「揺れる小舟の上で」
――……。
ふと、エリーは空に丸くした星の瞳を向けた。
ヴァイスレット王都から流れる河を進む舟の上。少女が何を思って天を見上げたのか。
流れる空の景色と耳をかすめる水音。気になる要素は景色などには特になく、彼女が気に留めたのはほんのわずかに脳に響いた声だ。
内容はハッキリとしておらず、だがそれでも何かしらの声ということだけは理解できた。
その不思議としたことにエリーはキョトンとして空を見上げてしまったのだ。
「どうしたのエリーちゃん? なにかいた?」
上を向いていたエリーの視界にへと傍らにいたネアが見下ろし映り込む。
青空からネアにへと視線を変え、エリーは数回丸い瞳を瞬きさせてから顔を前にへと戻す。
「……いえ、何か聞こえた気がしたんですけど」
「魚でも跳ねたのかしらね? ちょっとクロトー。手頃なのいたら捕っといて~」
さりげなくネアは前の席でそよ風に煽がれるクロトにへと言葉を投げた。
無心として気楽としていたクロトの眉が歪む。後ろに傾けていた身を前に運び、最後にはため息が漏れる。
「……なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだよ? お前の電気でいちころだろうが」
「なによっ。それって私に調達しろってこと!? わかってないわねクロト! 私はエリーちゃんが舟から落ちちゃわないように安全を第一にしてるの! 暇そうにしてるんならやんなさいよね!」
「断るっ。さっきまで舟の操作しててやっとの休憩なんだ。生魚なんか捕まえて今必要って訳でもないだろうが」
「余裕を持つためでしょ! 一々細かいこと気にしてる男って本当にロクな大人にならないんだから」
「誰がガキだぁっ。俺はもう充分大人だ!」
――魔銃使いことクロト。彼は列記とした17歳。とても曖昧な位置ではあるが大きく分ければ子供でもある。だがそれを本人が認めておらず。更に歳のわりに平均下である身長が内心でのコンプレックスでもある。そのため子供という扱いを酷く嫌悪している。
ネアは言い出したら無理にでもやらせようとするのがクロトの経験上。さほどのことがない時の回避法は、まず話を逸らすことだ。
「そういえば、今どの辺だ? 確かこのまま行けば東側に出るって話だったが?」
あからさまな話の逸らし方。だが質問をされるとネアもつい思考がそちら側にずれてしまい流れに乗ってしまう。
「そうねぇ……。確かもうこの付近は南の外側、東の国寄りの領域になるわね」
「東……。――レガルか」
西のサキアヌ。続いて南のヴァイスレット。そして一行が流れ着く先にあるのは東の国――【精聖の国・レガル】だ。
今現在クロトたちがいるのはまだヴァイスレットの領内。そして河は東の国であるレガルと南のヴァイスレットを跨ぐ海にへと続いていた。予定では頃合いを見計らい舟を下りてまたいつもの当てのない道のりを行く、というもの。
今はまだその時ではなく、もうしばらくはこのままの流れだ。
「……東の、レガルってどのようなところなんですか?」
大国であるレガルだが、エリーにとっては知識もなく思わず問いかける。虚を突かれたようにネアは突然泳がせ、その表情には冷や汗を浮かべていた。
「えっとぉ……。レガルはね、精霊と共にある国なの。【精聖の国】ってだけあって、自然に恵まれた緑豊かな場所よ。ほら、ヴァイスレットの外側領域だけどその影響はヴァイスレットにも出ているわ」
不思議と苦笑いを続けるネアが指差すのは河を挟む樹々の群れ、――樹海だ。
これほどまでに日の光も届かぬような自然も見慣れないため、その奥に広がる暗闇には恐怖心に刺さるようなモノもある。エリーがそこから視線を逸らすと、視界を小さな光の粒がよぎった。
「微精霊ね。南の領土でも自然の浸食っていうのはすぐにどうこうできるものじゃないし、ヴァイスレットの陛下もあんな感じだから。かなり前からこの樹海は広がってて、今は浸食も止まってるしおとがめなしにされてるのよね。レガル側から精霊を通じて監視されてる感じとかが悩みどころだって大臣の間でも話題らしいし。……あ、でもっ。微精霊なら全然無害だから大丈夫よ。精霊の幼体みたいなもので力もないし。あの一番槍野郎の風精霊みたいなことはできないわ。レガル軍の怖いところって精霊を駆使した力だものね。精霊魔道で魔法同等の力が扱える。それがレガルって国なの」
「――そして、クレイディアントを襲撃したのもレガルだったな」
知らないエリーに語るネア。その話から横入してきた発言が冷たく刺さる。
口を開いたのはクロトだった。
「いやぁ、あの時は何番席かの魔王軍とドンパチやってたなぁ。精霊も魔族も、さほど変わりないって感じで」
「――ちょっと、クロト!」
平然と、顔色を変えずにいるクロトの口をネアは塞ぐ。舟がそのせいで揺れる。
「わわっ!? なになに!? 先輩たちなにしてるの!?」
前方で飛行し縄で舟を引っ張っていたイロハが騒動に後ろを振り返る。ネアがクロトを押さえ込み、それにクロトも反発。水面に荒れた波紋が舟を中心に広がった。
「なにしやがる!」
「なにはアンタでしょうが!! エリーちゃんの前でそんなこと言うんじゃない!」
クロトが語り出していたのはクレイディアント崩壊当時のことだ。当然エリーが完全な無関係でもなく、むしろ当事者でもある。自国を攻めたのは魔王だけではなく、危機を感じたレガルも同じく行動を起こし【厄災の姫】であるエリーを殺そうとしていた。
結果。クレイディアントと共に魔王軍もレガル軍も【厄星】によって無にへと帰した。
記憶はなくともある程度の情報はエリーも得ている。当時のことを掘り起こすことは彼女の前でも禁句の一つに繋がる。
「先輩! お姉さん! 暴れないでよぉ!」
「ネアさん、クロトさんも落ち着いてくださいっ」
なんとか鎮めようと声をかけるが、二人は聞く耳を持たなかった。
「本当にアンタって、なんにも考えなしに言うわよね!」
「間違ってねぇだろうが! 事実を言って何が悪い!」
「もう少し考えてモノ言えっての! なんでアンタはいつもいつも……っ、ちょっとは思いやりってもんもちなさいよ!」
クロトもどのような経緯があろうと人の子である。微塵でも良心があればと、先日のことから期待でもあったのだろう。
……だが。
「――んなもんっ、必要ねぇだろうが!! なんで他人のこと一々考える必要があるんだよ!? それで自分を後回しにしろってのか!? そんな感情、あるだけ無駄なんだよ!!」
断言し、クロトは言い切った。
その言葉はクロトの本心なのだろう。ネアのその見極める目で言葉の本心が正しいモノだと判断できてしまい……。
言い返す言葉よりも先に体が動いてしまう。その自分勝手な考えを当然と言うクロトに向け手を上げ。
振り下ろす直前、
「やめてください、ネアさん……っ」
揺れる足場でなんとかバランスをたもちつつその手を止めようとするエリーの声が聞こえた。
急遽動きを停止させこの状況を瞬時に把握。後ろを振り換えればふらふらと立つ少女が。
「エリーちゃん、危ないからっ。……ごめんね。さっきの話は気にしないで」
ネアは叩くはずのクロトよりもエリーを優先した。
舟から落ちてしまいそうなエリーを座らせ支え、揺れが落ち着くまでその身を抱き続ける。
収まるまで揺れはさほど感じることはなかった。ネアが強く身を抱えていてくれたからだ。思っているよりもそれは強くあった。申し訳ないというネアの思いがそのまま力になってしまっている様。
彼女が謝った理由。気にしないでと言った理由。それを考えるのに、少々時間をかけてしまった。
自身が関与した話。ネアがレガルのことを語るのに躊躇したことも、落ち着いてからエリーは謝ることとした。
「大丈夫ですよネアさん……。私、全然覚えてませんし。すいません。余計なことを聞いてしまって」
「エリーちゃんは悪くないわよ。……悪いのは――」
ようやく押さえ込まれていたことから解放されたクロトに向け、ネアの鋭い眼光が飛ぶ。
未だクロトもこの件に対し謝るということや悪気なども一切なく。
「アンタが余計なことを言うからでしょうが!! なに自分は悪くないって顔してんのよ!!」
「ああっ!? まだ言うかお前!」
「もぉー! 先輩もお姉さんもやめ――」
更にイロハも口論に乱入しようとした時。イロハは言葉をふと止めてしまう。イロハはその丸い黒目をパチパチとさせ、視線を下に向けたまま呆然。
イロハは三人の乗る舟を見ていた。正確には、舟の更に奥。舟を中心に水面には大きな影が映り込んでいた。大きさは舟の数倍ほどであり、途端にイロハは表情を引きつらせ冷や汗を流す。
「せ……っ、先輩! ――下ぁ!!」
そう言われた直後に水面が大きく揺れる。先ほどまでとは違い真下から押し上げられるようなもの。
激しい水しぶきが上がり全員がその正体を目視して目を見開いた。
河から現れたのは日光を浴びて光る鱗を纏う巨大な大魚。ハッキリとわかる細かな牙がずらりと並ぶ口元。鰓を大きく開いて勢いよく放たれる呼吸が大気を打つ。山を描き跳ね上がった大魚は再び水にへと飛び込み大波を起こす。
荒れた波は小さな舟を押し上げ押し潰すように呑込んだ。
「先輩! 姫ちゃ――」
巻き込まれぬように上昇しようとしたイロハは舟にいた三人を探す。
だが、視界がふと、ガクンと下がり体までもが下にへと引っ張られた。
「うわっ!?」
更に、ガクッと下がる。
「わわっ!? って、ええ!?」
強く必死に翼をばたつかせるイロハは自分を引っ張るものに目を向ける。脚をクロトに掴まれ、更にエリーを抱えたネアがクロトを掴み……。
重みに高度が下がれば怒鳴る声が下から響く。
「なにやってんだ! とっとと上に行け!!」
「ええ!? そんなこと言われてもぉ……!」
「落としたら絶対に許さないんだからね!! 男なら早くなんとかしなさい!!」
「お姉さんも、酷いよぉ!」
唯一、空を飛べるイロハに全員がしがみつきそう噛みつくように言う。
涙目ながら言われるがまま、イロハは全員を必死に運び緑広がる樹海にへと降り立った。




