「焦燥」
――少女は時折問いかける。
「――パパは?」
少女はよく窓越しに外を眺めながらそう問いかけてくる。
少女は小さな村に預けられた。預けたのは親を語る父親だった。
預けられた少女はまだ物心をついたばかりの幼さであり、預けた父親の顔などハッキリと覚えてはいない。
ただ、少女としては父親としっかり捉えていただけにすぎない。
「またその話か……」
年老いた老婆は村の村長であり、引き取り人でもある。
少女の問いにいつも付き合い、乾いた笑みを浮かべる。
聞き飽きたものだろうが、老婆としては無視することができずにいたのだろう。
「お前の父親はな…………お前を、この村に捨てたんだよ」
老婆はそう言う。そして、そう返答するのも幾度目か。
預けられたのは事実であっても、老婆は父親が少女を捨てたと言い続ける。
少女の反応はいつも変わらない。その言葉の意味を知ってか、知らずか。少女は小さく頷き、それでも窓の外を眺める。
待っているのだ。父親がいつか自分を迎えにくるやもしれないと。
その日々が終わったのは、一年が過ぎた頃合いだっただろう。
村には女性しかおらず、時折迷子の様に村に流れ込んでくる。
多くの者が口にするのは、男に対する恐怖、憎悪。そうして女性のみの隠れ里は女性による唯一の楽園となっていた。
その度重なる環境が織りなしたのか。少女もまた、父親の事を忘れる事とした。
恐怖や憎悪があったわけではない。そうする事で抱えて立ち止まっている感覚を振り払いたかった。
なにかできる事はないか。できるなら育ててくれている居場所に報いなければ。
日々を重ねる度に薄れていく存在。その存在を思い出させたのは…………
◆
一人夜の街をうろつくネアは、苛立ちの空気を漂わせていた。
いつからそうだったのか。ちょうどクロトとイロハをぶっ飛ばした後からだ。
抑えがきかず、無意識にばらまくそれには周囲の住人も離れて行くというもの。
夜風はひんやりとしているというのに、熱が治まる気がしない。頭痛までもする思いだ。
「……~っ。まったくぅ。あの野郎どもはどれだけ呑気なんだか……っ」
思い出すだけで腹立たしい。
これまで以上の焦燥には危うく物にまでも当たり散らしたい勢いすらあった。
「男はこれだから……っ」
一人ぶつぶつと独り言を並べながら怒りを男という概念にぶつける。
――バリンッ!
不意に、横に立っていた街灯のガラス玉が割れてしまう。
咄嗟の事にネアは街灯を見上げ、少々後ろめたさな表情を浮かべてしまう。
無意識の雷撃が命中した様子。
「やっば……。どうしよう……」
落ちたガラスの破片を眺め、点滅する街灯に当てられる。
その際、視界の隅に自分の影が映りこんだ。
それは人の形とは思えない、大きな獣の影。
ネアは焦って影を目で追う。影を追うも、獣の影は素早い足で逃げる様に、視界から消えてしまった。
呆気に取られ、呆然とするネアは重たいため息を吐いた。
「……いるわけないじゃない。アイツは自分勝手に消えていったんだから」
とりあえず、落ちたガラス破片を拾い上げ、建物の隅に置こうとする。
幸い誰も見ていなかったのだ。何かの衝撃で割れた事にすれば何も問われない。
早くこの場から逃げよう。そう思っての行動だったのだが……
「――ッ!」
ネアは手にしていた破片を途端に勢いよく投げ捨てた。
「――うわぁ!?」
情けない声で尻もちをつく者が一人、そこにはいた。
身なりは黒のローブを身に纏い、顔すらろくに見せようとしない。
だが、声と様子から相当弱腰な男性と理解できた。……はずだった。
ネアは一つ不信感ある目で情けない男を睨みつける。
それは、投げる直前までにその気配を感じ取れることができなかったからだ。
しばらく観察するも、男はあわあわとして、ローブに付いた破片を落として困惑。とても警戒のいる相手とも思えない。
――色々考えすぎてて気が散ってたかしら……? どう見ても雑魚じゃない。
「い、いきなり酷いじゃないですか!? こんなの投げられたら怪我しちゃいますよっ」
当然の発言だ。
だがその発言に対し男なら罵詈雑言を返すのが、ネアという一流情報屋だ。
「うるさいわね! 急にそっちが近づいてきたのが悪いんでしょうが! これだから男は嫌なのよ、クズ! ゴミ! ヘタレ!!」
ぐちぐちと飛ぶ悪口に、男は身をかがめて身を震わせた。
特に反論するわけでもなく、正に気弱な男性である。
数分してから何かを思い出したのか、男はハッとした。
「そ、そうだ……。あの、情報屋の方で……あってますよね?」
「はぁ!? そうよ! 用があんならちゃんと調べてから来なさいよ! 脳みそ入ってんの!?」
苛立ちをぶつける対象ができれば発散としてぶつける。
男はおどおどしながら身を低くしてある物をネアに差し出した。
手には上質な布で包まれた物がある。そっとそれがめくられると、中からは澄んだ青い水晶が現れた。
ネアの細めた目が、瞬時に見開かれる。
何かを言いたげな口から声が出ず、グッとそれを呑み込んだ。
静かに待つと、ぼんやりと水晶は光、声を発した。
『――やあ、情報屋。戻ってきたと聞いて使者を送らせてもらったよ』
声は明らかに低く男性のものだ。
ネアは何とも言えない複雑な表情で発言を堪えて、一息ついて心を落ち着かせてから言葉を返す。
「わざわざこんなヘタレを送り込んだって事は、物を取りに来させたって事かしら? お望み通りの品はちゃんと魔界から調達してきたわよ」
取り出した小袋を使者である男に投げ捨てる。
「これで満足なわけ? 私あんまりあっちには行きたくないんだけど? 終わったなら、ちゃんと条件通りの報酬をお願いね」
いつも通り、男には不機嫌な態度をとる。
魔界でクロトたちと合流する前からの依頼だったのか、ネアが魔界にいたのはこの件が理由である。
仕事が片付いたのならと、ネアはせいせいした半面、なにか不安があるのか焦りを滲ませていた。
だが、そんなネアの様子などお構いなしに、水晶の奥から嘲笑した声が発せられた。
『いやぁ、本当に助かったよ。だがそちらも水臭いものだねぇ。面白い話をこちらに隠して……』
「……? なんの事かしら?」
『そうとぼけるな――半魔』
ピクリ。と、ネアが不快に反応。
ネアが半魔である事は多くには知られていないものだが、この話相手も数少ない素性を知る者の一人である事は理解していた。
しかし、どうしても半魔や異端者と呼ばれる事には抵抗があった。
睨みつける視線は水晶を支える男にへと向けられる事となる。男はビクリと怯え、身を縮こませた。
「私が何をとぼけるって?」
『報告では、なにやら面白い連中と共にいるそうだな』
「……っ。ただの腐れ縁よ。ちょっとあっちで会ったから一緒にいるだけ。……それの何がいけないわけ? 仕事はちゃんとしてるんだから、関係ないでしょ?」
もちろん。ネアはこの依頼主との事をクロトたちに公開した事はない。
依頼主と情報屋の関係は、そう簡単に他者に話せることではない。それは情報屋としての信頼も問われるからだ。
ネアも話す相手は選ぶ。そして、クロトたちに話す理由もない。
特になにもないとあしらうも、またしても嘲笑が癇に障る。
それからしばらく続いた会話。そこから先、話が進むごとにネアの顔色は豹変し、蒼白とさせた。
込みあがる感情は握りこぶしを作り、ネアは声を低くした。
「……どういう、意味よっ!?」
『――追加の仕事だ半魔。望みの報酬が欲しければ、しっかり働くんだな』