かと言うが。ニーズヘッグには特に何かをするという事は頭にない。
正に暇人ならぬ、惰眠を貪る暇蛇だ。
悪魔にとって気まぐれでしかない眠りも、暇なら自然とそれしかなくなる。
「寂しくねーし。……べつにフレズベルグいなくても寂しくねーし」
【炎蛇のニーズヘッグ】。彼は数年前に馴染みであるフレズベルグと共に、魔界から人間界へ移住してきた。
理由は単純。思いつきであることと、魔界に飽きてしまったという。好奇心もあり、移住直前にはフレズベルグに「人間界、行ってみようぜ♪」と軽く誘うほど。
数年は共に行動をしていたが、いつしかそれぞれの居場所を定め。それから会うことなどさほどない。
「……アイツの場所って何処だっけか? 一番移動が楽なんだしもっと会いにこいっての。俺を孤独死させるのか?」
大の大人の形相に似合わず、ニーズヘッグは子供の様に頬を膨らませる。
現在ニーズヘッグが住み着いているのは西の国、サキアヌ。大陸を少し離れた北側、島にある火山を縄張りとしている。
火山の高場からは周囲を囲む森と、離れた位置に人里が小さく見える。
人間界に来ても、悪魔であるニーズヘッグは人間と一度も関わったことがない。
それは人間と魔族の関係を熟知しているからだ。
人と魔は相容れない。稀に半魔も存在するが、それはただの少数派であり微々たるもの。ならば、悪魔である自身は人間と関わるべきではない。そう結論付け、今に至っている。
ふてくされるニーズヘッグを纏う羽衣がそっと撫でる。まるで励ますかのようだ。
「全然平気だって相棒。……ああ、可愛い奴めぇ。俺のことお前は心配してくれんのなぁ。よしよし」
愛でるように頬ずり。
だが、物足りないという気持ちは残るばかり。
「言い出したのは俺だしな。もしこんな情けねぇの見られたら、フレズベルグに笑われちまう。なんならまた「愚か」の連続コンボ決めてきやがるからな。……だが、暇すぎるなぁ」
熱の上昇する地面など気にもせず、ゴロゴロと羽衣を抱きながら暇を訴える炎蛇。
この様な火山に訪れるような者など、人間魔族問わず早々いない。熱気を好む魔物などは何度か見かけるが、目を合せた途端血相を変えて逃げてしまう。
これが知らぬ間に出てしまう大悪魔の強みか……。
平然と話しかけてくるのは先ほどまでいた火精霊ぐらいである。あとは、時折会うフレズベルグ……。
「……俺、親しみのある奴、少なくないか? せめてなんか歯ごたえのある奴かかってこいっ。まだ魔界の方が突っかかってくる奴いたぞ!」
魔族の本能なのか、しまいには争いごとを求めてしまい……。
そんな日々を過ごすことが日常茶飯事な時間に、大きな変化が訪れるなど。この時のニーズヘッグは知るよしもなかった。




