「呪いの黒星」
――……
少女の絶叫の後、それは目を疑う光景の前兆にへとなった。
魔界を支配する十三魔王が一体。盾の如き鋼の肉体を持つ鋼殻蟲のセントゥール。その魔王の片腕が、突如消失し唖然とさせる。
「…………なっ」
セントゥールのエリーを捉えていた左腕が形を残さず消え鮮血を溢れさせた。
喰らおうとした少女を手放し、魔王は止めどなく血の溢れる傷口をおさえ、ふらふらと後退る。
「……っ、そんなっ。ボクの……、我が腕がッ!! この……鋼殻蟲の……、我が肉体が……!?」
それは魔王本人ですら予想外のことだ。
魔王の中でもその異名に恥じぬ肉体を有し誇っていたはずが、ほんの一瞬にして消え去ったのだから。
動揺を隠せないのはネアも同じである。先ほどまで全く攻撃の通らなかった鋼の肉体が意図も容易く消滅。そんなことが考えられず自分の目すら疑ってしまう。
ネアをおさえていたムカデが急いでセントゥールの元に戻り消失した腕にへと纏わり付き、それは形を変えて新たな腕にへと変えた。
しかし、その身には確かな与えられた脅威が刻み込まれている。
それをしたのは他の誰でもない、――エリーだ。
地に下ろされたエリーは力なくそこに座り込んでいる。
様子がおかしいということは容易に感じ取れる。先ほどまで恐怖に怯えていたはずの身は穏やかと落ち着き、怯え叫んでいた声はピタリと止んでいた。
「……なにを……した……っ」
対するセントゥールは身を震わせギチッと奥歯を鳴らす。
問いかけられるもエリーは無反応。次にセントゥールは余裕を捨て怒号を放った。
「――なにをした! 小娘ぇッ!!!」
咆哮のようなもの。威圧が風となってエリーの身を煽る。
微かだがエリーが反応を示し、それに応えるように身を動かす。
うつむかせていた顔はゆっくりと上げ魔王を星の瞳が捉えた。その時、魔王たるセントゥールは背筋をゾッとさせ更に一歩後退る。
エリーに異変が起きていた。
あのこの世のモノとは思えない輝ける星の瞳が一変。夜空に煌めく星々は瞬く間に黒く染まり禍々しくあった。
それを知った時、突如大気が震え全てを揺るがした。
既に暗く澱んだ天は唸り、まるでなにかを呼び寄せている。
途端に、誰しもが天を見上げ息を呑む。人も魔王も、上空に漂う魔物ですら動きを止めしまう。
「……なによ、アレっ」
そんな恐怖を混じらせた声でネアは呟いた。
曇天の雲を掻き分け、それは真下を見下ろしている。
黒い――七つの星。
「……まさか、コレが――【厄星】ッ!?」
セントゥールはそうであると確信をした。
厄災の象徴。呪われた姫が宿してしまった破滅の黒星。天変地異すら引き起こすとされる理を覆す、少女が恐れられる最大の理由が、今ヴァイスレット王都を覆っていた。
それを顕現させたのは今も膝を付く幼気な少女。あれほど輝いていた瞳が陰り、少女は虚ろとして感情の全てを閉ざしてしまっている。
笑うことも怒ることもない。ただ、先ほどまでの涙を一滴落とし、それ以降は泣くことも恐怖することもなく。心というものが欠落してしまいなんの反応も示さない。呼吸ですら止まっているようにも見えてしまう。
感情だけでなく、今のエリーには周囲の物事を受け止める意識が存在などしていなかった。
腕を消された魔王の腕がうずく。確実に刻まれた少女の脅威に片腕が無様に震え、もう片方の腕がそれをおさえこむ。
屈辱と唇を噛みしめ、セントゥールは即座にその場から一時撤退。残されたネアは呆然と天を見上げた後に軋む身をなんとか立たせ戸惑いつつもエリーにへとにじり寄る。
「エリー……ちゃん?」
恐る恐る、ネアはエリーにへと手を伸ばす。あの魔王の腕を消したことが脳裏をよぎり、触れそうになった手がわずかに下がる。それでも意を決し、少女の身に触れた。肩に手をつけたがなにも起こらない。ひょっとしたら当時の強い拒絶が引き起こしたものでしかなかったのか、今の感情を無くしたエリーには拒絶する意志すらなくある。
「エリーちゃんっ、エリーちゃん!」
混沌とした星の下で、ネアは少女の名を呼ぶ。声だけでなく体も揺すってみるが一切の反応がない。
意識がない、ただそれだけではないとどこか感じてしまう。これまでの経緯のように、ついにエリーの中身が全てどこか別の場所にへと行ってしまったような、そんな感じとネアの目が捉えてしまう。
「お願い……っ、返事をして……」
守るはずの少女が見るに堪えない有様となっている。自分の無力を痛感し心が張り裂けそうに、ネアはエリーを強く抱いて泣き声混じりで必死に呼びかける。
「ごめん。ごめんね……っ。守るって言ったのに……、言ったのにぃっ」
泣き崩れつつ少女を抱くネア。絶望しそうな頭に、癇にさわるような声が響いてきた。
「――ネア!!」
声にへと視線を傾けると、そこにはクロトとイロハが見えた。
焦るように駆け寄り事態のことを流れるように口にしていく。
「いったいどうなってんだ! 上はあんなで、……あと――」
クロトには状況を確認する必要があると思っているのだろう。
だが、ネアはそんな話など耳を傾けず。すっと立ち上がると目の前まで来ていたクロトの頬を容赦なく叩いた。
――パァンッ!
静寂した街並みでそれはよく響く。
叩かれたクロトの左頬は赤くなり唐突な事に頭が追いつかず、目を丸くして自身の頬に手を当てる。
指先から手のひらまで感じる熱。痛みがしだいに強くなり、自分が叩かれたのだとようやく理解した。
「お、お姉さん……!?」
見ていたイロハはあわあわと困惑。なぜ叩かれたのかと、クロトは驚いた顔のままネアを見た。
ネアの顔は怒りと涙で満ちていた。そんな彼女の顔を見るのは初めてで、更にクロトは頭を混乱させる。
「……なんでっ、――なんでもっと早くこないのよ!!」
激しい怒りの言葉をぶつけ胸倉を掴み取られる。
ネアの言葉。罵倒や癇にさわるようなモノにはクロトもその短気な性格から応え反論してきた。だが、今回ばかりはそんな言葉すら出てこず、ただ彼女の言葉を頭と胸の奥に叩き込まれる。
「なんで……この子が、こんな目に遭わなきゃいけないのよっ。こんな小さな子が、どうして……」
ふと、クロトはネアから視線を外し片隅で見えたエリーにへと寄せた。
此処に来るまでに様子がおかしいと聞かされてはいたが、いざ目の当たりにすれば「どういうことだ」としか思えない。
あの豊富な感情を有していたエリーが今は笑うことも泣くこともせず、虚ろとした目のままそこにいる。
「いったい誰に、この子の幸せを壊す権利があるのよっ。……エリーちゃん、とってもいい子なのよ? こんなに優しい子に、どうしてこんな思いさせなきゃいけないのよっ!」
まるで責任を全てクロトに押しつけるかのようなネア。
もっと早く来ていればこんなことにはならなかったのだろうか?
最初っから魔女の誘いに乗らずにいれば……。
それとも、この道具としての少女に会うことすらなければ…………。
クロトを掴んでいた手が滑り落ち、ネアはその場に泣き崩れてしまう。
「……私、ちゃんと守れなかった。守るって、約束したのに……、怖い思いさせて。あの魔王にだって……全然、敵わなかった」
よくよく見ればネアの体は傷だらけでボロボロだった。
クロトですら勝ち目が薄いと思っていたネアがこの様である。
「わかってんよの! アンタばっかりが悪いんじゃない……っ。ちゃんと守れなかった私が悪いって……。全部、全部私の八つ当たりでしかないってことも、わかってんのよ……っ。それでも、アンタには……アンタだけには早く来てほしかった……」
クロトの胸の奥がざわつく。幾つもの言葉が奥を打ち付けて妙な感情を揺さぶる。
おかしくなりそうだ。自分のなにかが壊れてしまいそうな、そんな気分に胸をおさえ、
「ネア。…………悪い」
情など持ち合わせていない。それなのに、クロトの口からはそんな言葉が思わずこぼれてしまった。
「馬鹿っ。……なんで、謝るのよっ。アンタがそんなこと言う奴じゃないって、私、知ってるんだから!」
今の今までクロトが誰かに謝ることなどなかった。
死者に花すら手向けず、ただ冷たくあしらっていく冷酷な魔銃使いが、この時そんな言葉を口にしてしまう。
それに一番驚いていたのもクロト本人だ。
「……そんなこと俺が聞きたいくらいだ。…………お前もいつまでも泣いてんじゃねぇよ。それでどうにかなるとでも思ってるのか」
「うるさいわよ! アンタに言われるまでもないっての!」
ネアは涙を拭い赤くなった目元を向けてきた。クロトも叩かれた頬を手で撫でると赤かった肌が正常にへと戻る。
ここからが本題だ。少し距離をとっていたイロハも呼び一同は顔を合わせて事の状況をまとめていく。
「とりあえず状況の確認だ。現状、このヴァイスレットは例の六番席魔王の軍勢が攻めてきている。軽く上からも確認したが、ヴァイスレットの外壁周辺に蟲の奴らがはびこっている。王都から出るのは容易じゃないな」
「それと……、アレすっごく怖い感じなんだけど……?」
一同は同時に天を見上げた。上空を覆う黒星が目に入る。
「……魔王の奴が言ってたけど、アレがおそらく【厄星】。エリーちゃんの呪いの力」
「あれが【厄星】……か。じゃあこの国ももう終わるのか?」
「簡単に言わないでよ。大国が続いて滅んだらシャレにならないわっ。それに、私たちだってこのままじゃ――」
そう、そうだ。ネアの言うとおり、このままでは国だけでなく自分たちの身も危ない。
これから起こるかもしれない事態に不死身としての肉体がもつかどうかもわかったものではないからだ。科学的に考えてみてもその原理は魔法や自然現象の一種に近いと思われる【厄星】。魔王とネアが対峙していたということは近くにいたはず。それなのにその魔王の姿はない。
運よく【厄星】に警戒をし身を一時的に退いたのだろうと推測。それなら魔王もこの事態にそれなりの影響を得るほどということになる。
ロウグスが話していた中央大国の末路。その末路を作り上げたのが今も空にある星だとすれば、それは更なる最悪の事態と言えよう。
「ネア。お前は知ってるのか? あの滅んだ国の末路を……」
「今更なにを?」
「此処に来るまでに一番槍野郎と会った。遅れたのもそいつが原因だ。……アイツが言っていた。憶測だろうがなんだろうが、アイツはあの星が最終的にあの国を潰したと言っていた。……俺は燃える光景しか知らない。その後どうなったか、お前なら情報入ってるんだろ?」
一人の騎士と情報屋。ネアの方がその情報をよりその頭の中に入れていることだろう。
「……今回お代はいらないわよ?」
「この状況で払え言うならお前をとっくに撃ってる」
「じゃあ懸命な私をもっと信頼なさい。一人じゃ限度があるんだからね」
肩をすくめてから質問にへと彼女は答えていく。
「中央大国であるクレイディアント。その最後はあっという間な事だったらしいわ。北のアイルカーヌと東のレガル。遠方からの魔道偵察機と精霊による情報。国が得たそれを寄せ集めたにすぎないけど、世界の中心を討ったのは正に天の鉄槌。周囲の大気元素を収束させ落とされた神の一撃とも称されていたわ。王都周辺すら巻き込んだその跡地は荒野というよりは無に等しいわ。……なにも残らなかった。そして、空には異様なものがあったとか」
「確定か。それが【厄星】なんだろ?」
「そうなるわね。……って、本当にヤバいじゃないの! 魔王はまだ軍を退いてない。それってつまりまだ諦めてもいないってこと! このままじゃあ本当に――」
クレイディアントのにの前。そうネアが発言をしてしまいそうになった時だ。
空気を切り裂く突風が一気に駆け抜け襲いかかる。寸でのことで状況を確認するよりも先に飛ばされた殺気にへとクロトは魔銃を盾にし風の中心に構えた。激しい衝突。クロトの身は風にへと押され立っていた場所から遠のいていく。
踏みとどまったクロトの前には先ほどまで噂をしていた一番槍――ロウグス・ランスロットが槍を魔銃に突きつけ今もなお貫こうと力を入れている。
ヴァイスレットの盾同様、クロトの魔銃もその頑丈さには群を抜いている。貫くということに特化した槍の一撃ですら見事に耐え傷すら付けていない。
「……っ、お前もしつこいなっ」
「悪を逃すほど愚かではないのでな……っ。よくもやってくれたものだ」
「悪……、悪か。……確かに俺はお前らみたいな正義を語る人間でもない。そういうのは俺の嫌いなもんだ」
矛先を押し返し、クロトは不敵と笑みを浮かべた。
「悪上等だ、この騎士野郎ッ!!」
「……なら、この槍の前に散るがいい!」
一歩。ロウグスが踏み出せば矛先が更にクロトを押す。武器と武器の、どちらも譲らないぶつかり合いに、先に悲鳴をあげたのはロウグスの槍だった。
魔銃に傷をつけることもできず、尖った先端が軋む音をたて亀裂を走らせる。
「生憎、俺の魔銃は早々壊せれる代物じゃねぇぞ……っ」
亀裂は槍のシャフト全域にまで走りだす。これ以上力を込めれば自慢のその槍も砕けよう。
それなのに、ロウグスは止まることなく力を前にへと向けていく。
「――安心しろ。そういう仕様だっ」
ロウグスの肩で【風精霊】が微笑。直後、ロウグスがとどめを刺すように一気に踏み出る。
シャフトが完全にヒビ割れるとその隙間から光が漏れた。砕けた白銀の槍は光を変え輝き出す。
壊れたかと思えた槍は姿を変えて視界にへと飛び込んできた。
それはまるで森林を駆ける爽やかな風の如く。花緑青一色をした宝石のランスがそこにはあった。
更に槍に纏わり付く風が力を増す。
――これは、まずい……っ。
堪えていたクロトは途端に防御を解き身を逸らして槍の一撃をかわした。
すれすれに体をかすめた風を纏う槍。風が、かわしてもクロトも身を激しく吹き飛ばす。
「クロトッ!」
「先輩ッ!」
様子をうかがっていたネアとイロハ。再びいっカ所にまとめられた一同を騎士は排除すべき敵として風を纏い睨み付けてくる。
「……っ、今まで本気じゃなかった……そう言いたいのかよ!」
先ほど壊れたのは槍の本体ではない。例えるなら鞘だ。
精霊の力を引き上げる石――【精霊石】で構成されたのがロウグス・ランスロットの使用する槍の正体。
「そうだと言えば、お前たちはおとなしく姫を渡すのか?」
「誰が……っ!」
「では……遠慮無く捕縛させてもらおうか」
その声と共に、四人を取り囲むようにヴァイスレット兵がぞろぞろと湧いて出てくる。広間はあっという間に兵士の群れで退路を断たれた。
震えた脚の兵は息を呑みジリジリとにじり寄って感覚を縮めていく。怯えているなら逃げてほしいとまで思える行動だ。
「お覚悟を……エリシア様……。貴方も一国の王の娘であれば、その責を果たされるべきです」
「んなもん、知ったことか!」
もはや相手の生死をとやかく考えている暇はない。
殺しに来ているなら……殺すのが鉄則。そう生きてきたクロトだ、ただ自身の生き方をそのまま実行するだけでしかない。
近づく兵士にへと躊躇なく銃口を向け炎をチラつかせる。兵士は既に怯えた身を更に強ばらせた。なんとか立つことのみに徹し退路を妨害することを役目としてロウグスが前にへと出る。
「陛下へは私から直々にお伝えいたします。……心を痛められるやもしれませんが、これも国のため」




