「少女に映る世界」
クロトはエリーを道具と称する。
人として見られず、その冷たい思考にエリーは彼を拒絶してしまう。
無力な少女に帰る場所はなく……。
連れ戻しに来たクロトは他者を平然と傷つけ、自身に与えられる傷を無にする。
それは、太陽が大地を見下ろすように天にへと昇った時のこと。
穏やかな森林の木々を荒々しく駆け抜け、何度も銃声がこだまし身を休めていた鳥たちが逃げるように飛び立っていく。
生い茂る草木を抜け飛び出してきたのはクロトと、
「ちぃっ。このうすのろ! 自殺願望があるなら俺が叶えてやりたいくらいだ!!」
「ひうぅ、ごめんなさいぃ!」
彼の片腕にはエリーが抱えられていた。
出会ってようやく1日が経過した頃合い。二人はなにかから逃げるように走り続けていた。
背後からはブブブと羽音が響いてくる。
一つや二つではない。振り返れば身の丈ほどある蜂――キラービーが追ってきていた。
一定の範囲まで近づけばクロトの魔銃が火を吹く。
銃弾は的確に頭か移動手段の羽を撃ち抜き落としていく。
銃声が響く度にエリーは頭を抱えて目を伏せた。
「この厄災女!」
「だからぁ、ごめんなさーーーい!」
時間は少し前にへと遡る。
最初の町を離れ朝から歩き続けるクロトとエリー。
数時間は経過するがクロトは平然とし汗一つなく木々の生い茂る山を上る。その後ろではなんとか距離を保ちエリーが付いてきていた。
ここまで長く歩くことなどなかったため、エリーは呼吸を乱し脚を止めてしまう。
山道なこともある。それにエリーの片脚は未だ火傷の跡で汗が滲むとひりひりとした痛みを感じる。
ときおりクロトは後ろを確認するが、彼がエリーに救いの手を伸ばすことはない。
昨夜のことからなんとなくそれを理解していたエリーはなにも言わず、ただひたすら彼の後を追う。
二人の距離は徐々に開いていく。常にペースを保つクロトと、ペースを落とすエリー。それがしばらく続き、当初あった距離が数倍ほどになった時だ。
突然、クロトが確認として後ろを振り返ると、スタスタと早歩きで戻ってきた。
「……? ……クロトさ――」
「あーっ、くそ! 遅いぞ! なにやってるんだ愚図!」
「……そんな無茶な」
小さくエリーはことの無茶振りを口に出す。
体格差だってある。数時間も同じように付いていくことすら無理でしかなかった。
そしてクロトが自身の言葉を訂正するわけもない。
「だからガキは嫌いなんだよ。……少し休むか」
「……え」
崖道の途中クロトはようやく歩くことをやめた。
その場に腰掛けるとエリーも一緒になって座り込む。
ひと一人分ほどの間を開けて、エリーは崖道から見える景色を眺めた。
後ろは木々が溢れている反面、崖から見えるのは荒野の海だ。
風が吹けば砂塵が舞い、ホコリっぽいものが微かに運ばれてくる。
地には荒野。天は蒼天。点々とある緑。この極端な景色は西の国サキアヌではよくあるものとされている。
だがそれは話でしかロクに聞いたことがなく、不思議とそんな殺風景が新鮮でもあった。
それだけでこの休憩時間が簡単に過ぎてしまうほど、エリーはその景色に目を向けてしまう。
「……なんだよクソガキ。そんなに珍しいかよ?」
「はい……。私、町から出たことなかったので。……なんだか、すごいです」
「安い思考だな……」
「そうかもしれませんね」
ほんの少しだけ、苦笑ではあったがエリーはうっすらと笑みを浮かべる。
景色を眺める少女の横顔を、クロトは仏頂面で見る。
「……意外に素直に付いてきたな、お前」
「え? なにがですか……?」
首を傾けるエリーは不思議そうにしている。
「あんだけ嫌だのなんだと言ってたわりには付いてくる。……都合はいいが、腑に落ちないな」
「そ、そう言われましても……」
「逃げようとは思わないのかよ?」
逃げることを許さないのに、不思議と妙なことをクロトは問いかけてくる。
この状況は彼の望んだことだというのに何かが納得いかないのだろうか。
「……私も、本当は、嫌ですよ? でも、なんと言いますか……。なんとなく……ですかね……?」
「そうかよ。まあ従うなら俺はどうでもいいがな」
単なる暇つぶしの会話だったのか。
十分ほど休憩すればクロトは起き上がり体を伸ばす。
「さて、行くんだが」
「は、はい」
エリーも一緒になって立ち上がる。
服を手で払い再び歩き出そうとするのだが、クロトが前に立ってじっと見下ろしていた。
凝視され、エリーは不安と目をチラチラと逸らす。
「……あ、あの? どうかされましたか?」
「……」
「クロトさん? ――ひゃっ!?」
いきなりクロトは無言のままエリーの両脇を掴んで軽々と持ち上げた。
そしてモノでも扱うように、右へ左へと傾ける。
「違う……。これも違う……」
クロトはいろいろとなにかを試していく。
最初は肩にへとかつぎ、その次は背負って……。
困惑しされるがままのエリー。
そして……、左腕でエリーをモノのように抱え右手は魔銃を構えた。
「……――これか!」
「どれですか!?」
エリーは抱えられたまま困惑とし思わずツッコミを入れてしまう。
対するクロトは悩みを解消したかのようにスッキリとしている。
「のろまなお前をどう運ぶか考えてたんだ。……肩だと視界が悪くなるからな。これなら魔銃も使える」
「……はあ。そうですか」
「……」
この体勢のまま、クロトはふと無言なる。
しばらく続き、いつまでこうしているのかとエリーは不安と眉をひそめる。
……すると。腹部に当たるクロトの手がエリーの体をぎゅっとした。
「――きゃっ!? な、なな、なんですか……!?」
「……」
なんの合図もなく、クロトはエリーから腕を放す。
そのまま落下したエリーは地べたに倒れ込んだ。
「いつ何処で魔物に遭遇するかわからないからな。もし喰われでもしてみろ? 容赦しないからな?」
「……っ、わかってます。私だって、死ぬのは怖いので」
地面にぶつけた体を擦りエリーは涙目ながらも堪え、こくりと頷く。
「わかってればいいんだよ。とっとと行くぞ」
エリーが起き上がると再び二人は歩き出す。
崖道を上りきると一旦停止。前と左は進めば崖っぷち。後ろは来た道で進めず、残るは右の森だ。
特に迷うこともなくクロトは方向を森にへと変えた。
「クロトさん、そちらに行かれるんですか?」
「お前は崖から落ちたいのか?」
「そういうつもりで言ったんじゃ……」
「荒野はホコリっぽいし嫌いだ」
確かにそれは一理ある。それに見渡した限り人里というモノも見えない。
名残惜しくもエリーはその景色とは別れクロトにへと続いた。
先ほどとは景色が一変しまたエリーは視界を彷徨わせる。
どこもかしこがエリーにとって見知らぬもので目移りしてしまうのだろう。
「……お前、少しは普通にいられないのか?」
「え? 私、なにか変ですか?」
「なんつーか、ウザい。こんなの何処にでもあるような場所でなんもないだろうが」
「でも、私、あまり知らないので……」
「……あぁ、確かコイツ以前は引きこもり野郎だったか? これだから温室育ちのガキは……」
「なにか言われました……?」
「うっせぇぞ。とにかく余計なことはするなよ? いいな?」
叱られるとエリーはしゅんとして落ち込んでしまう。
相も変わらずクロトは苛立った表情でしかなく優しさというモノを持ち合わせてなどいなかった。
少し気に障ればそうやって言葉を荒げて、酷いときには怒鳴ってくる。
「……クロトさん、冷たい」
ぼそりと呟き、今度からは周囲を気にしないようにと歩み出す。
今エリーにできるのはなるべくクロトを怒らせないことだ。自分のためにも。
一歩踏み出すが、エリーはふと動きをピタリと止めてしまう。
ついさっき周りを見ないようにと決めたのに、エリーは右から左にへと視界を巡らせる。
突然、木々がざわつく。葉の擦れ合う音に紛れ、なにか別の音が聞こえた。
――それはまるで、虫の羽音のような……。
そう感じた時、エリーの背後を黒い影が覆う。
背を煽ぐような不自然な風にエリーは後ろにへと振り返って見た。
直後、瞳にへと鋭い針が襲いかかる。
目を丸くしたまま状況に頭が追いつかないエリーと針の間を突如一閃が割り込む。
気がつけば耳を貫くような奇声と紫の液体が散りばめられる。思わずエリーは頭を抱えながら淡と悲鳴をあげへたり込んだ。
ドサリと地に落ちたモノを見ると、それは巨大な蜂だった。
鋭い槍のような太い針を備えた魔蟲の一種――キラービー。そのキラービーの堅そうな脳天を砕き貫いた箇所には銃痕が残されている。
キラービーはギザギザとした細い手足を痙攣させ、直に動かなくなった。
「……なっ」
唐突なことに動揺し混乱に動けないエリーに怒声が飛ばされる。
「なにボサッとしているクソガキ!!」
肩を跳ね上がらせエリーはクロトにへと振り向く。
「――走れ!!」
「え……!?」
急なことに思考が定まらない。だが、エリーは目で状況を判断した。
死んだ蜂に続いてエリーのそばには数体のキラービーが迫っていたのだ。
銃声に誘われたのか、この辺一帯が彼らの縄張りだったのか……。
声をひきつらせ、エリーは無我夢中で起き上がりクロトに向かって走り出す。
当然獲物を追う蜂の魔物に目がけクロトは追加の銃弾を放った。
魔銃からの一撃一撃は的確に羽や頭を撃ち抜いていく。
息を荒げ、エリーはクロトの隣にまで通り過ぎる勢いで走る。
が、
「――わっ、ぷぅ!?」
クロトの左腕が勢いを付けすぎたエリーの胴体を受け止める。
そのまま一気に抱え、クロトは地を蹴り走り出した。
「ホントお前は厄介事ばかりだなクソが!!」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ! それよりクロトさん! 速いぃ! 自分で走りますから下ろしてくださいぃ!!」
「ハアッ!? うるさい! アホか? ――このノロマッ!!」
返ってくるのは暴言のみだ。
むしろ、それしかロクに聞いたことがないのが現実である。
何度も謝ってきたが、ここまで言われればエリーも反抗したくもなる。
「そ、そんなに言わなくてもいいじゃないですか!」
「黙ってろ! あと、あんまり無駄口たたいてると――」
言葉の最中、突如身が浮くような体験をエリーはした。
木々を抜けその先にあったのは眩い光と――崖だった。
それも、落ちたら最後かとも思えるほどの高さ。
二人の体は崖を飛び宙にへと投げていた。
「――舌を噛むぞ!」
そう言ってエリーを抱えたままクロトは底の見えない崖を降下していった。
その際、エリーは酷く絶叫しその後の意識がプツンと途絶えてしまう。