「気掛かりな情報屋」
これは、誰の記憶だったのか……。
重く鈍い頭が、そう呟いた。
――どうか。人の世で生きさせてやってほしい。
低い声から、そう言葉を発したのは男性であるだろう。
身に覚えのない声のはずだというのに、懐かしくもある。
これは、血に通うもう半分の記憶だ。
この身に流れる、人と、魔族の血。どちらかの血による記憶が囁いている。
――日の光を拝めなかった、亡き母のためにも。この者には……
言葉が遠のいていく。血に混じる紫電を頼りに、私は声の主を追う。
必死と、我武者羅に……。その覚えていない顔を見るために。
しかし、伸ばす手は届かず、ただいつものぼやけた姿しか見る事ができなかった。
――お前の親は、お前を捨てたのだよ……。
そう教えられてきた。
育てる事の出来ない無責任な父親は、人の世のとある集落にへと自身を置いて、その後は姿を現す事がなかったとか。
幼い頃は、そう教えられても、心の底では待っていたのかもしれない。
いつか迎えに戻ってくると。
それが叶わぬ願いと知ったのは、自分が半魔であると知ったのと同時である。
――男とは無責任な生き物だ。
自分に言い聞かせ、叶わなかった願いに終止符を打つ。
それからは親の事を考えなくなる。
思い残す事なく、自分が前を向けて生きれるようにするために。
◆
鈍い音と共に、空間が歪む。
それを不安混じりながらも潜り抜け、着いたのは太陽の光が差し込む明るい世界。
眩しく、一瞬は目を背けてしまうが、ようやく見る事のできた太陽にはどうしても目を向けてしまう。
「……戻って、これたのか?」
「うぅ~、お日様が眩しいですぅ」
魔界門の石碑を背に、魔界から帰還したクロトたちは日の光を視界だけでなく全身で浴び、しばしはそれを堪能する。
数日間太陽を浴びていないだけで、その重要性を今更ながら体感し、戻ってきた事に安堵した。
「わあぁ! 空だぁ!」
真っ先にイロハは青空を視界に入れると、迷うことなく翼を広げ飛ぶ。
上空から見る景色も明るく、緑豊かなレガルの大地が広がっていた。
魔界とは違い、どれもがイロハの目を引くような輝きを帯びている。
イロハの機嫌は、悠々と飛ぶ姿で容易にわかる。
「イロハさん、とても嬉しそうですね」
「そこまでテンション上がるもんか? あんま騒いでっと……」
またネアの怒りを買う事になる。そうクロトは言おうとしたのだが、途中でそれを止めてしまう。
言いながら当の本人に振り向くと、その心配が一切ないように見えたからだ。
遅れて魔界門から姿を現したネアは、未だ活力があまりない様。何かを考え込むように、それに集中してまともに周囲を気に掛ける事ができていない。イロハの上機嫌ですら気づいていないようだ。
様子がいつもと違う。それは彼女fが悪夢課rあ目を覚ましてずっとだ。
魔界門までの道のりは淡々指示するのみで、後は半分投げやりなようにも見えていた。
いつもなら余計な事も言っていたはずなのだが、異常なまでに静かである。
「……ネアさん、大丈夫でしょうか? なんだか元気がないような」
「まあ、普段よりは静かでマシだが、こうも静かだと逆に気色悪いな」
「そんな事言ってしまうと怒られますよ?」
「お前に忠告される覚えはないがな。……というか、マジで気づいてないんだが?」
普段なら地獄耳とでも思えるのだが、このクロトの悪態すら届いていない。
悪夢が尾でも引いているのか、何かしらの影響を受けていると考えるが、それ以上は思い当たらない。
ネアがどのような悪夢を見ていたかなど、誰にもわからないのだから。
エリーは内容を覚えているが、クロトとイロハは鮮明に覚えておらず。これと言って尾を引く事はなかった。
平常でないネアにはクロトですら無意識に気になってしまうものがある。
ネアとクロトの付き合いはクレイディアント崩壊後からのものではあるが、この様な姿を見るのクロトにとって初めてであったのだから。
二人の出会いとは穏やかなものではなかった。
第一印象が試される初対面。その節に二人は互いを睨みあい、対立した。
◆
時は崩壊事件の直後まで戻る。
とある小さな村で、空から人が降ってきた。
大きな物音を立て、真下にあった古い木造の倉庫に落ちたのは、不安定な転送装置で飛ばされた魔銃使いだった。
上空に放り出された結果。このような無様な様子で崩壊の危機から逃れたという。不死身でなければ確実に死んでいた有様だ。
数秒後、意識を取り戻したクロトは、呆然と自分が開けてしまった穴を見上げるのみ。すぐに脳は状況を把握して、次に頭にあったのは不快感でしかない。
「……あの転送装置、欠陥品かよっ。もっとまともに起動できるとうにしとけっての!」
飛ばされたのがただの人間なら死へ一方通行でしかない。
最悪あってもそう遠くない位置までしか飛ばされないと思っていたが、まさか上空に放り出されるなど想像してはいなかった。
想定外と欠陥性にクロトは付近の物を蹴りつけ当たり散らしながら起き上がる。
多少残る落下の衝撃による痛みを癒すが、途端に目を見開き再度周囲を焦りながら見る。
「……っ。くそっ。あのガキがいない!」
一緒に飛ばされたであろう少女の姿がない。
それはクレイディアント崩壊の原因となった――【厄災の姫】。
飛ばされる直前、伸ばした手は残念な事に届かず、互いが別の場所にへと転送されてしまったという結果に。
運が良ければ少しの位置ずれで近くにいるとすら考えたが、倉庫を出て周辺を探すも見当たらない。
焦るのは無理もない。クロトにとって、少女の存在は必要不可欠だったからだ。
命を繋がれた存在。この転送で自分と同じように空に放り出されていれば、まず生きてはいない。
……が。クロトが今でも健在であるという事は、まだ死んでいる事にはならない。
それがわかればまずは冷静を取り戻し、考えを整理していく。
1:まだ付近にいる可能性がある。
――それが一番だが、最悪の想定も必要だ。
2:此処とは違う場所に飛ばされ、距離がある。
――その場合、また一から捜し出すのと同じだ。前回は居場所が固定されていたから良かったものの、今回はそうはいかない最悪な状況。
3:2の通りなら必要なモノを揃える必要がある。
――……となると、一番重要なのは…………
「な、なんだね……キミは?」
頭を整理させ考えに耽っていれば、この倉庫の持ち主らしき村の中年男性が慌てた顔で声をかけてきた。
その事にクロトは特に驚きも慌てずもせず、動揺する村人に対し返したのは、銃口を向けるという非人道的な事だ。
「ひっ」と。村人は手を上げて後退る。
「おい、お前。今から俺の質問に答えろ。……じゃないと、ただでさえ短くなっていく寿命が一気にゼロになるぞ?」
余計な事に時間を費やすわけにはいかない。
単刀直入に事を進めるため、クロトは銃を向ける事で一方的な路線を作り上げる。
脅迫と言われるならそれでもかまわない。他人の命など、この世には腐るほどある。その一つが欠けようが、自分にとってはなんの支障もない。これがクロトという魔銃使いの考えだ。
最も手っ取り早く、率直に、無駄なく。
一般な男はその脅しにまんまと乗せられ、呆気なく質問に答える事を強いられた。
汗を滲ませ、喉から出したい救いの声をグッと堪えて静かに頷く。
「OK。まず、此処は何処だ?」
「こ、此処はサキアヌにある村の一つ、――ガレナだ」
「という事は、西か。位置的には?」
「中央寄りの位置にある。まだ環境が豊かな場所だ」
「西は寂れた場所が多いからな。中央寄りって事は、外側の位置か……」
それなりにクレイディアント王都からは離れた場所に飛ばされている。
問題は同じ方向にもう片方が飛ばされたか、あるいは別方向か……。
「なんか変わった事はなかったか? 例えば、妙なものを見たとか……」
「妙な……もの? そういえば、少し前に流星が見えたって騒いでたな。……この近辺を通ったって」
「……流星?」
クロトは考える。少し前に流星がこの村の上空を通った。この真昼間に星がハッキリ見えるほど流れるものだろうか。
仮説としては、その正体は転送された自分の可能性もある。
転送がそのように見えたのなら、もう片方もその様に流星として目撃されているやもしれない。
「その流星、二つあったか?」
「さ、さあ……。俺は詳しく知らなくて……」
「あ? 役にたたねーな。死ぬか?」
銃口が揺れて主張を引き立たせられる。
男は悲鳴に近い短い声を上げ、焦り出した。
「本当に知らないんだっ。……で、でも、もしかしたらあの人なら知ってる……かも」
「あ? 言い逃れか? ハッキリ言わねーとマジで殺すぞ?」
「そうじゃなくって! 実は、この村に今有名な情報屋がいてなっ。その人なら、なにか情報を持ってるかもしれないぞ?」
「……情報屋……か。最後に一つ。――その情報屋。今何処にいる?」