「少年に映るモノ」
外は既に夜を迎え辺りを暗くした後。
もう深夜をとうに通り越しており、二、三時間もすれば夜明けとなるような時刻。
そんな誰もが寝静まった頃合いに一つの扉が乱暴に開かれる。
開け放たれたのは街の宿のものだ。カウンターで寝息をたてていた男性の受付人はそれに叩き起こされる。
こんな夜中に誰だと扉を見てみれば、「どういうことだ?」と首を傾け困惑。
息を荒げたまだ成人を迎えてない少年と、腕に抱えられ意識のない少女。この組み合わせとこのタイミング。長年働いてきたがこんな事態は見たことがないと言わんばかりだ。
「い……いらっしゃい……。こんな時間にいったいどうしたんだい?」
子供の組み合わせに動揺しながらも受付人はなんとか笑みを保って声をかけた。
ふらつきながらも少年――クロトは歩み寄り、そしてカウンターに右手を叩き付けた。
その右手には銃を持っており、受付の男性は声をひきつらせ汗を浮かべる。
「……っ、空いてる部屋、よこせっ」
普通に言葉を並べられないほどクロトは息を荒げている。
しかしその目は今にも人を殺しそうなものだ。
「えっと……、シングルが一つありますが……。お代は?」
「――とりあえず案内しろ! 命とどっちが大事なんだよ!! …………それくらい後で払う」
さすがのクロトもそれくらいの常識はわきまえているらしい。
怒鳴った後は力なく膝を折ってカウンターにへともたれかかった。
つまりは後払いということで。脅しをかけられた男は渋々部屋にへと案内することとした。
部屋にまで来れば男はせっせと持ち場にへと戻っていく。
案内された一人用の部屋に入ればクロトは扉にへともたれかかり座り込んで荒い呼吸を繰り返す。
「はぁ……っ、ヤバい、撃ちすぎた……。――クソッ!」
魔銃を睨み付け、クロトはそれを壁にへと放り投げる。
「予定では体力はもつはずだった。……このガキのせいで余計な体力を喰わせすぎたかっ」
クロトの魔銃。それに弾の数は定まっていない。
リロードの必要はなく、魔銃の弾は実弾とは異なるものなのだ。
所有者の体力・精神というエネルギーを弾にへと形を変え撃ち出すため、一発ごとにクロトの体力を奪っている。
そのため下手な無駄弾は最悪命にも影響を及ぼしてしまう。
普段ならどうということはないのだが、意識を失ったエリーを運びそれ以降の守りすらも今は一人でこなさねばならない。
今のクロトに必要なのは体力の回復という休息だ。
もはやベッドに身を寝かせることも面倒で仕方ないが、一息入れればクロトはエリーをそのまま抱えベッドにへと倒れ込んだ。
疲れたなら即座に睡魔も襲ってくる。そのはずなのだが……。
「……くそっ、こんな時でも寝付きにくいとか、最悪だろ……」
クロトは自身の悩みに苛立った。
クロトの日常で頭を悩まされているのは寝付きの悪さだ。
普段ならよい。だがいざ睡眠を取りたくても簡単に取れないとなるとそれは嫌気のさすものでしかない。
イライラしながら疲れた目で視界を泳がせれば、自分とは正反対にすやすやと眠っているエリーの顔が見えた。
更に苛立つ。この荷物がなければ移動も楽だったというのに、その荷物は心地よさそうに眠っているではないか。
「……このクソガキ、いつか殺したい……」
今からでも無理矢理叩き起こしてやりたくなる。そう考えるよりも早く手はエリーの衣類を掴み上げていた。
「……」
顔をしかめ起きる気配のない少女を睨む。
だが、どうしてかクロトはなにかを思いだしたように目をパッと丸くさせた。
「……? 使えるか?」
◆
意識を取り戻したエリー。最初に彼女を覚まさせたのは小鳥のさえずりだった。
眩しい光が顔に当たり、エリーは瞼をキュッと閉じて目を擦る。
「……うぅ。……朝?」
いったいいつ眠りにへと付いてしまったのか。眠る前のことすら寝ぼけた頭ではなかなか思い出せない。
星の瞳が見たのはどこかの天井。それに知らない臭い。
「……おはよう、ございます」
起床ということからエリーはついそう挨拶を呟く。
体を起こし、起きたなら顔を洗ってそれから。そう普段の日常の思考がボケた頭で働いてしまう。
もうあの頃とは違うのに、今のエリーにとってはその考えがどこか欠けてしまっていた。
とろとろと体を起こした時、違和感を感じた。
なにか、重たいものがずれ落ちたような……。
それは今膝上辺りにある。
「……?」
未だ寝ぼけた目は自身の膝上に落ちたものを確認する。
ぼやけていたが、明らかに人の腕のようなものが左から伸びていた。
「……??」
首を傾け伸びるそれを目が追う。そうやって視界をずらすと、そこには異様な光景があり完全に目を覚ますこととなる。
ぱっちりとした星の瞳は見開いてなかなか戻らない。
エリーの隣にはもう一人いた。
それは異性。男性。――クロトだ。
同じベッドにクロトも一緒になって寝ていたのだ。
しかも腕の位置からしてエリーを抱いていたと思われる。
寝顔は普段のあのクロトからは想像もできない子供のように安らかなもの。
だが、一つの事実がエリーに混乱を与え狼狽させる。
男に添い寝されたという決定的事実だ。
その現状に顔を赤らめ、羞恥のあまりエリーは急いでベッドから離れようとした。
しかし、唐突に背後からクロトの腕が伸び捕まれたエリーは再びベッドにへと戻される。
「きゃう!」
「……ん、クソガキ。……何処に行く、気だ?」
まだ寝ぼけているのか、頭をふらつかせながらクロトは起き上がる。
引き戻されたエリーは慌ただしくそんなクロトに声をあげた。
「ク、クロトさん! なんで! ベッド! 一緒!? 添い寝!!!」
混乱するあまりしっかりとした会話ができず、単語を叫んだ。
騒々しく横になるエリーを見るなり、クロトは首を傾け、
「……一つでじゅうぶんだろ?」
の一言だ。
――最悪だ!
エリーはそう衝撃を受けた。
寝ぼけているせいかもしれないが、クロトはこの状況を全く気にしていない。
「で、でも、困ります! こういうの、よくないと!!」
「……?」
「……で、ですから!」
しっかり頭の働いていないクロト。いつもの嫌悪や殺気は皆無であるがこれ以上なにを言っても無駄だろう。
ついにエリーは暴れだしなんとかベッドから降りようとする。
ジタバタされ自分の手から逃れようとするエリーを見るなり、クロトは眠たげな目を少し開いた。
暴れるエリーをベッドの上でうつ伏せにし押さえつけ覆い被さる。ベッドの隣に転がっていた魔銃を見つけ、拾い上げた直後それをエリーの背にへと押し当てた。
「……え。クロトさん?」
まだ寝ぼけているのか、クロトはその体勢のまま頭をカクンッと落としうとうととしている。
「冗談……ですよね?」
見えなくてもその凶器が背中に当てられているのはよくわかった。
何度もクロトに声をかけるが、彼からの返答はない。
しだいに引き金を引く音が聞こえてくる。
「やめて……っ、やだ!」
「……っ。あんまり、動くな」
そう言ってクロトはトリガーを引いた。
――カチン……。
「……っ。……?」
銃声はしなかった。確かに引き金を引ききった音はしたはずだ。
終わったのか背中に当てられていた銃口が離れていく。
背中に違和感は残るが、ホッと胸をなで下ろして一息つくエリー。
しかし、ベッドを大きく揺らして倒れ込んだクロトがエリーの体を抱いて再度眠りだす。
「ひゃっ……! クロト、さん?」
背にクロトの胴体が押し当てられる。
ギュッと抱かれるとエリーは鼓動を早めて落ち着かない様子。
まるで夜中のできごとを今体験していると思うと恥ずかしくなり顔など耳まで真っ赤になった。
「クロトさん……。なんで、こんな……」
「んぅ……。うるさい。こっちは夜明け前にやっと着いたんだ。……あと、30分……」
眠気に勝てないのか、すっかり熟睡してしまった。
「……夜明け前って。クロトさん、ひょっとしてアレからずっと私を抱えて……」
自分の意識が最後にあったのが確かあの崖を飛び降りたところまで。その時はまだ昼頃だった。それから夜明けとなると相当の時間が経っている。
それに、自分がそれまでずっと気を失いそのまま眠ってしまったことにも驚きだ。
「まぁ……、あと30分くらいなら……」
この体勢には果てしなく疑問があるが、睡眠の邪魔をするのも気が引ける。
それだけは彼にとっても悪いと思い、エリーは諦めて残りの時間を我慢することとした。
――ウソつき!
そうエリーはときおり心で叫んだ。
結局クロトが完全に起床したのは三時間後。それまでエリーは目が冴えたまま抱かれて動けずずっと堪えていた。
その後の謝罪は一切ない。何事もなかったかのようにクロトは備え付けの椅子に座ってあくびをする。
文句を言いたい。だがそうすれば今のクロトならなにをされるか。想像などしたくない。
言いたいことをおしころし、エリーは我慢した。
「人間誰しも取柄の一つはあるもんだな。意外な抱き心地で余裕で眠れた」
「そ、それは、どうも……」
まったく嬉しくない。エリーはそう言いたげに苦笑いをした。
女性ならまだしも、つい先日会ったばかりの異性に抱かれて寝ていたなど、思い出しただけで恥ずかしくなる。
「……そういえば、マーサさんにもそんなこと言われた気が」
思わずそう呟くと、エリーはハッする。
それと同時に、あの嫌なできごとが頭をよぎっていった。
忘れられないあの夜のことを。
「……マーサさん」
悲しみが込み上がり胸を締め付ける。
まだ幼いエリーには酷な現実に罪悪感がじわりと滲む。
そこに投げ込まれたのは冷たい物言いだ。
「――忘れろ。死んだ人間のことなんか覚えてたってなんにもならないだろうが」
相も変わらず彼の言葉は胸に突き刺さる。
それが、その言葉がついにエリーの中の一線を越えてしまう。
「……どうして、そんな酷いことを言うんですか?」
我慢の限界か、クロトに対し反論をしてしまう。
即座に冷たい目がエリーにへと向いた。
これ以上はなにも言わない方がいい。そう思ってもエリーは更に発言をしてしまった。
「記憶のない私にとって、マーサさんは初めての家族だったんです。……本当の家族のことを覚えていないのに、マーサさんのことまで忘れたら……」
忘れてしまったら、あの頃の日々か自分から消えてしまうような気がした。
不安と孤独だった自分に与えられる優しさも。あの懐かしく思えてしまう幸せな日々も。
それが消えてしまえば、自分にいったいなにが残るのか。
「くだらないな」
とうとうクロトが動き出した。
ベッドに腰掛けるエリーにへと迫っていくる。
恐怖に身を強ばらせ「怖い」と逃げたくもなった。
それでも息を呑み、さっきの言葉が気に入らず更に声を出す。
「クロトさんには、いないんですか? ……家族や、大切な人が」
「アホかお前? お前に俺のことを話す理由もないだろうが。……あんな奴のことを」
エリーを睨む目は何かに対する憎しみでもあるのか怒りに満ちていた。
「それとお前、なにか勘違いしてないか?」
「……っ!」
クロトはエリーの胸倉を掴み上げグイッと引いた。
「――お前は所詮あの魔女に会うための条件。――道具だろうが」