「ただそれだけで……」
肌寒い寒気に、眠っていたエリーはうっすらと目を開く。
体を起こし、ずれ落ちそうになった上着を羽織り直すと真っ先に上にへと顔を向ける。
大きく開いた天井。そのまま二階の部屋の一部が見える。真下まで来るとクロトの名をとりあえずは呼んでみた。
しかし、返答はなく人の気配もない様だった。
いないと感じればエリーはうつむきその場で膝を抱えて座り込む。
名を呼ばれた当の本人はけして彼女の近くにいないわけではない。エリーの視界から姿を隠すように配置されていたソファーの裏手にいた。エリーの声には自分を求めるようなものが感じられ、またいらぬ殺意がわいてくるようだ。
――まだ、……まだ前に出ることができない。
このように隠れることなど不本意であるが、この落ち着かない衝動が止まらねばまた殺してしまいそうになる。それだけは避けたかった。
あのモノのためではない。自分のために……。
だが、どうすればそれが治まるかなどわからない。これまでずっとその本能が告げたことに従い幾つもの命を手にかけてきた。それができないという状況が自分への縛めにへとなっている。見えない鎖が絡みついて、自分を束縛する感覚。その鎖は最も自分が嫌うようなモノと繋げられていた。
認めたくはない。こんな現状。
だが拒めば拒むほど、自分の死を確信するようだった。
――俺に、どうしろって言うんだよ……。
静止したかのような世界。
そこでまた少女が自分の名を呼んだ。
「クロトさん……」
また泣き出してしまいそうな声。
そんなふうに呼ばれたくもない。
クロトなど、エリーの名を一度も口にしたことがないのに。
どれだけ呼ばれようと、まだ出る気にはなれず息をころしそのまま居続ける。
「……の――」
しかし、次の瞬間。ごちゃごちゃとしていた頭の中を綺麗さっぱり吹き飛ばすような言葉が放たれた。
「……ッ、――バカァアアアァアアアアッッ!!!」
これまで聞いたことのないエリーのそんな言葉が大きく放たれ、クロトは驚愕として目を丸くしてしまう。
その声は家全体を揺るがし、壊れた天井の穴からパラパラと破片が落ちてくる。
――な……、なんだ、って……?
今、エリーは「馬鹿」と言わなかっただろうか?
それも自分に。
思わず物陰から顔を出そうとした。いったいなにを理由にそんなことを唐突に言い出したのかとエリーの姿を確認しようとする。
すると、また大声で叫ばれる。
「なにが必要だから仕方ない、ですか! 首しめてっ、矛盾してるじゃないですかぁ!!」
身が飛ばされるかの様な力強い怒声に、不覚にもクロトは叫ばれる度に肩を跳ね上げる。
――なに、言ってんだ……コイツ……?
昨夜とは一変してしまっている。
余計にクロトはこの存在に疑問を抱いてしまった。
「だいたいクロトさんってすごく自分勝手なんですよ! 私のこと抱き枕にするし!!」
――なんでコイツ、怒鳴ってるんだ……?
「ちょっと気に障ったら銃向けるしっ、アレ怖いんですよ!?」
――……なんなんだよ、アイツ。
「勝手にどっか行かないでくださいよ! やってること、意味わからないんですよ! 私は【厄災の姫】なんでしょ!? クロトさんが来いって言ったんじゃないですか!!」
――…………。
エリーは息を切らせる。言いたいことを言い終えたのか、急に静かになった。
唖然とさせられたクロト。だがよく聞いてみればどれも自分に対する不満などではないか。
そうだとわかれば単純な怒りが込み上げてくる。
――アイツ……、言いたいこと言いやがって……っ。
もう隠れている方が理に適っていない。
一発、殴るにでも行きたくなり体を起こして姿を現そうとする。
使える右手は拳を作り、物陰から姿を半分ほど出した時――
「――ごめん、なさい……」
と、エリーがまた一変して謝りだす。
またわけがわからずクロトは動きをピタリと止めた。
見える少女の背は震えて……泣いていた。
「私が……、また、いけなかったんだ……。クロトさんを怒らせること、しちゃったんだ……」
何度も涙を拭う動作。震えた体を抱えおさえ、嗚咽と共に自分の過ちを告白していく。
そして、少女は願ってしまった。
「そばに、いてください……。道具でも、物でも……なんでもいい。だから、……お願いです」
今一番の願いを彼女は震えた声で呟く。
「――一人に、しないで……。一人は……、一人は、怖い……」
エリーという少女。それはいつ死んでもおかしくな存在だった。素性が一般に知られれば、それだけで彼女は死にへと追いやられる。ネアのような思考の持ち主がどこにでもいるわけではない。それが常識であり、彼女の現実だ。
今一人になるということは頼れる者のいない恐怖に怯えるということになる。それだけでも少女を殺してしまうような、脆い存在。
エリーはただ孤独という恐怖に耐えきれず泣いてしまっていた。
――なんで、俺を頼るんだよ……。
助け守るのも、全ては自分のためにやっていることだというのに。そのモノのためにやった覚えなど一度もないのに。
自分という存在がそばにいることが、いつの間にかそのモノの救いになってしまっていた。
なろうと思ってなったものではない。知らぬ間にエリーの中ではそんなものにへとなってしまっていた。
そんなふうに思えるはずがないと意見するも、きっとエリーは考えを改めることはないだろう。あれだけ拒絶をしたにも関わらず、今でもエリーはそう願ってしまっているのだから。
なにが原因でこんな予想外なことになっているのか。
たった一つ。記憶が欠落しているだけで、ここまで人の思考とは変わってしまうものなのだろうか。
本来の彼女なら有り得ない言動。それにクロトはずっと翻弄されていた。
――なら、俺はどうすればいいんだよ。
わからずとも、クロトの手はそのモノにへと伸びてしまった。
泣くモノの慰め方など知らない。怯えたモノに優しくするという情がない。死に、殺した者にもなにもしてこなかった。なにをどうすればいいのか……それが全くわからない。
黙らせることは簡単だ。いっそのこと、そんな惑わすような言葉を吐く喉を使えなくしてしまえば楽になるかもしれない。理解できない思考も感情も、壊してしまえばいい。だが、それではなにかが違うとどこかから訴えてくる。
なにが……、いったいなにが自分をここまで戸惑わせている?
整理がまとまらないまま、クロトはいつのまにかエリーの背に覆い被さり、抱いていた。
少女の涙が、その時鎮まり振り向かれると目が合う。
あの、この世のものとは思えない星の瞳は涙に濡れてより煌めいているようだ。
「……っ、クロト、さん?」
一瞬目が合った後、クロトは顔をそらした。
その自分を見る目が……苦手だから。
呆然としていたエリーは、ふと自分が先ほどまで言い放ってしまっていたことを思い出す。
明らかな愚痴だったと気付けば急いで涙を拭いつつ焦りだす。
「ち、違います……! さっきのは……その、悪く言いたかったわけじゃ……っ」
泣いていたかと思えば、今度は慌てて訂正をしようとする。
泣いているのも耳障りだが、無駄に気を遣われるのはもっと不愉快だ。
それに、
「……うるさい。傷に響く」
動きのままならない左腕はまだ完治していない。
その現状は不死であるはずのクロトを疑うこととなる。
「な、なんで……っ。すぐに治るんじゃ」
「……俺の体には欠点があるんだよ。契約した魔銃で付けた傷は治りが遅い、……それだけだ」
心配そうにするエリーの視界から腕を遠ざけるも、更に覗き込んで不安そうだ。
あまり動かしたくないため力の入らない声で叱っておく。
「あんまり見るなっ。その他による傷ならすぐ治るが、さすがにキツいな……」
なぜ自分はこんな行動をとっているのだろうか。近づきたくもないし、触れたい気分でもない。
だがなぜか先ほどまで抱いていたエリーに対する殺意がどこかへ消えてしまっていた。
――それに相変わらずコレを抱いていると何故か落ち着く。
自然と痛みもひいてくるようで、不思議だった。
しばらくして外に立ちこめていた霧が晴れると寒気が薄れ、同時に室内に明るい光が差し込む。
クロトはエリーを全身で抱え込むように座ったまま、微かな眠気に穏やかな寝息をたてている。耳や首筋にクロトの息がかかり、エリーは恥ずかしさに鼓動を早め身を縮こめた。
今のエリーの体は震えてなどいない。だが少しでも動けばクロトの腕が放さないようにしてくる。
完全には眠っていないせいか。少しでもなにかあればいつでも無意識に反応する。
状況に戸惑いつつ、エリーはふとクロトにへと声をかけた。
「……クロトさん。一つ、聞いていいですか?」
「…………ん。なんだよ?」
まだ活力の戻らないクロトはうっすらと目を開き応答。昨夜のこともあったが、衝動の治まったクロトは普通に会話をしてくる。いつものように聞き流すか、「黙れ」と言われるかと予想はしていたが、意外なことにすんなりとある。
質問の前にエリーは言いづらい様子で少し間を開ける。
「えっと……。クロトさんは、私のことが、嫌いですか……?」
なにを聞かれるかと思えばそんなことだったと、呆れてクロトは顔をしかめる。
即答するつもりだったがまだうまく力が入らず、躊躇ったかのように返答を遅らせてしまう。
「……嫌いだ。すぐ泣く。鬱陶しい。……手間のかかる、クソガキ」
聞かなくてもそれくらいわかっているだろうに。なぜ今になってエリーは聞くのか。質問の意図など理解できない。
そう思い呆れていると、不思議とエリーは、くすっ、と苦笑いをする。
「なんで、笑うんだよ……?」
「えっ、す、すみません。……そうですよね。やっぱり」
やはり、ということはわかりきっていたこと。
ますます理解できない。
「本当に、思ったことをそのまま言われるんですねぇって、そう思っただけです」
当前だった。他人を疑うなら、せめてクロトは自分自身だけでも信じていたかったから。
思ったことをそのまま言うのは自分を偽らないことにもなる。
「今度は俺の問いに答えろ。……なんでまだ俺を頼ろうとする?」
共にいるのは自分が彼女に強制しているからだ。しかし、そこから頼られるような理由が思い浮かばない。
困ったようにエリーは言葉を考え、決まるとその答えを出していく。




